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昨日 -4
体を半分残して振り返ると、いつの間にかカイトが暗いリビングの隅に立っている。
僕のベッドを使うことを許可して、せっかく寝室を明け渡してやったのに。
カイトは細い両腕で、枕がわりに渡したクッションを抱きしめていた。
「……。なに?」
「………。」
「寝心地悪い?」
「……あの人に、…連絡とか、してない…?」
「してないよ。それだけ?」
「………。」
声の様子から、体中、がたがた震えているのだとわかった。
「寒いの?」
「…こ、怖い夢ばっか見て…。」
――…。
「―― ぷっ」
「わ…笑うな!わかってるよ悪かったなガキっぽくて!」
「いいよ。だってキミ、ガキじゃん、まだ。」
カイトは、いったん声を荒げたことで人心地がついたのか、ふうぅー、と震えながら息を吐いた。自分を落ち着かせたいのか、指で枕をモゾモゾ触る。
(あ、)
その様子も、…実にかわいい。
(マズイな…)
「泉水 さん。」
「なに?」
「ここで寝てイ?」
「…絶対だめ。」
カイトに背を向けパソコンを見る。
だがカイトはさらに続けた。
「だってあのベッド消毒くさいし、…思い出すんだよ、いつも最悪なジョータイで連れて来られてあそこに寝かされるから…。」
「知らないね。ほら、安定剤あげるからコレ舐めて寝なさい。」
机の引き出しからガラス瓶を取り出し、中の包み紙を取り出す。
2、3個取れたうちの1つを、後ろも見ずに放った。
「う、わ」
カイトが床に落ちたらそれを、慌てながらも素直に拾い上げる気配。
「…『 安定剤 』って、これ、ミルキーじゃん。冷蔵庫にもそうとうあったけど、そんなに好きなの。」
「主食と言っても過言ではないね。」
「…泉水さんって、やっぱ、そうとう変わってる。」
そらどうも。
「はい、じゃ、おやすみ。」
「…うん。」
残しておいた安定剤の包み紙をほどいて口に入れる。舌の上に置いたまま、机の上の携帯電話の画面を確認してみた。
『先輩、カイトくんが来てますけど?』
送信ボタンを押すべきか否か惑う。もぞもぞと枕を探る細い指先が思い浮かんでいた。
今、カイトを“返却”するのは、
(…何かまだ、少しもったいない気がする、かな……)
佐東 に破壊される前のきれいな状態のあの子を、もう少し手元に置いておきたい気持ちがあるのは確かだ。
もともと僕は佐東のわずらわしさより、そっちの感情に流されているのではないか…などと、
(馬鹿なことを。)
「…ほんとだ。ミルクの匂いがする。」
…カイト。
イタズラっぽい声。いつの間に背後に。(まだ出て行ってなかったのか。)電話をそっと裏返す。
「…悪いコだな。」
「なにが?」
「僕を驚かそうとしたでしょ。」
椅子を回転させると、カイトの顔が思ったより近くてそっちのほうに驚く。
「近 っ」
「肌もすごくきれいだね、泉水さん。」
「…なんなんだ、キミは。」
カイトは顔を上げて、包み紙の両端を引っ張りながら中の飴を口に運んだ。
様子からして、携帯の画面は見えていなかったようだ。
「泉水さんから時々甘い、いい匂いが…、するって思ってたけど、それってこの、ミルキーだったんだね。」
「……。」
舌の上で飴を転がしながら喋るので、発音が聞き取りづらい。
カイトが無邪気に、笑顔のままこっちをじっと見るので、だんだん、僕の中の悪い蟲がうごめきそうになる。
(そういえばここには、ミルキー以外の『安定剤』もあるよ…)
…なんてね。
「…ねえ、もう邪魔しないからさあ、あそこのソファで寝させてよ。」
少し小首をかしげ、甘えたような声を出す。
その仕草には年齢にそぐわない妙な色香すら感じられた。無意識でやっているとしたらまるで猫だ。
(そんな甘え方、どこで覚えるんだか…。)
このコには自己防衛機能が備わって無いのか?
そんなに僕が安全に見えるのか。
それとも、誘っている?
…まさかね。だいたい僕はその期待には応えられない。
――…ああ。
佐東のものじゃなければ、試してみたい ――
見てみたい。めちゃくちゃになってしまったキミを ――
(――キミは、僕を救ってくれる?)
「ごめん…そんなに怒んないでよ。」
僕が黙っているので、カイトは僕の機嫌をまた損ねたのだと思ったらしい。真面目な顔になって詫びてきた。
見とれて、ついでに青少年に対して相応しくない、いかがわしい妄想をしていただけなんですけど。
と、カイトはまた表情をかえた。今度は恥ずかしそうに、まだ子どもらしい、あどけない笑顔を作ってみせる。
「ひひひ…なんか、泉水さんに見られてると、くすぐったくなるんだよね。」
「……。」
なんだそれは。
キミに対する僕のいかがわしい妄想に、ようやく気づいたのか?
それにしてはその笑顔は無いだろう。
「あ、今ちょっと“びっくり”って顔した!」
カイトは突然嬉しそうな声を上げると、今度はくるりと背中を向けて、ゆっくりと歩き始めた。
「あーやっぱ歯にくっつくねーミルキー。」
歩きながらも話しは続く。
「泉水さんの顔ってさー、人形みたいに無表情で、なに考えてるかわかんないんだけど、時々うーっすら感情が読み取れることがあんだよね。猫みたい。」
カイトは 「ふふ」 と軽く笑うとまたこっちを向き、次の瞬間、リビングの対面の壁際に置いているソファの上に勢い良く座った。
「うおう!なにこのソファ、固 っ!ふわふわ感ゼロ!」
言いながら、ひじ掛けの内側にクッションを置いた。
…あ、こいつ、ここで寝る気だ。
「…“びっくり”、なんて、そんなこと微塵 も思ってないけど。」
猫みたい、とは僕もさっきキミに対して思ったけどね。
「ハズレ?なーんだ。」
“なーんだ”、と言うほど残念そうでもない。
カイトはソファの上に両足を上げて、落ち着きなく体を動かし始めた。
「なんか高そうなソファだねー。」
言いながら、僕が自分用に用意していた毛布を両手で遠慮もなく広げ、腰の辺りまで伸ばして足をくるむ。
(…そこで寝ていいって、言ったのか?僕は。)
いや言ってない。
…だがもうとやかく言う気は失せた。
やたら動きまわったり話しかけたりしたがるのは、さっき見た怖い夢とやらを追い払ってしまいたいからなのだ。
誰でもいいから一緒にいたい、一人になりたくない。そんな状態の“子ども”に、何を言っても無駄な気がする。
-----------→つづく
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