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番外編:冬に青い春5

* * *  一日が始まると、目覚ましが甲高い音を立てて奥寺を起こした。  週明け月曜日。憂鬱な一日目が幕を開ける。  母親に叱られない程度にのろのろと、だが着実に支度をし、用意されたご飯を胃に収めて。鞄を片手に家を出る。  途中、近所の野良猫に出会し、その小さな額を撫でさせてもらう。猫が大好きな奥寺にとっては、貴重な逸材である。 「ばいばい、にゃんこ」 「にゃあ」  ほかほかな心でいつもの通学路、坂道を下りていく。住宅地を抜け、商店街の脇を通り、やがてまた住宅街に入る。  家から約三十分で学校に着いた。  同じく登校してくる生徒に混じって外履きから上履きへ。扉がついている下駄箱は誰もが一度でも手紙は入っていやしないかと僅かな期待を胸に開けたこともあるだろうが、現実にはそんなこと起こり得ないことを奥寺は知っている。今時、手紙は古いのだ。現代には携帯端末が普及し、それと同時に手軽なメッセージが送れる機能が開発されている。つまり、何が言いたいかというと、奥寺には一度もラブレターなどという未知のものは入っていたことがない。  二年生に進級した際、教室がある階も変わり、二階で渦巻く生徒達(一年生)の波から外れた。  二年二組。奥寺がこれから一年を過ごす場所であり、顔ぶれである。 「――おはよう」 「あ、おはよう」 「眠たそうだね、奥寺」 「うん、眠い」  何でもないような、毎日しているような会話をクラスメートと繰り広げ、まだ名前順で固定されている席へと向かう。  すると必然的に、彼を視界に捉えるのだった。 「おはよう、白石」 「――おぅ。おはよ、奥寺」  何の因果か、隣同士だ。 「あっ、現代文の課題やった?」 「やったよ」 「じゃあお願いっ」 「……奥寺」  呆れたような表情に、奥寺は苦笑いに近い笑顔を浮かべ拝み倒す。 「お願いします、白石様〜! どうかこのとおりーっ」 「奥寺、自分の為にならないよ、それじゃ」 「うー」 「現国は午後からだろ? まずはホームルームまでの時間でやろう」 「し、白石〜!」  思わぬ優しい言葉に、奥寺は白石に抱きついてしまった。が、自然と彼の腕が背後に回って。それでも抱きつき続けた。 * * *  放課後は、三人いた女子マネージャーが退部してしまったことが最大の理由として、初日の働きが評価された奥寺は正式にサッカー部のマネージメントに誘われ、あまりの盛大な歓迎具合に堪り兼ねて承諾してしまい、手伝いをするようになった。その歓迎ぶりは、咲麻の話を思い出したほどだ。  そんな咲麻は、奥寺がマネージャーとして連日練習に参加しているとキャプテンの立林刹から聞いたらしく、何故だか特別に用意された専用椅子に座って見学している。時折、奥寺に話しかけてきてはずっと笑っていて楽しそうではあるが。  怪我してから部活動に顔を出していなかったというのが嘘のような馴染み方であり、それが一緒に戦ってきた仲間故なのだろうとも思う。  そして、咲麻が側にいるということは、格好の餌食が側にいるということでもある。 「――ん、ぅ」 「ん、かわい」 「せんぱ、ぁぅ……っんん」  誰もいない部室。汗と埃の匂いが充満するその場所で、奥寺は咲麻に頭を抱えられながら唇を貪られていた。  これは、マネージャーになってから、咲麻と再会した時から始まった事だった。 「ん、んっぅ」  耳朶を良いように指先で揉まれつつ、いつからか咥内に忍び込んでくるようになった舌に翻弄される。  あの日は押し付けられるだけだった口付けは、そうされるたびに深さを増し、一週間経った今では過激さが増しているのである。 「ぅ……っ、せんぱぃ、んっ、ふぁ」 「もう立ってらんない?」 「ぁ、ぁ」 「いいよ。ぼくの膝に乗って?」 「せんぱ」 「ほら、おいで」 「……――んう、ふっ」  美しい彼は、言葉やそれを形作る声にまで魅力を持っているようで。口付けをされたら最後、奥寺は抗うことなく、咲麻に従った。  唇を合わせることがこんなにも気持ちいいと知ったのは最近だというのに、咲麻の教えもあり、彼の頬を仄かに色付かせ、息を弾ませるほどには奥寺も応えていた。 「はぁ、もう……」 「終わり? やだな、この唇とは離れがたい」 「ん」 「かわい」 「ぁ……なんか、ぼーっとします……ぅぅ、ん」 「かわいい。感じてるんだね?」 「ぁ、ん」  咲麻の囁く声がくすぐったくて身動ぎをしてしまう。それだけで触れ合った場所が擦れ、奥寺の喉を甘く震わせた。 「おっきくなっちゃったね。苦しい?」 「ふ、だ、大丈夫です」 「本当? ぼくはもう、」  言葉を切った咲麻が軽く腰を突き上げてくる。 「ほら、ね?」 「んや」 「やだ?」 「ちゅーがいい」 「……」 「先輩?」 「ううん。すごくかわいいね?」 「ンぅふ」  ――自暴自棄になっている。  そう理解しながらも、こうするしか考えが浮かばなかった。  今までの純粋さは守るべき大切なものではない。捨てるべきなのだ。  咲麻のキス魔ぶりには助かっている。立林が言うには気に入った人間にはこうするとらしいから、自分と唇を交わらせたとしてもそこに恋愛感情はないだろう。  無論、奥寺にもない。ただ逃げたいのだ。現実から目を逸らして、何もかも忘れてしまいたい。  ……柏木に、好きだと伝えたことも、全て。  柏木と会えなくなったと知った、決定的なあの日から変わったのは奥寺の感情や思考だけではなく、白石との関係性もだ。  気軽に触れ合えるようになった。白石の囁きも、ちゃんと聞けるようになったし、苦しくもない。全部が順調。最初からこうしていればと思うほどに。  そのきっかけは、同じクラスの高宮湊の存在がある。  以前から彼を取り巻く宗田律、夏々城鴻、の四人の関係性に注視していたわけだが、彼らのそれは健全であるとは思えないものらしい。お互いの体を貪るような、(ただ)れた関係。日々の妄想が、現実であったのだ。  それを知った時、奥寺の感情、思考が変わったわけである。  激しい口付けを交わし、咲麻の膝に座ったまま肩口に頭を預けて呼吸を落ち着けていると、しなやかな指が頬を撫でてきた。 「真崎くん」 「ん……咲麻、先輩」 「どうしてまさきくんはぼくを拒まないの?」 「……え?」 「ふふ。ねぇ、どうして? 刹も他のみんなも、ぼくが気に入ったというのに拒むんだよ? 真崎くんだけがこうして応えてくれている」 「……それは」  答えは出ている。現実から目を逸らす為だ。が、咲麻にそのまま話すわけにはいかないと理性が言う。  迷いに迷って、奥寺は返した。 「先輩は? 先輩はどうしてキスして――」 「ちゅーって言って」 「っ……? ちゅ、ちゅーするんですか? こういうのは、付き合ってる人とするものだって……聞いたことが、あります」 「う〜ん、そうだね」  質問で返した奥寺に気を悪くした様子も見せず、逆に奥寺を抱き締め誠実に答えようとしてくれているようで。 「キスが好きだからだよ。気持ちいいし、真崎くんみたいな唇は柔らかいし最高だよ」  恍惚とした声色で紡がれ、どきまぎと体を揺らす。 「そ、そんなに俺の唇はいいですか……?」 「今までで一番、ね」 「そ、そうですか」 「舌も小さくてかわいいし、敏感みたいだからどこ触っても感じてくれて。嬉しいよ? ぼく」 「ん、っ」  ふふっと笑う咲麻に顎を掬われ、短く唇が重ねられる。  ようやく下半身の昂りが消えたというところでの口付けに、ちょっぴり反応を示してしまった。  それを見逃す咲麻ではない。細い指先で太ももをなぞり、もったいぶった仕草で奥寺を翻弄する。 「ぁ、っ」 「これじゃあ、どこ触っても感じてしまうね?」 「ぅっ……あ!」  さす、っと胸を撫でられる。瞬間、突起に指の先が引っ掛かって、びりびりとした感覚が体を走った。初めてのことに眉根を寄せて目の前の麗しい男を見れば、優雅に笑って口に吸い付いてくる。 「んっん……ぁ、ふ、ぅ」 「……ん、ふ」 「んんっ!」 「真崎くん、キスだけでもいけそう?」 「はぁっ、や……待って、ください」 「嫌だ、待たない」 「んあ、ん」  腰を揺らされて、胸の突起を服の上から摘ままれてしまう。  何度も口付けはしたが、そうされるのは初めてであった。 「ん……ふっ」 「直接触らないだけいいでしょう? それとも、触っていい?」 「そ、んなっ……ぁぁ」 「あと、ジャージの下って短パン履いてる?」 「ぇ……は、履いてません」 「残念。次は履いてきてね?」 「どうして……っ?」 「太ももが好きだから」  あっけらかんと言い放った咲麻がはぁはぁと荒い呼吸を吐き出して半開きの奥寺の口を舐め上げる。  それを追って、舌を出し口付けを乞うのは、彼が教え込んだ成果だ。  首に腕を絡めると、下半身の摩擦が強くなり、キュッと突起を引っ張られ、唾液を飲むように舌を吸われた。 「先輩、いっちゃう……!」 「このままする?」 「っ、でもっ」 「いや? ふっ。かわい、かわいいよ」  宥めるように頬から髪を撫で、逃げ道を塞ぐ。  ――苦しくない。高宮のように全てを受け入れ、楽しめばいい。苦しかったことなんて忘れて、咲麻のことも、白石のことも。柏木のことも受け入れるのだ。  気持ちいいことは自分にとって損することではなく、得であろう? 「ぅぅん……っ!」 「っ、は」  じわじわと広がる熱。比例して体感する自身の温度。急激に冷えていく分の温もりを求めるように、隙間なく咲麻に擦り寄った。 * * * 「――なんだか、楽しそうだな。奥寺」 「……え?」  全くそんな気分ではなかったのに白石にそう言われ、浮かべていた表情が固まったような気が自分でした。  白石はそれに気付かず、話を続ける。 「マネージャー、楽しい?」 「え」 「……さっきから“え”って。聞こえてるだろ? 話」 「あ、うん。ぁ、いやでもっ、なんか考えたこともなかったことを聞かれたから……」 「そっか。でも楽しそうだよ、今の奥寺」 「……ふーん」 「なんだよ、他人事みたいに」 「だって! 実感ないし……」  ちょうど通りがかった鏡をちらりと覗いてみるが、別段にやついてるわけではないようだ。心が弾んでるわけでもない。逆に、普段は履かない体育着の短パンをジャージの下に履いているせいでごわごわとして気持ち悪いぐらいなのに。 「あ」  まさか、咲麻との戯れに期待しているのだろうか。 「なに? どうかした?」 「うっううん。今日も練習頑張って」 「……やっぱり他人事」 「なんで! 応援してるのに」  言うと、ユニフォーム姿の白石はじっと奥寺を見つめてきて、微かに口角を上げた。  嫌な予感がした、次の瞬間。 「奥寺の為に頑張るよ」  きゅっと指先を半瞬だけ繋がれて、耳元で囁かれた。  耳を押さえてばっと距離をとれば、白石はけらけらと笑う。 「なっ、なな、何するんだよ!」 「動揺しすぎ」 「は、はぁっ!? だ、誰かに見られたら……」 「見てない見てない」 「し、白石!」  隣に並ぶ彼が目を細める。 「なんだか奥寺えろくなった?」 「!?」 「なーんか色気増し増しって感じがする」 「な、何言ってんだよ」 「……勘違い?」  真っ直ぐな眼差しが向けられ、奥寺は、 「……」  首を縦に振った。 「勘違いだよ、白石の」 「そっか」

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