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1年ほど前 -2

(…早く死ぬべきだな、佐東。)  いや。「こんなの」に見とれている場合ではない。  佐東とは真逆に、苦しげな寝息をたてているカイトに向き直る。まずは体をきれいにしなければ。  手袋を手術用の薄いゴム製のものに替えて、白い金属製の洗面器に水をはり、消毒用アルコールを希釈してタオルを濡らす。  センターにある研究用の被験体と違い、生きた人間はくにゃくにゃとして拭きづらい。しかも嫌がって動きまわる。  だが、新鮮だ。  手袋のうえからでも、体の張りや、すべすべした肌の感触がわかる。  成長期の、細く引き締まった筋肉と、固い骨。そして。 「…や…」  僕がカイトの敏感なところに手を伸ばしたためか、カイトから、つぶやくようなうめき声が漏れた。 「だれ…」  カイトは熱に浮かされた目で僕を見上げる。 「消毒してるんだ。すぐに終わるよ。」 「…さわるな…」  カイトはきつそうに体を横に倒し、丸くなった。  僕は仕方なくカイトからいったん離れ、シーツと、点滴のセットを取りに行く。  点滴の用意をしてカイトに近づこうとベッドに腰掛けると、カイトは怯えたようにフっと目を開け、とろりとした視線を僕に向けて、腕と足を動かして寝たままのろのろと僕から離れた。  のろのろ動くのは熱のせいだ。軽そうな体を捕まえて引っ張り寄せるのは容易なのだろうが、僕にはそれすらも面倒だ。  とりあえず点滴もあきらめて、新しいシーツを広げ、カイトに向かってほうりながら広げる。それからまた、ゆっくりベッドに腰掛けた。 「触らないから、点滴だけでも打たせてくれないかな。」  カイトはきつそうに息をしながら、ただじっと僕をうかがう。 「熱が下がって体が軽くなれば、佐東から逃げるチャンスも出来ると思うんだけど。」  カイトは動かない。 「…まあ、好きで一緒にいるんならいいけど。ろくでもないよ?こいつ。」 「…すきで一緒にいるわけじゃない…」  あどけなさの残る、少年の、少しかすれた甘い声。声変わりの前か、佐東に叫ばされ続けてノドをつぶしたか。 「だろうね。」  とりあえず点滴の準備を進める。 「大丈夫だよ。佐東はそこで眠ってる。よく寝てるから、蹴っても起きないよ。あ、」  そうだ。 「今のうちに殺してしまおうか、2人で。」  カイトを振り返ったあと、自分が真顔でさらりと言ったことが急におかしくなり、カイトをほおって一人でクスクス笑った。  すると、カイトが半身を起こしてこちらににじり寄ってきた。不意をつかれてカイトを見る。  カイトは目に涙をゆるゆるためて、まばたきをしてそれらを拭った。しゃくりあげそうになるのを何度かこらえてから、やっと 「…たすけて…」 と消え入りそうな声でつぶやいた。 「だから、点滴打てば楽になるって 「そうじゃ、なくて…僕を、たすけて…」  体を起こしたので、あざだらけの上半身があらわだ。  ふと、そのきれいですべらかな肌のうえに僕の“(あと)”を加えてみたい、などという、くだらない衝動が沸き起こり、少し驚く。  僕としたことが。佐東の滅菌も充分ではないのに。 「…とりあえず、点滴打たせてくれない?今のところはそれしか出来ない。」  カイトはまた憮然として、ベッドにあおむけに倒れ込んだ。しぶしぶ右腕を差し出してくる。 「いたっ」 「あ、悪いね。」  自分以外の生きた人間に、久しぶりに注射したからな。カイトはぶしつけに僕をにらんで、それから視線を漂わせるようにして周囲を見回した。 「ここ…病院なの…?」 「どこをどう見ても人ん()でしょ。」(よし、血管に入ったな。) 「…へんなベッド…手術台みたいな…、こんなのどこで売ってんの?――…あー…、えっと――…あのさ、」  カイトがまた僕のほうを見る。 「…名前、なんて言うんですか?」 …なぜそこだけ敬語? 「僕は泉水(いずみ)と申します。」 「…イズミ…。変なベッドだね、泉水(いずみ)さん。」  カイトは少し微笑んだようだった。 「君の名前も変だよ。」  そう答えると、カイトはふっと笑った。  カイトはまただんだん眠くなってきたか疲れたかで、ウトウトし始めた。  点滴の量を調整して、洗面器に新しいタオルを浸し、固く絞ってカイトの頭に置く。  カイトは気持ちよさそうに目を閉じたまま息を吐いた。  その顔が気になったので、しばらくベッドに腰掛けたまま寝顔を見る。…つもりが、カイトはまだ眠りには落ちていなかったようで、ゆっくり動いて、僕の手首をつかんだ。  一瞬ぎょっとしたが、直には触れられてない。 …に、しても、 (あたたかいな。)  熱のせいか。 「…イズミさん」  カイトは目を閉じたまま、寝言のようにつぶやいた。 「なに」 「…ありがと… …やさしく、してくれて…――」  そうして、今度こそ“落ちた”のらしく、小さな寝息を立て始めた。  カイトの細い指が僕の手首から、するん、と、今度は僕の手の甲に落ちる。  僕はまた動揺していた。  カイトの言葉と、その温もりに。 (…僕は、君に優しくしてるつもりなんか、ないんだけど。)  それどころか君の体を、はっきり言ってさっきからずっと卑らしい目で見ている。  おまけに佐東の仲間だぞ?まあ、正確には違うが、佐東の言いなりになっている以上、そう見えてしかるべきだ。危険性は計り知れない。 …それなのに、なぜ、そんなにも無防備な自分をさらけ出す。  こんな、怪しげで物騒な大人の前に。  僕の知っているコたちはみんな、僕に対しての怯えや恐怖心を隠さない。  なのに、このコはまるで“無垢”なままだ。  人間を疑うことすらまだ知らないのか?佐東に陵辱され、人生を踏み荒らされている、そのさなかだというのに。  甘えたいのだろうか。親が死んで、愛情に飢えているから。  いや、それとも、僕を利用して、佐東から逃れるための術でも探っている?  とにかく、予想外の彼の行動と、僕にとっては初めてに等しいその言葉は、少しの間、僕の心をざわつかせた。  と、カイトの口がかすかに動く。 「――…かーさん…まえ…」  まぶたや指先がピクピクと動いている。 (……。)  ふっ。  思わず笑みがこぼれた。  まだ、子ども。  そう。僕の好きな、素直で無垢で、純粋な。  そんな複雑な思考を持ち合わせているはずもないのだ。  良かったねカイトくん。僕は佐東と同じくらいの異常者だけど、今夜はそっとしておいてあげるよ。だってきみは佐東のものだからね。知ってると思うけど、あとが面倒くさいんだよ、あいつ。  ベッドの向こう側、出窓から見える夜の空には、かぷりと欠けた、白い月が浮かんでいた。 +++  栄養剤を与えただけなのに、カイトの熱は翌朝には下がり、寝坊して僕に蹴り起こされた佐東がアクビ混じりに、ぶかぶかの佐東の寝間着を着た彼をタクシーで連れて帰った。  カイトは僕を何度も振り返り、すがりつくような視線を僕に投げかけていたが、しかしやがてはドアの向こうに消えた。彼のうるんだ視線に、僕は応じなかった。 +++  味をしめた佐東は、その後もカイトの具合が悪くなるたびに彼をうちに連れて来たので、すがるようなカイトの視線も、その度に繰り返された。 …が、僕はそれを常に無視し続けた。 (これ以上キミに関わるということは、佐東に関わるということ。)  僕が嫌いなのは、面倒ごとと、自分以外の生きた人間。  特に佐東のような人間には、できるだけ、いや、できることなら一生、関わらずにいるべきなのだ。  それなのに、僕が、彼らを拒まず家に受け入れ続けた理由は、このふたりが、あまりにも魅力的だったからだろう。  僕の好物は、ひとつだけ。  僕にとって、美しいもの。  このふたりは、僕のこの唯一の条件を満たしていた。 ----------→つづく

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