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番外編:冬に青い春12

* * * 「――……たぃ」 「……」 「ってば……」 「…………」 「痛い!」  そう声を荒らげた咲麻にようやく彼は現状を理解したのか、ぱっと腕を離す。 「ご、ごめん」  雷と共に雨脚も強くなってきている。  咲麻の脳内は混乱極みにあった。  いつもと同じ風景だったはずだ。奥寺と一緒に帰って、そのままばいばいと手を振る――十数分前までは確実にその道を辿っていた。が、時間の経過した今では、何故か立林刹が目の前におり、状況を把握する前に“あの場”から連れ出したのである。その力は強く、抗えなかった。  言うなれば、予感はしていたのだ。  目の端に立林と似た背格好の人影を視認した時、既に。それは見間違いではなく、立林本人であったが。  奥寺に公衆の面前で口付けを乞うたのも、それが理由だったりする。  ――確証がほしかった。誰か一人は、自分のことを好きでいてくれる確証が。  しかし、貰えずじまいだ。  故に、咲麻はすぐにでもここから離れたい思いでいっぱいだった。  立林が現れた理由は分かる気がしてならず、予測できる事態に脳が警告音を発している。 「傘も差さないで何してるの、サクちゃん」  少し、咎め立てた声音。 「刹も同じでしょ、そんなの」  人通りも少なくなってきた道のど真ん中では、立ち止まる二人に迷惑そうな目を向ける人はいない。それなのに刹は躊躇ったのだろう。 「サクちゃんこっち」  先程とは比べようもない優しさの塊で掴まれた手を引かれ、近くの路地裏に連れ込まれる。それでも雨粒は降り注ぎ、両側を建物に遮られているせいか、より薄暗かった。 「なに、刹。こんなところに連れ込んで」 「オレは、サクちゃんを怒る資格ある?」 「刹に怒られるようなこと、してないつもりだけどね?」 「うん、そうだね。怒られるのはオレの方かもしれない」 「自覚あるんだ、性格悪いよね」 「サクちゃん、オレは――」 「もう過去のことなんだからさ、今更ほじくり返さないでよ」  咲麻はそう言い、奥寺に見せなかった冷笑を浮かべる。  見慣れているであろう立林の顔は苦渋のものとなった。 「でもちゃんと返事を、」 「ぼくは望んでない」 「……サクちゃん」 「もういいよ、刹。忘れなよ、あんなこと。ぼくは新しく好きな人見つけたから」 「それって、奥寺くん?」 「そうだよ。彼、すごくかわいいんだよ。ぼくのこと好意的に見てくれて、絶対に気持ち悪いって言わない」 「……っ」 「別に刹を責めてる訳じゃないよ。でも終わったことを持ち出されると、どうにも……。ね? せっかく友達として、仲間としてぼくが部活に戻るのを待っててくれるんでしょう? ならそれを貫いてよ。情けなんていらないから」  睨み、追い打ちをかけるように、言う。 「刹のことなんてとっくに嫌いだ」  だが、立林は傷付いた顔をしながらもはっきりとした言葉を紡いできた。 「本当に、終わったことなの?」  その言の葉に、咲麻は舌打ちをする。奥寺が見たら驚くだろうなと思いつつ、彼を呼んでいた人物を思い出して内心苦笑した。  ――いつだって自分は神に見放されている。 「サクちゃん、こっちを見て」  自然と足元に落ちていた視線を掬われる。 「サクちゃんは勘違いしてる」 「は? ぼくが?」  悪者は立林だというのに自分が責められている気がして、とうとう咲麻は立林の胸ぐらを掴んだ。  しかし、 「んむっ?!」  逆に引き寄せられる形となった咲麻の唇は、食べられるようにして立林の口に覆われる。 「っ、な、なにすんだよ!」  思わず飛び出た乱暴な言い種も次には立林に食われる。吐く悪態ごと立林の中に取り込まれて。 「ん、ふ……っ」  が、そこで靡く咲麻ではなかった。我が物顔で入り込んできた舌を噛んでやる。 「いっ!」 「……は、ざまみろ」  汚い言葉を吐いて、ぎろりと相手を睨む。  今更。そんな単語が咲麻の全身を支配した。  しかし、血が出るほど手酷い扱いを受けたというのに、立林は怒ることもこの場から立ち去ることもしなかったのである。痛むだろう舌を口の中に隠し、手のひらで覆うも、決して瞳は咲麻を睨んでいない。ただただ悲しそうに細められている。 「痛すぎて泣きそうなの?」  優しくないことを言ってしまう。  それでも立林の態度は変わらない。 「自業自得じゃない? 噛み千切られなかっただけましだよ」 「……っ」 「これ以上、友情にひびを入れることないでしょ? 明日になったらいつも通り、仲間でいて、何も知らない振りをする。簡単だよ。刹がずっとそうしてきたことじゃないか。ね?」 「オレが、」 「もういいって。帰る」 「――オレが女の子と遊ぶようになったのは咲麻が好きとか言うからッ!!」  雨にも負けない大声を張り上げる立林。  驚いて、咲麻は去り損ねた。 「どうしたらいいか分からなかった……! オレはずっと咲麻のこと友達だと思ってて……なのにキスして、えろい目で見てるなんて言われたら分からないよっ」  意図せず得た彼の本音だった。  彼は泣きそうなままこちらに手を伸ばし、動けないでいる咲麻の両手をしっかり握ってくる。 「逃げたのはオレだけど、咲麻のことは一度も嫌った覚えはない!」 「好きと言われたこともないよ」 「っ……なんで分かってくれないの」 「ぼくをこんなふうにしたのは、刹だから」  心が冷めているのが自分でも分かった。奥寺と一緒にいる時間はこうではなかったのに、立林を前にすると燃え上がっていた何かが急に煙を立てて消えてしまうのだ。  眼前の男はどうしたらもう一度燃え上がらせることができるか、と考えを巡らせているらしいが。 「咲麻」 「……」  普段とは違う呼び方に何度も首筋がちりちりとする。頬に張り付く髪が煩わしく、けれど手は使えない。 「どうしたらいい…………?」 「ぼくに聞かれても困るんだけど」 「……」  燃え上がっていた何かは【復讐心】で。  好きだと言ったのに何とも言わない彼に失望して、だが気丈であると証明したかったのだ。プライドである。それもどこまでも小さい。  自分は落ち込んでない。むしろ幸せだ。  そう立林に証明するよう、咲麻は立林が女の子と親しくなるに比例して、気に入った人物の唇を奪うようになった。女でも男でも、年齢に構わず、好みだと思った人間には挨拶代わりにしてきた。顔が人よりよかったせいか、拒まれることは稀で、それを知った立林の反応を見る限り、咲麻の思惑は成功したのである。  気にしてない。あの告白はなかったことにしてくれていい。  引きずりながらも、ようやく咲麻を想う感情が薄れてきたというのに……彼は何を言ったか。 「刹の言葉が、どれだけぼくを苦しめてると思う?」 「え」  好きだと言ってくれるならいいじゃないか。きっと誰かしらはそう言うだろう。自分もだと同意を示せば、上手く収まる。  だが、違う。違うのである。 「誰に何を言われたの?」 「……それは……」  躊躇う姿を見て、嘲笑が浮かぶ。  やっぱり。 「やっぱりそこに刹の意思はなかったんだね」 「! さ、さく――」 「本当にいいから。ぼくが好きだって言ったことも、変なことを言ったのも忘れて」 「忘れるなんて、」 「忘れてってば!」  今度は咲麻の番だった。雷が落ちると同時に叫んだ声は案外街に響き、一瞬で雨の音に混じる。 「分かってる。刹はなんだかんだ優しいから、ぼくを拒めない。だから遠回しに女の子と付き合ってぼくから目を逸らそうとした。今日だって、こうしてるのは誰かの入れ知恵でしょ? ……真崎くんをぼくから遠ざけようと、してるんでしょう?」 「咲麻……」 「図星? ぼくは馬鹿じゃないよ」 「もうオレのこと、好きじゃないの」  その弱々しく雨にかき消されるほど呟きを聞き逃すことができれば、どれだけ幸せだったことか。しかし、悲しいほど立林の声に敏感になっている耳はしっかりと、言葉の輪郭まで捉えていた。  ――好きって何だろう。 「オレは、オレは……!」  次の瞬間、咲麻の体は立林のスポーツマンらしい筋肉質な腕に包まれていた。 「いきなり、何」  驚きはしたが、咲麻の心は動かない。  それは承知済みなのだろう。彼は離すまいとまたもや力を入れてきて、咲麻を腕の中に閉じ込める。 「こうされて何を感じる?」 「何をって……体温」  雨に打たれ続けているせいか、体温が奪われているらしかった。濡れた服は冷たいのに押し付けられるようにして触れた箇所からじんわりとした熱を感じて、意識したら最後、つい擦り寄ってしまう。 「他には」  嬉々とした調子に眉を潜めながら、立林の言葉に従って探す。  温かい。その他に。 「刹の心臓の音が、すごい」 「どうすごい?」  耳を澄ます。押し付けた片側だけ雨音が遠くなり、鼓動を刻む音だけが流れ込んできた。 「どきどきしてるよ。秒針よりきっと早い」 「うん、そう……サクちゃんが側にいるから、抱き締めてるからだよ」 「……」 「オレは女の子が好きだよ。可愛いし、柔らかいし、いい匂いがする。でもね」  更にぎゅうっと抱き締められる。 「同じぐらい、サクちゃんとこうすると、心臓がどきどきする。痛いぐらいだよ。サクちゃんに嫌いって言われるとショックだし嫌だと思う。オレの行動はサクちゃんを傷付けた。今になって遅いって思うかもしれないけど、償わせてよ」 「……どうやって」 「女の子と付き合うのやめて、サクちゃんのこと考える」 「ふ、そんなことできる? 女の子のお尻ばっかり追いかけてたくせに」 「だからそれはサクちゃんに言われたことが受け入れがたくて……あ」 「あーあ、可哀想。本当に遊んでただけだって言うの? 彼女たちは刹のこと本気で好きだったからあんな修羅場にまでなったんじゃないの?」 「あ、あー…………うん、そうだよね」  ――好きって、何か。好ましく思うってどういうことだろう。 「刹」 「うん? ん……っ!?」  気付けば好きだったなんて、不思議な感覚で。好きになったら変なところで心臓が忙しなく動くから、余計に相手を意識してしまう。  好きだと口走ったのは、堪えきれなくなったからだ。分からない感覚の、好きという感情に翻弄されてる自分。その時ばかりは、自分のことを思って行動してしまうらしかった。  咲麻は首に手を回し、刹の唇を奪うと、水滴ごと咥内に舌を押し込んだ。噛んでしまった舌を労るように優しく、雨にも負けない水音を奏でてねぶる。  伏せ目がちに刹の様子を窺えば、同じく目を細めて咲麻を見下ろしていた。  女の子とするのと、どっちがいいだろう。  そんなことが思考回路を掠めて、動きが緩慢になった舌をじゅっと吸われた。 「ん、ん……っふ」 「サクちゃん、」  ――心臓がいたい……。 * * * 「ぶぇ、くしゅっ」 「……」  無言で訴えれば、刹は慌てて弁解する。 「だ、だって寒いじゃない! どれだけ雨に濡れてると思ってんの」 「ぼくだって寒い」 「こんなこと、してる場合じゃないね、はは」 「照れてる」 「やめて! 自分がキモく感じる!」 「……」  小降りになった雨は雷を遠ざけ、薄暗かった細道にも陽を照らそうとしていた。  しかし、何分も雨に打たれていた二人はまさにずぶ濡れであり、動かなくても髪の先やら服の裾から雫が滴って体はとっくに冷えている。夏に足を突っ込んだ季節とはいえ、このままでは風邪を引くだろう。 「帰る」 「え……ちょっと!」 「何」 「待って。このままばいばいしたらうやむやになって終わりそうな気がする」 「……はぁ」 「なにその溜め息っ」  咲麻は色気たっぷりに濡れ髪をかき上げ、ちらりと視線を送る。 「ぇ、あ……な、なに? なんかすごくえろいんだけどっ」 「はあぁ」 「ちょっと!」 「ぼくはとっくに気持ちを伝えてるのに、刹は遠回しに言うだけ? 償いってどういう意味? 好きじゃないけど、ぼくに同情したから付き合ってくれるって?」 「……え」 「刹の言い方、どんなふうにだってとれるよ?」 「サクちゃん……オレは、サクちゃんのこと大好きだけど、それは友達や仲間としての大好きだ」 「……うん」  分かっていた答えを目の前で言われ、先程とは違う意味で胸が痛んだ。覚悟はしていたのだが、相当自分は立林を想っているらしい。 「“今はまだ”」 「……?」 「今はまだ恋愛感情はない。だから、えっと……意識、してみる」 「無理にすることないと思うよ?」 「無理じゃない! オレがそうしたいんだよ、サクちゃん。だってキスは好きな人じゃないとできないって言うじゃない?」 「ぼくはできるけど」 「ちょっと!! サクちゃんは気に入ったヤツとするんでしょ、全然興味できなかったらしない。そうでしょ?!」 「……」 「そうだ、奥寺くんはどうなの? 最近仲良いみたいだし、その……き、キスする仲なんでしょ?」 「なんでそこで恥ずかしがるの」 「だって……!」  咲麻は息を吐き出す。 「きっともう、真崎くんとはどうともならないよ」 「どうしてそう言い切れるの?」 「本当に好きになりそうだったけど」 「エッ」 「彼には他に好きな人がいるみたいだからね。ぼくが入り込む余地はないよ。言ってたんだ。ぼくのキスを受け入れるのは忘れたいからだって。ぼくを利用してるって……利用してるのはぼくの方だと思ってたけどね」 「……サクちゃん」 「何」 「オレが意識するんだから、サクちゃんも意識するんだよ?」 「……なんか刹の言葉だとは思えないね、それ」 「オレの言葉だよ! だからっ。……キスとか、軽々しないでよ」  僅かに唇を尖らせてそう言う立林は視線を泳がせて落ち着きがない様子だった。  咲麻は素直に驚く。 「やきもち?」 「ち、ちがっ……くなくもない」 「どっち?」 「いぃ、いいからっ! とにかくオレの許可なしにキスしないこと、いいね!」 「……欲求不満になる」  半分冗談のつもりで呟いたつもりだった。半分ということはもう半分は本気なのだが、唇を重ねる行為は好きなのだ。キス魔、というのはあながち間違いではない。気に入ればキスしたくなるし、酸素のように欲するものだ。  それを間近で見てきた立林である。咲麻の呟きを本気と受け取って戦慄した表情を浮かべ、慌てて首を振る。 「だめだめダメ! するならオレに! ねっ」 「……気持ち悪いんじゃなかったの?」 「だからそういうんじゃなくて……あの時は本当に戸惑っただけなんだ。ごめん、サクちゃんを傷付けるつもりはなかったんだよ」 「……そう」 「あれ、許してくれる?」 「ううん」  即否定をした。 「ぼくは怒ってるんだ。ご機嫌とり、楽しみに待ってるよ」 「んんん?」 「言っておくけど。追い回したこともまだ根に持ってるから、ふふ」 「わ、笑いながら言うことじゃない!」 「はっはっは」 「サクちゃんっ」 「……ありがとう。ぼくを嫌わないでくれて」 「きっ、嫌いになるなんて、ないよ、そんなの」 「じゃあ、温かいレモンティー」 「じゃあ!? じゃあ、って?!」 「ご機嫌」 「それで機嫌直してくれるのっ? よし、すぐ買いに行こう」  太陽が顔を出して、濡れた路面をきらきらと輝かせている中を立林に引っ張られながら歩く。まばらではあるが人通りも戻ってきているというのに、手を繋いでいること彼が気にする様子は全くない。教えるべきか、否か。 「……馬鹿だなぁ」 「え、何か言った?」 「ううん、別に。何も言ってない」  好きという感情が何であるか。答えは早々に得られるものではないようだった。  いつも通り、戯れに過ぎなかった奥寺との関係を本気にしようとしていた自分も確かにいて。だが、立林が希望を提示してくれた今、それは透明に近いほど薄れてしまっている。  その好きは嘘だったのか、と問われると、果たして好きとは何かという疑問に直結してしまうのだった。  好きは浮気性なのか?  考えても分からないことである。どうすれば分かるかも謎だ。  ならば、これはハッピーエンドなのか。そう問われれば、咲麻は否定するしかないだろう。  終わり良ければ全てよし、なんて先人の言葉は未来に生きる人間を救うかもしれないが、最後が善であってもその道中には悪や犠牲といったものが必ず存在することを知ってしまっている。  自分の感情を誤魔化す為に誰かを利用するのは非難されるべき行動だ。  これはハッピーエンドなんかではない。  自分一人がたとえ幸せだとしても、関係を結んだ全員に幸せが訪れなくてはハッピーエンドと言えないのだ。

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