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番外編:冬に青い春7

* * *  数週間前。  奥寺真崎という人間を捨てていく友人の欠片を繋ぎ止めるべく白石が考えた結果、するべきは突然消えた書店員の柏木を探すことだと思った。奥寺から大体の経緯を知らされていた為、奥寺が柏木が消えた現実を忘れようと咲麻に夢中になろうとしているのだと分かっていた。咲麻を心から好きではないなら、それは望ましくないし、後になって傷付いていると気が付くのは奥寺自身である。それを見るのは嫌なのだ。あの時、こうなると知っていながら見て見ぬ振りしたと白石も後悔はしたくなかった。  しかし、手がかりがあるわけではない。会ったことも初詣の一回きりで、喋ったことはないと言っても過言ではない。  そんな自分が果たして柏木を探し出せるのか。  不安だらけだが、奥寺の為にも必ず柏木を見つけなければならない。 「――すみません」 「あ、はい」  歳が近そうな店員に声をかけた白石は、はっきりとした声音で訊ねた。 「こちらで働いていた柏木さんを探してるんですが」  手がかりがないなら、手がかりをも探すしかない、と。奥寺が懇意(こんい)にし、柏木が働いていた書店に赴いたのだった。  始まりはここからである。 * * * 「辞めた人のことをとやかく言うわけには……」 「そこをなんとか。どんなことをしても柏木さんに会いたいんです」 「いやぁ、でも……」 「突然辞められてしまったんですよね? 連絡先とか、もう繋がらなかったんですか?」 「俺はそこまで、ちょっと」 「連絡先、教えてください」 「えー……」  アルバイトらしい涌井という男は、困ったように頬を掻く。周囲に視線を泳がせているのは、誰かに助けを求めようとしているのかもしれない。  そう思い、より一層、白石は相手との距離を詰めた。 「お願いします」 「……」  しばらくして、涌井は小さく息を吐いた。 「柏木さんって人気者なんですか?」 「え」 「君の他にも柏木さんを訪ねてきた人がいたんですよ」 「! それって、奥寺……?」 「お知り合いですか」  驚いた表情をして、肩を竦める涌井は頭を抱えた。 「男子高校生に人気のおっさんって何者……」 「で、連絡先は教えてもらえますか?」 「……本当はダメなんですよ、個人情報を勝手に開示するのは。これは、俺の独断なんで。お店は関係ないって、思ってくれますか?」 「はい、必ず」 「じゃあ……俺個人の、携帯に登録してる番号、教えます。その前に、」  こちらを探るような視線が向けられる。 「柏木さんとはどんなご関係ですか」 「ぇっ。…………柏木さんの、こ、恋人の……弟です」  咄嗟に口を突いて出た言葉。ありきたりな設定だったかと口を閉じた次の瞬間、涌井が思わぬ反応を示した。 「恋人……それって五年前に亡くなったっていう、婚約者の?」 「え」 「あっ、す、すみません。偶然聞いちゃって……えっと、連絡先ですよね」  慌てた様子でポケットから携帯を取り出そうとする腕を白石は素早く掴む。 「うわ、な、なに」 「その話、詳しく聞かせてください」 * * * 「柏木さんは優しくて、男でもああこの人いいなって思わせる人で。だから婚約者がいるって聞いた時には全然違和感なかったです。ただその話をしていたのは柏木さんがまだ勤務中で、確か……牧田、とかいうお客様と話してましたよ。話からするに、牧田さんは婚約者の親族? 何か関係があるらしくって。ずっと柏木さんをきつく責めている様子でした。その婚約者……あー、“きょうか”さん? を殺したのが、柏木さんだって牧田さんは言ってて。仕事だからと柏木さんが言っても、牧田さんは全く引かなくて。ちょっと裏でも騒動になったんですよ。だから、柏木さんが辞めたのもそれがきっかけで、責任とったんだと思います」 「盗み聞きに値するぐらいの情報量なんですけど」 「うわわっ、しーっ!」  思わず、アンタがだよと突っ込みを入れてしまった白石だったが、聞き耳を立てて仕入れたらしい彼の話は興味深かった。  それに涌井の考えは的を射ているに違いない。 「これからどうする、とか話はなかったんですか?」 「う〜ん、特には。最後に話した時には伝言を頼まれただけで」 「伝言?」 「ほら、さっき話したでしょ? 奥寺くんにって。柏木さん、一人のお客様と親しくしてたみたいで。もう会えなくなるからって、さよならの伝言を」 「それ奥寺に伝えたんですか?」 「はい、もちろん」  だから奥寺は自分を捨てはじめたのだと、初めて合点がいった。ただ書店にいない悲しみと、間接的に別れを告げられる悲しみでは段違いの衝撃だろう。 奥寺を思って、自分は電話番号が書かれた紙の切れ端を涌井から受け取った。 * * *  書店を出、早速その番号にかけてみる。  呼び出し音が鳴る。使われていない可能性を危惧していたが、ひとまず糸はまだ繋がっていると安心した。  異様に長く感じた。留守番電話に切り替わる気配もなく、ただ一定のリズムを刻む呼び出し音を片耳に聞くこと十数秒。ぷつっと通話状態へと移行した。 「もしもし」  すかさず問いかけ、様子を窺う。  一拍開けて、男の声が聞こえてきた。 《どちら様ですか》  どこか冷たさを感じる声色。刺々しい調子。強張っているようでもあって、元気がない。  初詣の時とは全く正反対な印象を与えてくる声に自ずと緊張しながらも、白石は慎重に言葉を選んだ。ここで切られては全て終わってしまう。 「白石、と言ったら分かりますか? 柏木さん」 《……どうして君が》 「良かった、覚えててくれたんですね。まぁ、あれだけ失礼な態度をとったら記憶に残りますよね」 《何か用かな。君に電話番号を教えた記憶はないけれど》 「書店に行って、涌井という店員に聞きました。半ば、脅して。訴えるなら俺を訴えてください」 《……訴えないよ、それぐらいで》  ちゃんと受け答えしてくれている。切られる心配はないかと頭の片隅で考え、白石は歩きながら話すことにした。視線は偶然を引き寄せないかと、目的の人影を探すようにあちこちへ向ける。 「今、どこにいますか?」 《……教える義理はないかな。君に教えたら、彼にも伝わるだろう?》  僅かに、声が柔らかくなる。 「俺が会いたいと言ったら、会ってくれますか?」 《ふふ、何かな》  が、弱々しい笑い。 「奥寺は関係ありません。俺が柏木さんに会いたいんです。会って話したいことがあります」 《謝罪だったらいいよ? 僕は別に怒ってない》  微かな拒絶。会いたくないと言ってるのも同然の答えか。  白石は携帯を握る手に力を込め、口説くことに集中した。しようとしたのだが、先に柏木から紡がれた言葉は想定外のものであった。 《東京を離れることにしたから。もう、駅に向かってる》 「……は」 《奥寺くんにはちゃんと挨拶したし、思い残すこともない。君にバレちゃったから番号も変えなきゃダメかな》 「ちょっと、待ってください……待って」 《電話、切るね?》 「まっ……」 《さようなら》 「――奥寺に言う言葉なんじゃないですか!?」  一か八か。人の目も気にせずそう叫んで、聞き耳を立てた。  電話特有の、通話が終了した合図は聞こえない。  柏木とまだ繋がっているのだ。  無言だが、端末の画面は確かに秒数を重ねている。 「柏木さん。それ、奥寺に言う言葉ですよ」 《奥寺くんにはちゃんと伝えたよ》 「柏木さんが直接? 違いますよね? 他人に伝言なんて頼んで……それで伝えた気ですか」 《……》 「奥寺の気持ちは――」 《ごめん、もう切らないと》 「――婚約者の方、亡くされているそうですね」 《っ、どこでそれを》 「情報源はどうだっていい。とにかく俺は、柏木さんと会って話がしたいんです。お願いします。どこどこに来いとは言いません。俺が行きますから、話、させてください」 《……君に迷惑がかかるかもしれない》 「覚悟します」 《僕は、もう……誰にも会うべきではないと思う》 「お願いします。俺は何があっても柏木さんに会いたいんです」 《…………東京駅で待ってる。時間が許す限り待ってるよ》 その言葉を最後に、白石はタクシーを求め走り出した。

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