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1年ほど前 -1
その日の僕はすこぶる機嫌が悪かった。
というのも、お気に入りだった“菖蒲 くん”という男の子から、もう会いたくないと言われてしまったから。
『中和剤』まで渡してしまったので、今後も会うことはないだろう。実に惜しかったが、本人の意思までは操作出来ない。
僕は、副業で“薬剤師もどき”をやっている。
取り扱っている薬は、もちろん正規の医師から処方されるようなものではなく、もっと“精神的”に役立つものだ。
その薬を使用すると、ハイになって、面白おかしい幻覚の世界で、一定時間を過ごすことが出来るようになる…のらしい。(僕は使わないからわからない。)
当人たちは、その応急的な“処置”によって、自分の中の小さな悩みを吹き飛ばしてみたり、はては明日への活力を見いだしてみたりと、要するに、間違いなく見当違いな方法で、目の前の壁を暫定的に乗り越えたつもりになるのだという。
…まったく人間とはくだらない生き物だ。脳は考える機械に過ぎない。
気分などは化学物質でいくらでも操作でき、そこに自我や魂などは存在しない。なのに彼らは、それらを自己の中に必死に見い出したがり、そして保とうとしてもがき苦しむ。
菖蒲くんは彼らの中のひとりで、薬のために僕の言うことを聞いては素直な反応を見せてくれる、きれいで頭のいい男の子だった。
菖蒲くんの名誉のために説明しておくが、彼の飲んでいた薬は正確には違法薬物ではない。
法令で新しい違法薬物の成分表が公開されたりすると、僕が、今ある薬の成分表を見直して、きちんと合法化し直すから。
すなわち、僕の仕事とは、もっぱら薬のプログラミングで、薬を調合したり販売したりしているのは別にいるどこかの誰かだ。
で、そのプログラミングの対価として、僕は“会社”から報酬をもらうわけだが、うちの会社は少し変わっていて、その報酬の代わりとして『客の紹介』というのがある。
希望の性別や年齢、地域などを登録しておくと、それに見合った客の情報が提供される、というものだ。
ちなみに僕の希望は、
・性 別 : 男性
・年 齢 : 18歳以下
・地 域 : 問わず
・その他 : きちんと学校に通い、成績優秀で、健康体であること。
この条件だと国内でだいたい15人程度がヒットする。
そこからさらに報酬 (=ポイント) を追加してターゲットを絞り込むと、盗撮されたものと思料されるそのターゲットの顔写真と全体写真、それに個人情報が送信されてきて、最終的に2、3人がリストに残る。
あとはその個人情報をもとに相手と接触を試みるのだ。
もちろんその先のリスクは個人負担となるので、何が起きようと自己責任。かなり危ないシステムだと思うが、これがけっこう楽しくてやめられない。
相手には突然、正体不明の僕から脅迫紛いのメールが届く。状況は圧倒的にこちらが有利で、しかも相手は子どもだ。親にも相談出来ないような薬をやっているから、全面的に僕に従うしかない。
ストックしているのは現在、十数人。菖蒲くんはそんな男の子のうちのひとりだったが、中でもとりわけ薬が効きやすくて楽しめたのに。
―― さて。
話を戻そう。とにかく僕はその日、ひどく不機嫌だった。僕の場合、悪い出来事というものは、たいがい気分の悪いときに起こる。
夜中に激しくチャイムが鳴り、無視していたがあまりにしつこいので覗き穴から外を見ると、佐東だった。
(…最悪だ。)
ただでさえ訪問者というものは疎ましいものなのに、それが佐東ともなると。1年ぶりか?ようやく存在を忘れかけてきたところだ。…引越し先にまで押しかけてくるとは。どうやって調べあげたんだ。
(警察でも呼んでやろうか。)
佐東は無邪気に、覗き穴をのぞき込んでみたり、あたりを見回しながらなにやらニヤニヤしていたが、ふっと下に沈み込んだ。
すぐに浮上してきて、すると腕に何か大きな人形のようなものを抱えている。
まさか。
人間だ。ぐったりとうつむいている。
これはますます警察を呼んでやろうかと思ったが、佐東はこっちの様子を見透かしているようで、いたずらっぽく人間の手をつかんでブラブラ振り、次に顔をつかんで上に向けた。
あどけない、きれいな顔をした少年に見えた。
意識は無いようだ。
―― ふうん。
佐東め。さすが、僕の嗜好を熟知している。
様子からして面倒ごとを抱えていることは確かだが、どんなコなのか、実物を見てみたい。しかし、相手は、あの佐東。
応答しないまま、ロックを解除すべきか否か惑っていたら、ドアを1度激しく蹴られた。怒って帰って行くようだ。
「…蹴らないでくださいよ。」
そっとドアを開け、チェーンの奥から小さく声をかけると、佐東は少し驚いて振り向いた。
腕の中の少年は、頭からシーツのようなものをすっぽりとかけられいて見えなくなっている。実物を確認したかっただけなのに、それが叶わず、僕は、心の中で軽く舌打ちする。
「なんだ居たのか。なら早く出ろよ。」
「出ませんよ、先輩ですよ?」
ふふっ
玄関わきに常備している黒い皮の手袋をしてからチェーンを外すと、佐東はドアの隙間からねじり込むように中に入って来た。
「気になったかこいつが。」
「…なんですかソレ。怪しすぎます。エントランスやエレベーターの監視カメラに映ってるんじゃないですか?」
「そんなもんスグ上書きされるし。まー階段で来たけどね一応。」
…9階だぞ、ここ。佐東は、「もーヘロヘロだよ。」 と笑いながら言う。
「うちのマンションのオートロックを違法に解除しないでください。」
「だって人目さえ無きゃチョロいんだもん。ベッドは相変わらずアレか?」
「…使わせませんよ。」
…いいから、早くソレを見せろと言いたい。菖蒲くんの代償になる程度の“品”なら許してやる。
「聞いただけだろ。どこでもいいけど、とりあえず、どっかに寝かして、なんとかしてくれ。熱が下がらん。」
キョロキョロと、部屋をうろつき始める気配。…雑菌を撒き散らすなよ。
「とりあえず診るだけ診てみますから、動かさないでくださいよ。」
佐東の腕の中で荒い呼吸を繰り返しているあたりを探ると、白いシャツを着せられた少年の華奢な胴体が見えた。
佐東のシャツなのだろう。手は、手首ごとすっぽりと袖に隠れてしまっている。興味本位で袖をたぐろうとすると、驚いたのか怯えからか、少年はたちまち手首をひっこめて、そのあとで袖をもぞもぞとさせた。
シャツのうえから手袋のまま胸に触れると、薄い胸が軽く痙攣する。
ゾクゾクと湧きあがる感情を抑え、頭のほうのシーツをはぐる。
―― ああ。
ほらね。やっぱり、きれいな顔をしてる。
乳白色で透明な肌のうえには幾筋かの涙のあとがあり、きつく閉じられたまぶたから伸びた長いまつげのうえにも、いまだ透き通った涙のしずくがふらふらと乗っている。
妙な色香を感じるのは、くちびるがやたらツヤツヤと薄紅色に光っていて、呼吸が荒く繰り返されるたびに、その中にある薄い舌がひくひくとうごめき、なんとも淫靡に映るからだ。汗ばんだ白い額に張り付くうぶ毛ですら、なまめかしい。
「カイトって名前だ。」
「“凧”?変な名前ですね。」
「…気に入ったんだろ。」
感情をけどられないように努めていたのに、バレていたのがしゃくにさわる。
「何者ですか。」
「俺の死んだ姉貴の息子。」
呆れた。
「今度は甥に手をつけたんですか。」
「こいつの両親、交通事故で一気に逝っちまってな。 身よりの無い、かわいそうな甥を、ほっとけないんだよ俺は。」
…身よりの無い、“かわいい”甥を、“ほっとかない”んだろ、あんた“が”。
「だってまだ13歳だぜ?あ、14だったっけな…。とにかく手がかかるんだよ、このとおりすぐ熱とか出すしさ。」
「こんなになるまで、彼になにをやったんですか。」
「ふっ。…なあいい加減腕がダルい。ベッド、どこだって。」
さっきはどこでもいいと言ってなかったか。渋々寝室に案内すると、佐東は「あーそうそうヤッパこれ!」といってハシャいだ。
僕の部屋のベッドマットは、うちの医局のほうで診察に使っている緑色のと同じものだ。何個か繋げてベッドに乗せている。これなら、気になる箇所だけを存分に消毒できる。
「汚れてそうなので、シーツは取って寝かせてください。こっちのをかけます。」
さっきまで僕が寝転んでいたそこに、佐東はカイトを転がした。ころん、と上を向けて寝かされても、カイトは相変わらず苦しそうに呼吸を繰り返しているだけで、起きる様子はない。ぶかぶかの佐東のシャツの首もとから、つやめいた白い鎖骨をのぞかせていた。息をするたびに今にも折れてしまいそうだ。
下も佐東の寝巻きらしい。細い腰をヒモで絞り上げていて、やはりぶかぶかなので足の先まですっぽりと服で覆われている。
「あー。腕だる。」
佐東は肩をぐるぐるとまわした。ガタイがやたらとでかいので、腕が当たりそうになる。よけようとして、その右腕に捕まる。
(…しまった。)
「かわいいだろ。」
耳元で低い声が囁く。
さらに強く抱き寄せられると、佐東の吐息が頬に触った。タバコと香水の香り。
苦味を帯びたタバコの香りが去ると、すっとした清涼感のあとに柔らかで甘い、まろやかな香りが漂う。
佐東の気性にはおよそ似つかわしくないが、この香りは嫌いではない。事実、佐東にめちゃくちゃにされたあとでも、不思議とこの香りを嗅ぐと気が静まった。今でも、触られそうなほど近くにいるのに、この香りだけは不快に感じない。
だが佐東の肌が直接つかないように気をつける。すでに佐東の側だけ、体が拒否反応を示し始めて不愉快な不協和音を放ち出していた。やはり死人以外の人間は、僕にとって有害だ。震えそうになるのを、じっとこらえる。
「遊びたいか?」
「…遊びませんよ。僕は“鑑賞専門”ですから。」
「ふふっ。」
佐東の舌が僕の耳を探ろうとするのがわかったので、素早くのどをめがけて右手を突き上げる。
「んが!」
佐東という人間の、“形”は嫌いではないのだが、もう少しその“内容”に繊細さが欲しい。久しぶりにうちに来て、そんな粗さで誘うつもりなのか。
―― まあ、どんな方法で来られようと、応じてやるつもりなんかは、絶対にないけれど。
「ぃ痛って~、舌噛むかと思った!」
(…なんだ。外したのか。舌。)
左手で佐東を押し離しながら諭す。
「先輩とも遊びません。二度とね。」
「…相変わらずきれいなんで。つい。」
(…。)
きれいなモノに『きれいだ』と言われることに悪い気はしない。
…だが相手は佐東だ。深入りしてロクなことはない。
「そういうつもりで来たんなら、これ以上ここにいても無駄ですよ。このコを連れて、さっさと帰ってください。」
「悪かったって。こいつを頼めるの、お前くらいなんだ。」
「看病なんかしませんよ?治療なら病院に 「連れてけるんなら苦労はしねーよ。」
佐東はおもむろにカイトのシャツをはぐった。
「…ウ」
カイトが小さくうごめく。
…自分の顔が嫌悪でゆがんでいくのがわかる。
―― なにやってるんだ、こんなきれいな体に。
カイトの上半身には赤く鬱血した無数のアザが出来ていた。佐東から激しくつけられたキスマークだろう。
確かにこんなのを病院に連れて行けば、たちまち佐東は危険人物としてカイトから引き剥がされ、異常人格者というレッテルまで貼られたうえ最悪は職権で告訴か。
…まあ、カイトにとっては好都合だろうが。
そこで佐東は思い出したのだ。現役医師ではないものの、まがりなりにも医師免許を持っている僕の存在を。
おそらく僕の新しい住処はずいぶん前に探り当てられていて、佐東は、こういうときのために僕を泳がしていたに違いなかった。
今まで接触して来なかったのは、僕にまた逃げられると、いざというときに使えないから。そういう男だ。
とにかく、美しい芸術品を乱暴に踏み荒らされたような感覚を覚え、僕は不快感をあらわにして佐東をにらんだ。
当の佐東は僕のそんな様子を気にするふうでもなく、
「な。無理だろ。」
と、なぜか嬉しそうに言う。
「いいじゃないか、好きだろ?若いの。」
確かにカイトのきれいな体と顔にはそそられるが、だからこそ今、僕はお前に対して怒っている。
僕が黙っていると、佐東はさらにニヤニヤとして、
「イクとこ見る?いい顔するぜこいつ。」
などと、相変わらず品の無いことを、きれいな顔で平然と言う。
「熱を下げたいんじゃないんですか?」
さすがに語気を強めると、佐東はクスクスと笑った。深いため息をつく。
―― (こいつを頼めるの、お前くらいなんだ。)
佐東は僕がカイトに手を出さないことも見越してここに連れて来たのだ。僕が“鑑賞専門”だから。
「…わかりましたよ。」
「良かった。恩に着るよ。」
良かった?いつだってあんたは、最終的には力ずくでも自分の思い通りにしないと気が済まないくせに。
「何すればいいんですか。」
「とりあえず点滴頼むわ。」
「だから、うちは病院じゃないって…」
「あるんだろ自分用のが。脆弱だもんなあ、お前も。変なクスリのせいで。」
そう言って佐東は無遠慮に頭を撫でて来たので、叩くように振り払う。
「“変な”クスリは僕用じゃありません。消毒もしてない手で触らないでください。」
「まーたすぐ怒るー。かーわいいなあ、泉水 はー」
今度は一気に抱き寄せられた。からかわれているのだとわかっていても頭に血が上る。みぞおちを右手のこぶしで思い切り強く突く。
「ぐほ」
よろけたところを右足で押して蹴り倒すと、佐東は床に転がって何度か咳き込んだ。
「痛いよー泉水…」そう言ってケラケラ笑う。
「…たく。俺にこんなことして無事でいられるのは、泉水くんくらいなもんですよー?」
(知るか。)
とはいえ、佐東は粗暴で気が短いから、たいていの人間には恐れられているようだ。実際、僕以外の人間が佐東にこんなことをしたら、おそらく十倍増しでお返しがいくことだろう。
僕がそうならないのは、自分の保身に興味のない僕なんかに仕返しをしてもサディストの佐東にとっては面白味がないからなのだと思う。
まあ、たんに僕が、佐東の“お気に入り”だったから、ということも、あるのかもしれない。
「…あー疲れた、ねみー。…寝ていい?ここで」
…どうせならソファがありますけど。言うべきかどうか黙っていたら、佐東はすぐに静かな寝息を立て始めた。
寝ている姿だけはきれいなのだ。どんなひどい目に合わされたあとでも、この寝顔には見入ってしまう。
安らかな寝顔は、その人間の“死に顔”を想像させる。
きっと美しいのだろう、佐東の死に顔は。
-----------→つづく
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