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昨日 -6
パソコンに向かって作業を再開していると、メールの着信があった。
佐東 かと思いきや、菖蒲 くんだ。
1年ほど前に菖蒲くんは僕の誘いを断って薬を絶っているはずだが、どういうわけかそれからもちょくちょくメールが来る。
薬が欲しいといったことではなく、内容は、他愛もない世間話から始まり、最終的には「また会えますか」などといった、およそ正常とは思えない意味合いをもって終わる。
こういった内容のメールを送ってくるのは菖蒲くんが初めてではない。
おそらく勇気をもって誰かに相談し、その誰かの入れ知恵を受け入れたのだろうが、メールの内容にはたいてい僕の足元をすくおうと躍起になっているフシがうかがえる。
そのコらしくない悪意が顕著なので、罠だということがありありとわかる。
だが、菖蒲くんのメールにはそんな悪意は感じられない。しかし、慎重にはなるべきだ。なにしろあのコは、とりわけ頭が良かったから。
そういったところも僕好みで良かったのだが、彼の真意が測れないぶん、こういうメールを送られても僕は幻滅するばかりで、返信などする気には到底なれない。仮に内容が真意に則したものだったとしても、僕が彼にしてあげられることも皆無だし。
とりあえず真偽の知れない彼の、いじらしく綴られた近況を確認してから、メッセージをゴミ箱に移す。身体測定で身長が4ミリ伸びていたと嬉しそうに報告するその内容に、軽く笑いを誘われたりしながら。
+++
二つ目の安定剤を舐め終わったころ、カイトの寝息が聞こえてきた。
その音に、密かに耳を澄ませている自分に気づく。
カイトを振り返る。
ソファのうえで体を軽く折り曲げ、クッションに顔を半分うずめるようにして、カイトは静かに眠っていた。
成長期にある小さな肩が、彼の静かな呼吸の音に合わせて、ゆっくり、規則的に、上下する。
毛布を肩まで掛け直すべきだろうと考え、椅子から立ち上がってソファの近くまで進んだ。
なにか夢を見ているのらしい。大きな目がくるりと動いて、そのたび、長いまつげがひくひくと動く。さらさらとした柔らかそうな頬には、ビロードのような起毛。形のいい小さな鼻。少し開いた口には邪気が無く、その唇はつややかだ。
ふと、ふたたびどろりとした衝動に突き動かされ、引き寄せられるように、カイトの頬に手がのびる。
(…救ってくれる?)
…いや、この欲望が満たされることは、僕にとってありえない。
だが、こうして魅力的な相貌を見せつけられると、
――かわいいからだよ。
ずっと昔、僕の体で遊ぶのが好きだった上級生たちの言葉がよみがえる。
―― かわいいから、やめられないんだ。
ああ。思い出すなよ、そんなこと、今。
だが、そうなんだろう。
カイトに対して抱いている、今のこの、衝動的な感情。
僕も“ あの施設 ”にいたことで、狂人の仲間入りをはたしてしまっているに違いないのだ ――
+―+―+―+―+
最後に世話になった施設は変わっていた。
入所前に知能テストがあって、僕らは細かくランク分けされた。一緒に入所した兄とは、知能指数は同じくらいだったが資質に相違があるとかで、寮では別の階で分かれて暮らすことになった。
兄は心配そうにしていたが、僕は、僕に対してやたらと過保護で、僕のせいですぐに問題を起こす兄と離れられたことに内心ほっとしていた。
施設内には私設の学校が併設されてあり、今思い返すと、福祉施設というよりは寄宿舎のある学園の中で生活している感じだった。
その学園は前にいたどの学校より学習レベルが高く、僕は当時まだ小学校低学年のクラスだったが、理数系分野はたぶん高校生レベルの内容を修学していたように思う。
どの子供も中学を卒業すると飛び級して高校や大学へ通っていたようだ。
どうやら資産家どもが投資してハイレベルな後継者を養成し、それを養子としてさらに別の資産家に売り飛ばす、営利目的の施設だったらしい。
他の子供にも親は無かったが、ある上級生が
『精子バンクから取り寄せられた優秀な遺伝子だけが培養されて、その中でも特に選りすぐりで生まれてきたのが僕たちなんだ』
と得意げに言っているのを聞いたことがある。もっとも、狂人のいうことだからどこまでが真実だったのか。
幸い僕には里親が早めについたが、長く施設にいる上級生には頭がおかしいのが多かった。
ハイレベルな知識を際限なく詰め込まれていくと、倫理性が狂ってくるのらしい。
今でこそ人並みの体つきになってはいるが、そのころの僕はチビで気も弱かった。他の施設でもよく虐 められたが、その施設は最悪だった。
上級生が集団になって、『特別室』と名付けられた寄宿舎の最上階の部屋に僕を連れて行き、よってたかって僕の体で“遊ぶ”のだ。
他の部屋の床はただのフローリングなのに、その部屋にだけは高そうな絨毯が敷かれていた。
壁は1面が頑丈なガラス張りになっていて、そこから森の向こうにある小さな街が見下ろせた。
調度品のソファやテーブルにも高級感があり、確かに『特別』室だった。
おそらく、施設側が外部からゲストを招待した際に使う貴賓室だったのだろう。何も知らずに初めてその部屋に入ったときは、感動して、素直に嬉しくなったことを覚えている。
上級生は、僕と同じように気の弱い、顔つきのわりと整った生徒を下級生の中からみつくろっては特別室に連れ込み、僕と同じように自分たちの相手をさせていた。なかには、すでに自尊心を捨てて自らサービスに努めている馬鹿もいた。
痛くてたまらなかったし、彼らに遊ばれたくなかった。
なによりいやだったのは、僕が痛がったり嫌がったりしているのに、うっとりとしたような声で「かわいい」だの「きれいだ」だのと言われることだった。その度に激しい孤独感と無力感に襲われ、自分だけが暗い深淵でさいなまれ、もがき苦しんでいるのだという絶望的な気分になった。
+―+―+―+―+
――だが、大人になるにつれ、僕は、彼らの気持ちがわかるようになった。
かわいいものを虐 めて遊ぶのは実に楽しいことなのだ、と、ずっとあとになってから気づいたのだ、僕も。
“人間アレルギー”のために人との接触を絶った僕にとって、今やその悦びは、なににも替え難いものとなっている。
屈辱に歪んだ顔。
首筋ににじむ汗。
こらえきれずに漏れ始める声――
そのひとつひとつが、僕の処置に基づく反応であることが、僕の快感に結びついていく。
彼らが “ そこ ” に行く瞬間。
せつなそうに声を漏らしながら、屈辱にまみれ、それでも彼らはその瞬間、確かに “ そこ ” を垣間見て、昇華する。
そして、“ そこ ” に拒まれた僕もまた、彼らとともに浄化された気分になれるのだ――
ふと、カイトの目が開いた。
「…ぁ…」
何度かまばたきをして、
「…ゴメン、寝ちゃってた。」
と目をこすりながら眠そうに言う。
「…仕事、終わった?ここで寝る?」
「…寝てもいいの?」
「うん、いいよ。じゃあ僕、床で寝るから…」
「ふっ。なんで。いいよそこで寝て。僕が寝室で寝る。」
「…うん…ごめんね泉水 さ…」
よほど眠いのか、カイトはまた滑り落ちるように眠ってしまった。
軽く頭を振る。
何を馬鹿なことを。アレルギー反応を起こす可能性は否定出来ないし、だいたいこの子は、あの佐東のものだ。
カイトの逐一の表情やふとした仕草にかき乱され、理性がつい揺らぎそうになった。
佐東と違って、僕は理性の人間のはずだ。
(理性が僕を抑止出来ている間に、眠ってしまおう。)
そう決めると、僕は作業を切り上げて、自分の寝室に行って寝た。
濃紺の遮光カーテンの隙間から染み出す月の光。
それを眺めながら、僕が安全な人物だと信頼しきっている彼が僕の本質を知ったときの、その反応が楽しみだ、と思った。
あの子はどんな顔をするだろう。
佐東に送るメールの文面について考えているうちに、眠りに落ちる。
-----------→つづく
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