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昨日 -3
「…からっ」
「あ、泉水 さんって甘口派?中辛のルー使っちゃった。」
「…甘口“派”ってことないけど…(なにその分類)。刺激物自体を久しぶりに摂取したからね。」
「サラダで中和して、サラダで。」
言いながらカイトは、僕の小皿にレタスとセロリとマカロニで構成された“ほぼ野菜だけマヨネーズサラダ”を盛りつけた。
「…僕はセロリ駄目なんだ。」
「じゃあカレーで中和して、カレーで。」
「カレーも、この煮込まれた人参が嫌いなんだ。」
カイトは「ぷっ」と吹き出した。
少しあってテーブルがきしんだ音をたてたので、顔をあげてみて驚いた。
向かいに座っていたカイトが、伸び上がってこちらに向かって左手を伸ばしているのだ。
「…なに?」
よく見れば、カイトの指にはフォークが握られ、その先に人参が刺さっている。
「…駄目だって、人参は。」
「…大丈夫。毒じゃないから。」
カイトは、にや、と笑った。
伸び上がっているカイトの寝間着の首もとから、形のいいつややかな鎖骨と、そのさらに下に、白く細い胸が見える。
カイトの呼吸に合わせて上下するそこには、ここからでも確認できるほどありありと、キスマークがにじんでいる様が確認できた。
やれやれ。
さっきのお返しだ。僕はそこをいじめてやることにした。
「だから逃げてきたの?」
「え?」
「見えてるんだけど。キスマーク。」
案の定カイトはハッとして、慌てて手を引くと椅子に座り直し、右手でぎこちなく襟元を握った。嫌いなものをいきなり口に押し込まれたみたいな顔をしている。
やっぱり、その顔が可愛い、と思う。キラキラと表情を変えてみせるキミもいいけど、僕はそういうキミのほうが好みのようだ。
少しあって、カイトはまた口を開いた。
「…――泉水さんはさあ…なんであんな奴と付き合ってるの。嫌いなんでしょ。…なんか、弱みでも握られてるとか?」
…かわいい顔をして、急に嫌なことを言い出すなあ。
「先輩って呼ぶよね、あの人のこと。でも、泉水さんのほうが全然若く見えるけど…。」
(当たり前です。)
佐東 と僕は10歳も離れている。僕が23で、佐東は、今年で確か33歳。
「大学で一緒だったの?泉水さんって大学生なんだよね?」
「…もう卒業してるよ。飛び級はしたけど、彼とは学生時代の接点なんてないよ。」
「じゃあ、なんの先輩?」
「…強いて言えば、まあ、同郷みたいなものだったんだ。一時期ね。」
「だから“先輩”なんだ?」
「というかまあ、…あまり名前で呼びたくない。…というくらい、彼が、苦手。」
カイトの目が光る。
「わかる!僕もそう!だよね!嫌いな奴って、名前を口にするのもヤダよね!」
顔は好きなんだけどね。
「…なんであの人の言うこと聞くの。嫌いなのに。」
カイトはまたしんみりした声色になった。
「聞きたくなんかなかったけど、あのときうっかりドアを開けてしまったからね。」
「僕が初めてここに来た日?覚えてるよ。なんでドア、開けちゃったの?」
(……。) 矢継ぎ早にいろいろと…
「…キミが見えたから。」
「…え?」
いろいろと聞かれるのがわずらわしくなってきた。ここらで一度、怯えさせてやれ、と思う。
「キミがいなかったら開けなかったよ。見てみたいと思ったんだよ、『生身』のキミをね。」
カイトはまだぼぅっとしている。ニヤニヤして、さらに続けてみる。
「――…僕も実は、キミの体には興味があるんだ。」
「…ほんとに?」
(……。)
アレ…?
…なぜ、笑顔…?
気持ち悪がらせてやるつもりが、どうやらうまく意味が伝わらなかったようだ。(鈍いのか?)
「僕も好きだよ、泉水さんの顔とか、スタイルとか。」
「……。」
本当に変なコ。
カイトはまた微笑むと、口を開けてそこに再びカレーを詰め込み始めた。
まったく。このコが静かになるのは、食べている間だけ。
“同郷みたいなものだったんだ。一時期ね。”
カイトは僕の不自然な言い回しを気にもとめなかった。
“一時期の同郷者”、なんて、そんな関係はありえない。…同時に苦々しく思い出してしまう。最低な人間との、最悪な出会いを。
++
『佐東ちゃん、コレうちの有望株。なんと飛び級に次ぐ飛び級で、まだ21なのにうちの研究部のエースなのよ。』
出向間際だったアサイ部長は、営業者の話がプログラミングやシステムの詳細のことになると途端に思考が停止する人物だった。しかも余計なことしか言わない。
脱線した無駄話のダシにされるために、仕事の途中で呼び出されるのにはいい加減にウンザリしていたが、僕を佐東に紹介したのは途方もない置き土産だった。
その頃の佐東は、まだ自分の会社を起 ち上げる前で、システム開発担当企業の営業担当者だった。
何度かうちの事務室に出入りしているのを見かける程度だったが、アサイ部長に紹介されてしばらくたったある日、僕は廊下で佐東から声を掛けられた。
そして、あろうことか佐東は、未だにどこで仕入れたネタか知れないのだが、僕が里親に引き取られる直前までいた施設の名前を口にし、自分もあそこの出身だと言い切った。
佐東という名前に聞き覚えはなかったが、そこの施設の人間に少なからない怨恨の念を抱いていた僕は、それらの人間を少しでも知りはしないかと、うかつにも彼の誘いに乗ってしまった。
(さらにお粗末なことに、奴の外観につい気が緩んでしまったという、自らの愚鈍さも否めない。まったく、こんな自分につくづく嫌気がさす。)
奴が施設にいたことなんか真赤な嘘だと知れたときには、酔いつぶされてどこかの不衛生なホテルの部屋であのデカい体に組み敷かれていた。
佐東との最悪な関係は、奴が起業して僕の職場に出入りできなくなり、僕が引っ越しをして佐東との連絡を無理矢理断つまで、数か月のあいだ続いた。
なにしろ佐東は、勝手に合鍵を作って無断で人の部屋に上がり込むことくらい平気でするような人間なのだ。
おかげで僕は他人との距離を、さらに慎重に注意深く探るようになった。
++
―― ちっ。
「どしたの?」
「……。間違って、人参食べた。」
カイトが笑う。
+++
カイトのカレーをつい食べ過ぎてしまったらしく、夜、ひとりパソコンに向かってからも集中力が途切れがちになる。
いつも常備している『 安定剤 』も、満腹感のせいで今日は舐める気がしない。
―― はぁー…
肘掛に腕を置き、息を吐き出しながらゆっくりと背もたれに沿って背中を伸ばす。
やはりこちらから佐東に連絡すべきか。
カイトの話からすると、今夜はカイトの家出から2晩目ということになる。
佐東は、今ごろも血相をかえて血まなこでカイトを探しているんだろうか。(想像するには悪くない図 だ。)
捕まったらタダじゃすまないな、カイトは。
「……。」
(あのきれいな体に、また傷がつくのか。)
佐東の駄目なところは、気に入ったモノを見つけるとソレが壊れるまでいじりたおすところだ。
相手から泣いて許しを請われることは、その相手を服従させたように感じられて気分がいいんだろう。だがいじられるほうはたまったものではない。
…とはいえ、嗜好が異常なのは僕も同じだ。かわいいモノが嫌がったり、きれいな顔が歪んだりするのを見るのは、嫌いではない…いや、たまらなく、(…好きだからな。) …困ったことに。
(…どんな目に合うだろう。カイトは。)
相手に肉体的ダメージを与えることは好まない僕だが、佐東になぶりまわしにされるカイトを鑑賞するのも、悪くは無い、か…――
「…泉水さん。」
---------→つづく
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