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番外編:冬に青い春6

* * *  ――嘘を吐いている。  咄嗟にそう思った。  だって知っている。  奥寺と、三年の咲麻が部活を終えた後、どんなことをしているか。  荒い息は走ったからではない、彼は走らないし走れないから。口で言うには(はば)れるいやらしい音と声は、キャプテンである立林が聖域であると言って部員に聞かせている部室で行われていて。  ――何しているんだ!  そう強く入るべきなのだろうが、白石にそうすることはできなかった。  奥寺の気持ちが、少しは理解できてしまうからだ。  咲麻と恋人同士のような行いをしていても、彼らにそんな感情がないことも知っている。咲麻が奥寺を好きになることもない。万が一にも。これは、断言だ。  微かに漏れてくる、白石を刺激して止まない奥寺の声。  奥寺と少しでも一緒にいたいからと、帰ろうと誘いに行ったのが間違いだったのか。誰も好きな人の、まして自分ではない誰かとの睦まじさを目の当たりにはしたくないだろう。  だが、知らない方が良かったなんて思わないのであった。  好きな人のことならなんでも知りたい。把握したい。 「……、」  白石は唇を強く噛み締める。  咲麻と変わることができたら……とは死んでも思わないだろう。その肌に触れることができるのは羨ましいが、浅い関係で満足する自分ではない。  奥寺を、誰にも渡さないと宣言した上で、手に入れたいのだ。 「奥寺、手貸して」  地上に誰もいなくとも月夜が見てる。  迷いも恥じらいも見せず、素直に差し出された手を握って歩き出した白石は密かに決意する。  ――奥寺が変わってしまっても、自分がその奥寺を追って取り戻して見せる。 * * *  咲麻が部活に来ると知った時には、ジャージの下に短パンを履くのが通常となっていた六月。午後から雨が降るとの予報を裏切りそうな晴天下、今日もサッカー部は来る大会に向けて練習を積み重ねている。  それをしっかりサポートする奥寺の評判はなかなかで。今ではすっかり信頼され、部員達とも仲良くやっていた。  それは咲麻とも例外ではなく、彼を追い回して一喝された彼らは――周囲からも仲が良いように見えるのだろう――咲麻の相手を奥寺に任せるようになっていた。  故に、どれだけ二人でいようとも、不審に思われることはない。  咲麻の足はリハビリの甲斐あってか、完治に向けて走り出している。彼も早く体を動かしたいようで。サッカーをしている部員を見る瞳は、誰よりも真剣だった。  部活が終わり、日誌をつける為に奥寺は残り、咲麻もそれをサポートする形で隣にいる。時間が経つにつれ、疲労した部員は一人、また一人と帰っていき、二人だけの空間が出来上がるのも日常と化していた。 「終わった?」 「はい」  書き漏れがないか確認して、日誌を閉じる。 「ルールも覚えるの早かったし、本当に真崎くんがマネージャーしてくれてよかったよ」 「そんな。俺まだまだで……間違えてばっかりですよ」 「そうなの? 気付かなかった。これじゃあ先輩失格だね。分からないことはちゃんと聞いてね? 教えてあげるから」 「はいっ」 「……本当、助かってるよ」  そう言って、咲麻は後ろから抱き締めてくる。 「せ、先輩、鍵――」 「あの女の子達とは全然比にならないぐらい」 「……咲麻先輩?」 「どうして君ともっと早く会えなかったんだろう」 「……?」 「ふふ、これも誰かの悪戯かな」 「ぁ」  裾からお腹を撫でるようにして、ひんやりとした手のひらが這い上がってくる。 「こういう関係、“セックスフレンド”というらしいけど、真崎くんもそう思う?」 「……っ」  回数を重ねるたびに咲麻の指や舌は、奥寺の素肌を這うことが多くなった。熱に飢えているように、貪欲に従順でいることを乞うてくる。 「今日も履いてきてくれたんだね」  はぁ、と熱すぎる吐息が耳殻(じかく)にかかった。  ジャージの下で、忍び伸ばされた指が蠢く。そこで快感を拾うことを教え込まれていた奥寺は、後頭部を咲麻の肩口擦り付けた。 「太もも、好きだって……言ってたからっぁ」 「ぼくを喜ばせようとしてくれたの? 嬉しい」 「ん」 「こっちおいで」  椅子を引かれ、半ば抱えるように一段高くなった畳の上に運ばれる。  すぐにジャージを脱がされ、たくさんのキスマークがついた太ももを晒された。このせいで家では足首まであるズボンを履き続けることになったのだ。 「触るよ?」 「ぅ……ん」  内側の肉を摘まむようにして咲麻の手が太ももに触れる。軽く膝を折られ、足を左右に割られて。間に入ってきた咲麻は、上着のジッパーを下げると見えた首元に唇を落としてきた。 「ぁん、っ」 「んー……柔らかい」 「は、ぁ」 「ぼくは、君のことが好きじゃない。それでも君は、ぼくとこういうことをする気がある?」 「んん」  食べるような口付けを首に施され、奥寺は細めた目で咲麻を見た。 「知ってます、よ。先輩が俺のこと好きじゃないの……俺も、先輩のことは好きじゃない」 「誰かと重ねてるの?」  その問いに、静かに首を振る。 「ただ、忘れたい」 「忘れたいことがあるの?」  今度は縦に。 「現実を忘れたい。全部……俺は先輩を利用してます」 「……ふふっ、いいね。利用してよ。ぼくを壊れるまで利用して。もう誰も助けてくれないところまで一緒に堕ちよう」 「……」 「どうかした?」 「先輩、今日はどうしたんですか? いつもはそんなこと言わないのに……」  見上げると、珍しく苦笑いをしている彼が映った。彼は怒る時でさえ美しく微笑んでいる人物である。そんな咲麻が見せた、珍しい表情。 「ぼくらしくないよね。でも、こういう気分の時もあるんだよ」 「……俺達、セックスフレンドじゃないですよ」 「そうかな?」 「だって、そこまでしてない」 「……」 「そうでしょ?」 「…………ぷっく、くはは! そうだ、そうだった。ふっ、違ったね。……うん、やっぱり君は面白い。君となら、ぼくは生きていられそう」 「生きて……」 「そう。真崎くんはぼくの救世主だからね」 「そんなこと、ないです」 「……謙虚なのも、最初から変わってない。ずっと君はそのままでいてくれ。それだけがぼくの願いだ」 「……」  頷く。  教会で誓い合う二人みたいに、静寂の中、奥寺と咲麻は互いに見つめ合い、それから軽い口付けを交わした。  純愛とはほど遠い、普通じゃない、愛の誓い。  純粋さを放り捨てた今、奥寺は苦しくなく、“楽しさ”を覚えている。……――(たの)しさを。  白石の想いも受け止めている。白石の望みも叶えたら、もっと楽になるだろうか。  奥寺の瞳から輝きが消える。  しかし、それを許さないと、再度煌々(こうこう)とした輝きが奥寺の沈んだ思考を呼び覚ますのである。 「……――……」  その名前を、奥寺はしっかりと憶えている。顔も、優しい双眸も、柔和な笑みを形作る唇も、耳も、ふわふわな髪も。自分の名前を呼ぶ、声も。 「――奥寺くん!!」  息を切らして、肩で呼吸をしている彼を見間違えようもない。 「どう、して……」  柏木。彼の姿が再び、奥寺の目を覚ました。  暑い夏の日の、不安定な天候に翻弄される雷雨の中である。

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