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番外編:冬に青い春11
* * *
先程まで晴れて暑かったというのに、発達した雲が陽光を遮り、遠くで雷が鳴り出した。
「せ、先輩……っ」
なんだか放課後の部室に白石とキャプテンである立林が残ることが多く、恒例の戯 れがおあずけとなっていた今日この頃。一週間に渡り、咲麻とは会って話す、という状態が続いていたせいなのか。帰り道を一緒に歩いていた咲麻が立ち止まり、たくさんの人がいるというのに奥寺の手を掴んできた。指を絡め合うように繋がれて、焦る。
「さすがにここじゃ……!」
キュッと痛いぐらいに力を込められ、体を引き寄せられてしまう。
「先輩っ」
やがて、雨が降ってきた。雨脚は容赦なく強まり、周囲の人間を急がせる。あっという間に地面を染みだらけにし、一色に染め上げた雨は奥寺と咲麻も濡らしていく。
何故だか、咲麻は動かない。
「どうしたんですか」
「――キスして」
「え……」
「ぼくが嫌いじゃなかったらキスして」
唐突に飛び込んできた言葉を脳が処理しきれないでいる。
「ど、どうしたんですか……急に」
「真崎くん」
美しい男が、雨に濡れながらこちらを見つめる。その様は、卑猥という言葉を遥かに越え、耽美であった。
「っ……」
街中だ。誰が見てるか分からないし、写真を撮られ、ネットにあげられるかもしれない。顔から名前や学校まで明るみに出て、次の日には好奇な視線に晒される――そこまで未来が脳裏を駆け巡った。
がしかし、奥寺は吸い寄せられるようにして咲麻との距離を縮めたのだ。
公共の場なのに惹き付けられるようにして首に手を回し、足りない身長を埋めるように爪先で立つ。雨が顔に当たり、服に染み込んで異様に体が重たい。
「キス、して」
「……」
壊れたロボットのようにそればかりを繰り返す咲麻の目は、いつものように奥寺を見ていなかった。
それでも奥寺は瞼を伏せ、唇を近付けていく。
フラッシュのような光が瞬き、轟音が空に響き渡った刹那。
「――奥寺くん!!」
その声が聞こえた。
「……柏木、さん?」
一度も忘れなかった、優しい声。
するりと咲麻の肩から奥寺の腕が滑り落ちる。奥寺の意識は、全て聞こえてきた声に一瞬にして奪われたのであった。その時から咲麻の存在が消え、声の主を無意識に探す。
「柏木さんっ」
「奥寺くん、」
雷鳴が轟く雨の中、互いに相手を認識する。視線が繋がった瞬間、奥寺の足は泥の中を動き出すような緩慢さで前へ一歩、歩みでしかなかったそれがだんだんと早くなり、最後には見えた人影に向かって走り出した。
「柏木さん!」
もう会えないと腹を括っていたのに。今眼前に現れたのは、柏木本人ではないか。
「良かった、奥寺くん」
伸ばされた手に掴まれる。それぐらいの距離を感じて、奥寺は堪らず泣きそうになりながら柏木を仰ぎ見た。
「……」
「……」
しかし、続く言葉を見つけることができなかった。柏木を忘れようとすることしかなかった奥寺は、思っていた言いたい言葉さえ失っていたのである。彼を責める立場にはない。それほど彼のことを知りはしない。
不意に、
「っ!?」
痛い。そう言葉が出そうなほどの力で腕を掴まれる。
「奥寺くんが、こんな僕を好きだと言ってくれたこと……嬉しかった」
「……!」
「すごく嬉しかったんだよ。すぐに返事ができなくてごめんなさい。直接、さよならも言えなくて」
「か、かしわぎ、さん」
ふわふわな髪の毛がしんなりとし、書店で会う時は身なりがしっかりしているのに、無防備な彼が新鮮で。
二人、雨に濡れながら、急いで通りすぎていく周囲の騒がしさも遠巻きに、ただ互いの声だけに耳を傾ける。
「君を悲しませるかもしれないと分かっていながら、僕はこうするしかできなかったんだ」
「で、でも、会いに来てくれたんですよね?」
「うん。だって――……ぁ、」
「? 柏木さん?」
言葉を途中で止め、何かに気付いたような短い声を発する柏木。訝しげに首を傾げている奥寺に目を向け、微笑えむと頭を振った。
「ううん。またこうして喋ることができて良かった」
「でも、どうして柏木さんがここに?」
「奥寺くん」
真剣な呼び声に奥寺は反応する。
「僕は、君のことが好きです」
「……っ」
目を見開く。
「けれどお付き合いをすることは考えていません。それは大人としての事情が色々あります。奥寺くんとの歳の差や広く言えば体面、若い君にはまだ知らないことがあって、今見てる世界は人生のほんの一部でしかないと思います。他に素敵な人もたくさんいる。僕に囚われず生きてほしいとも思います。奥寺くん」
腕を掴んでいた力がふっと抜ける。慰めるように上下して、離れていった。
「ありがとう。それを伝える為に、僕はここにいるんだ」
再会に喜ぶ間もなく、気付かされる。これはやはり、お別れの挨拶であったのだと。
「――それで全てを終わらせた気かな、柏木輝行」
ざあざあと降り頻る雨はまだ止みそうになく。奥寺が知らないその声が聞こえたのもほとんど偶然で、必然とも言えた。
「牧田さん……」
柏木が、覚悟を決めたような声で、その神経質的な男の名前を呼んでいた。
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