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第9話

翼は最初、よく意味が分からないというようにきょとんとしていた。 重い告白の後で、気持ちが沈んでいたから。 「な、なんで…? 僕の話に興奮したんですか…?」 「あのな。俺は誰彼構わずサカる男でも、変態でもねーよ。お前のことを抱きたいのは、俺の意思だ」 「で、でも、どうして僕を…似た者同士だからですか」 それは否定できない。 お互い、きょうだいに好きだった相手を取られて、恋の痛手を味わっている。 だが、苑の気持ちは違った。 「そうじゃない。ずっとお前が好きだった。頭ン中がお前のいやらしい妄想でいっぱいで、そのたびドーテーみたいにお前を汚すようだと思って、苦しかった。でも今は違う。まだギリギリ、お前が嫌だって言ったら、我慢できそうなくらい」 翼は目を見開いて、潤ませた瞳で苑を見つめている。 唇がわずかに開いて震えていた。 「お前が欲しい。お前を愛したい。ふたりで気持ちいいこといっぱいして、」 翼の涙がポツリとこぼれた。 「一緒に裸で抱き合って眠りたい」 苑は自分が、張りつめていることに気づいていた。 「こんなこと、今しか言えねぇよ」 翼は目を見開いて、言葉を失った。 「――」 「嫌か?」 ひきつけを起こしたように、翼がしゃくりあげながら言った。 「い、いやなんかじゃ、な、い……僕だって、ずっと…苑、…さんと、」 いくつもの涙の粒が、翼のまなじりから溢れ、頬を滑り落ちていった。 「したかっ…、たんです……」 苑は濡れてしまっていた翼の服をひとつひとつ脱がすと、翼のことをバスタオルでくるんだ。服を脱がされながら、頬を赤く染めた翼の体が、細かく震えていた。苑は自分の服を脱ぎ捨てた。 「持ち上げるぞ」 翼を抱きかかえて二階の自室に連れてゆく。階段を上りながら、自分の心臓の音が信じられないくらい激しく鼓動して、翼の細い指が、ひんやりとして苑の肩につかまりながら、小刻みに震えているのを感じた。 自室に入って、床の上に散らかりっぱなしの余計なものを足でさばく。 ドアを閉め、自分の胸に翼の体をもたれさせると、ベッドの夏掛けを外して、そこに翼を横たえた。 「寒いか?」 「は、はい…」 「すぐにあっためてやるから」 泣きじゃくっていた翼の顔が、羞恥で真っ赤になる。 なんて美しい光景だろう。 そんな風に思った苑は、苦笑した。 セックスが美しいなんてはずがないのに。 ずるいよな、翼。 お前だけ何の穢れもなく、きれいなままなんて。 ずるいよ。 流されてゆく。 すべてのものが。 翼がとらわれていた過去の枷も、苑と翼の壊れた恋も、なにもかも。 強い花の香りのような、そして乳のような、幼子のような体臭。 翼と初めて出会ったときにかいだ、あの匂い。 いま、翼の胸元から、強く香りを放っている。 苑は深呼吸して、その香りを肺に満たした。 愛している。 何度もそう言いながら、ゆっくりと時間をかけて翼を愛した。 二人で入ったシングルベッド。 くっつくしかない。 夜の中で、風にあおられた鉄線の、軋んで哭くような音がした。 夜空にはおぼろな半月が浮かび、二人をやわらかに照らし出す。 翼は泣きはらした瞼を安らかに閉じ、眠っている。 なぁ、翼。 翼。 あいつのこと、忘れられなくても、俺は待つから。 おまえのこと、待つよ。 あんな声上げたのも、あんなカオして見せたのも、偶然じゃないだろ? そう思うから。 愛しい人のさらさらとした黒髪を梳いてやり、苑は心の帰宅しないことにようやく気が付いた。 あのエロ兄貴、ついに朝帰りか…。 おめでとう。 苑はそう心の中でつぶやくと、翼の体を包むように抱き寄せた。 翌朝のこと。 苑が目を覚ました時も、翼はまだすやすや寝息を立てていた。 翼を無理に起こすまいとして、そっとベッドを降り、部屋を出た苑は、階下の物音に気付き、玄関にいた心と対面した。 「おはよう」 「はよ。てか健は? 」 「おうちまで送り届けた。お前こそ、翼君は? 」 「まだ寝てる」 「……。そうか」 「うん」 「よかったな」 「そっちこそ」 「ああ……」 なんだか今頃になって照れてくる。 心は如才なく、ほんのりと笑顔をたたえている。 やっぱ兄貴はムッツリだよなぁ……。 「翼君が起きるまでまだあるなら、ちょっと外で時間つぶすけど」 「…いや、翼は兄貴のこと割と好きみたいだから。いてくれていいけど、俺が送っていくから」 「そうか」 このやさしさが曲者だよな。 でも、そんな兄貴の弟でよかったって思うとき多いけど。 そんな風に思うようになったのって、いつからだろう。 なんだか最近みたいだ…。 苑は翼の服を乾燥機に入れて、軽い朝食を用意した。 玄米パンの野菜たっぷりの卵サンドと、それに大きなキャニスターに山盛りのサラダ。 あれ、翼って嫌いなものないって言ってたけど、アボカド食えるかな。 苑は幼いころアボカドが苦手だった。 もし嫌い、って言われたら、俺が食ってやろ。 自然と笑顔になってしまう。 なぜ、こんなに気持ちが安らぐのだろう。 苑は今まで感じたことのないような、確かな温かみを感じていた。 ただ恋人を抱いただけ。 それだけなら無数の思い出がある。 翼の鎖骨。 翼のうなじ。 翼の……。 俺のものになった。 いや、翼はものなんかじゃない。 なんで顔がほころぶのだろう。 なぜこんなに幸せなのだろう。 兄貴は健と、こんな幸せを分かち合っていたのかな。 なら、二人は出会えてよかったのだ。 そんなやさしさを、自分がずっと失っていたこと、そのことに苑は気づいた。 遊んだり、遊ばれたり。 ゲームのような恋。 兄への嫉妬。 好きな人が幸せになるのに、素直になれない自分。 それが終わる時が来るなんて…。

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