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* * * 「というわけで! 新入部員の白石。あ、入部するわけじゃないから……会員、かな」 「ど、どうも」 「――ま、まっきー先輩」  とある放課後。奥寺は実行に移していた。  何を、と言わなくても分かるだろうが、記しておこう。  :-白石をBL同好会もとい、薔薇園の集会に入会させるのだ。  満足げな奥寺の目の前で白石は軽く頭を下げている。  対して二人目の腐男子の登場に、女子達は戸惑い気味だ。というより、何故か震えている。  どうしたのかと奥寺が尋ねる寸前、同学年のあやめがばんっと机を叩き、椅子から立ち上がった。大きな音を立てて、パイプ椅子がひっくり返る。 「どっ、どうしたの?」 「――どうしてここに白石がいるの!」 「えぇ?」  怒っているのか、よく分からない大声に思わず気圧される。  白石も驚いているらしい。目を見開いて黙っている。  しかしどうしたことか、そんな反応をするのは彼女ただ一人ではなく、同じく席に座ってこちらを、正しくは白石を信じられないものを見るような眼差しを薔薇園の集会の主メンバーである女子達が送ってくるのだ。 「し、白石がいたらダメなの……?」  信用できないということなのだろうか。  ジャンルの特質上、なかなか一般人には受け入られず打ち明けにくいことではある。  が、その点に関して白石は大丈夫であると奥寺は自信を持って言える。 「だって、だって……!」  しかし続いて紡がれた言葉に、出た言葉は一音だけ。 「あの有名で人気者の白石だよ!? 爽やかに部活してる姿が女子に人気の! そんな明らかに青春してます、みたいな白石がBL好き? 笑わせないでよ! まっきー……奥寺、正気? 白石が可哀想だよ、未知の世界だよここ」 「えぁ?」 「――そうね。いくら友達でも興味のない人を連れてきてはダメだわ。残念だけどまっきー、いや奥寺くん。私たちの協定は破棄と――」 「いやいや待ってくださいよ! 五条先輩、早まりすぎです」 「早まったのはあんたよ、まっきー! 白石には教えなくていいあたしらの存在を軽々しく……!」  怒っているのか、ではない。彼女達は確かに怒っているのだ。沸々と煮えたぎって、許容という鍋から溢れ出しそうになっている。溢れ出した次の瞬間には、全てが泡となって消え失せるに違いない。この集会も、彼女達も。  しかし、何よりも確実なのは何に対して怒っているか、である。  彼女達は自身を孤高の存在としているのではなく、何故純粋無垢な白石を不純すぎる泥沼に突き落としたのか、と追及したいのだ。  それが分かり、慌てて否定した。 「違うんです! 白石もれっきとした腐男子です!!」 「…………なんてこと」  同学年のあやめが力をなくし、地面に座り込む。  奥寺の話を聞いて、年上である可憐な五条もくらりと貧血を起こしたようであった。  人気者で学年に一人はいるような存在の彼がよもや腐男子など、あってはならない大事件なのだろうとすぐ予想がつく。  女子に圧倒的に支持される分野で、男子がのめり込んでいる情報はあまり耳にしないのだ。  故に、彼女達にとって白石の出現は天地が引っくり返ってもあり得ない可能性なのである。 「いや、すごく言いづらいんだけど俺、腐男子じゃない。断じて」 「え」 「え」 「はい?」 「ちょっと白石!」 「嘘は吐かないぞ、俺」 「えぇー」 「……どういうことか説明していただけますか」  リーダー各である五条の冷ややかな視線を先頭に、疑わしげな眼差しが一瞬で奥寺に向けられた。  それに苦笑いするしかない奥寺。  だが、答えたのは白石本人だった。 「俺が奥寺のこと好きなんだけど、あんた達はこんな俺を受け入れてくれるんですか?」 「……何の冗談です?」 「……why?」  あやめは驚きすぎて、外国人になってしまったらしい。 * * *  すっかり警戒心を露にした彼女達に説明するには骨が折れる作業で、ようやく理解してもらえた時にはどちらも少なからず疲弊していた。 「状況は理解できました。白石さん、お辛いですわね」 「そうかな、今のところ何も。ただ奥寺、まっきーをどう口説こうかなって試行錯誤中」 「うわあ、私夢見てるみたいです! 現実にこんなことが起こるなんて!」 「あやめさん、落ち着いて。順を追って話を聞きましょう? で、白石さん――」  彼女達と白石が打ち解けるのは実に早かったが。  奥寺を除け者にし、一人麗しの花に囲まれている白石は至極真面目に相談しているようだ。  彼はどうしても両想いになりたいらしい。  奥寺は首を振るばかりである。  白石のことは好きだ。でも、種類が違う。その好きは友人としての好きだ、恋愛感情は伴っていない。それは確かだと伝えても、白石は諦めてくれなかった。  それはそうするほど想いが強いということなのだろうけれど。  ――どれだけ何を言われても白石を好きになることはない。  酷いようだけれど、確信があった。 * * * 「柏木さん!」  物静かな店内。BGMもかからない大型書店で今日もせっせと働いている大人を見つけ、奥寺は駆け寄った。  柏木草丞(そうすけ)、三十路手前。だというのに顔は幼く、けれど爽やかに整っている。眼鏡と相俟って優しそうで、実際そうである。男性ながらBLが好きで、BLコーナーを担当していて。柏木と話すようになったのも、男にしては珍しい共通点を見つけたからだった。 「いらっしゃいませ、奥寺くん」  柔和な笑みを向けられて、奥寺はつられるようにして笑う。  心がぽかぽかと熱を発する。 「今日も買いに来てくれたの?」 「あー、うーん、き、昨日やめた漫画がやっぱり気になって」 「そうなの? ゆっくりして見ていってね」 「はいっ」  仕事中に私語は好ましいこととは言えないらしく。会話を切り上げた柏木の視線は本へと向けられてしまう。 「……」  わざと背中合わせに立つ。目の前の本棚には目的のものはない。  そもそも本が目的ではなかった。柏木に言ったことも、嘘だ。気になる漫画なんてない。 「――すみません」 「あ、はい。何かお困りですか?」  見るたびに癒されるような笑顔は誰にも向けられるもので、別段自分だけに見せてくれるものではない。そこには独占欲など存在しないものの――好きだと言えた。 「またお困りになられた時は遠慮なく言ってくださいね」 「は、はい、ありがとうございますっ」  丁寧ながらも堅すぎない言葉に声をかけた女性が照れたように去っていく。  その気持ちを染々と理解し、奥寺はうんうんと頷く。  柏木の魅力に一人でもいいから多く気付いてほしいと思う毎日なのである。 「あの、」 「うん? 奥寺くんどうしたの?」 「……」 「奥寺くん?」 「あの、って言っただけで俺だって気付いたんですか?」 「え、うん。側にいたし……それに奥寺くんの声、なんとなく分かるよ」 「……、」  どうして柏木は自分を喜ばせるのが上手いのだろう。最近気が付いたには遅く、もっと早く知っていれば良かったとも思うのだ。 「奥寺くん」 「ぁ、あぁ、すみません。なんか、驚いちゃって」 「驚く?」 「声だけで分かられると、その……」 「あ。ごめん。気持ち悪い?」  自身が口にした言葉をよくよく考えたのだろう。  顔色が変わった柏木に、奥寺は首を振った。 「違う、そうじゃなくて。純粋に嬉しかったんですよ。俺の存在、認められたみたいで」 「……何か、悩んでる?」 「え」 「僕でよかったら相談に乗るよ? 大したアドバイスはできないけど。それでもよかったら」 「……悩みなんて、ないです」 「そう?」 「はい、大丈夫。ありがとうございます、柏木さん。柏木さんにそう言われるたび、頑張らなくちゃって思います」 「それってやっぱり悩んでるんじゃ――」 「また来ますね。今日はやっぱり金欠だから漫画、止めておきます。じゃあ」  するすると喉を這い上がってくる思いを形にし、柏木に呼び止められることを拒むようにその場を去った。  店を出て、自己嫌悪する。 「はぁ」  白石に真っ直ぐ好きだと伝えられてからというもの、奥寺の感情はぐらつきがちだった。  白石の想いには応えられない。先述したようにそれは変えようもない事実で。  だが、白石はそれでもいいと毎日のように想いを伝えてくるのだ。  それは時に苦で、白石を思うと更に苦しくなるのである。  ――俺はお前を好きじゃないから、もう他のところに行ってくれ。  そう言うことができないのは、彼を友人として必要としているからだった。  そしてそこに拍車をかけるのが、柏木草丞という年上の男性の存在なのだ。  正月、先に帰ってしまった柏木に謝罪を述べた際、彼はまるで覚えていなかったような反応を示した。あの時の出来事を忘れたかったわけではなく、謝られるような事だと思っていなかったらしい。  そう言う柏木は笑顔で 「君に謝ってもらうようなことはされていないよ」  と許さなかったのである。  そうされてから、なんだか奥寺の胸の内に柏木の存在が強くあった。それは、同級生の白石よりも――。 * * *  日々が経つにつれ、白石の告白という口説き文句は真剣味を増していき、それに対する奥寺の返答は素っ気ないものになっていた。  それでも諦めず追いかけてくる白石は相当、だ。  奥寺自身、何度も告白に対するその返答はなかったと後で反省することがあった。  だがそれでも白石は怒った様子も傷付いた様子も、些細な変化すら見せず笑うのだ。 「……なんか、だんだん白石が分からなくなっていく」  どうして笑えるのだろう。端から見たら、いや、奥寺から見ても彼は毎回手酷く振られているというのに、嫌にならないのだろうか。  自分を、嫌いになりはしないのだろうか。  こちらが好きだとすがるまで言い続けると言っていた白石だが、そうするには耐えられないほど辛いのではないか。  色恋もの、況してや――創作物ではあるが――男同士の話を見聞きしている分、白石の気持ちが奥寺は分かるようだった。  しかし、それで応えてやろうとは思えないので殊更奥寺を悩ませ、困らせるのだ。 「俺は、どうすれば……」  はっきりと断っていても相手がずっと追い打ちをかけてくる。  創作の中ではいつだって対処方法が決まっていて、結末も決まっている。  ――誰だってハッピーエンドを望んでいるから。 「……あーどうしてこうなったんだ……?」  髪をぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られ、意識を他にやろうと視線を上げた奥寺の視界にとある光景が映った。 「あ」  拭えない既視感。同時に、脳裏に嫌な予感がよぎる。  そして思い出した。自分のことで精一杯で、ある事実を。 「高宮って……ビッチっぽい」  その呟きが、聞こえたとでも言うのだろうか。 「――あ」  こちらを見た彼が、同じように声を出したのが奥寺の耳に聞こえてきたのだった。

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