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朝 -3

 遅刻はしないですみそうだ。悔しいがカイトの言うとおり目も覚めた。  玄関で靴を履いていると、 「待って泉水さん!」  カイトが、まるですっかりなついた小動物のように走り寄ってくる。 「買い物リスト作ったから、買って帰って!」  カイトは紙切れを差し出してきた。 “ 米1k 卵 しょうゆ 料理酒 ソース 豚バラ 焼きそば麺  キャベツ 玉ねぎ  ピーマン にんじん … … ” 「今日は焼きそばにしようと思う。」 …げえ。こいつ、僕にまた野菜を食べさせる気か。 「自分で行きなさいよ。」  少しムッとしてカイトに紙切れを突き返す。が、 「あとね、なんかお昼、出前取っていい?メニューとかはどこにしまってあんの?」  紙切れを突き返したのを無視される。 「机の引き出し?」  そんなところにあるわけないだろ。 「ねーどこ?勝手に粗探ししていいの?いいってこと?」 「…出前じゃなくても、コンビニならすぐそこ「お金ならあるから。払うから自分で。」 「だから、この買い物のついでに「そういえば熱は?出てない?大丈夫だった?」 昨日眠れた?昨日僕、なにか寝言とか言った?…  僕が口を開く度にカイトはセリフをねじ込んでくる。  これは…『相手に考える隙を与えないぞ作戦』。  ならばこちらは、『相手が黙るまで何も言わないぞ作戦』。  案の定カイトは、僕が黙りこんで睨みつけるので、少し怯んできたようだ。  では、『黙った隙に攻め込むぞ作戦』。 「…目的はなに?僕を遅刻させたいのか?キミは。」  カイトはむくれた。 「…外に、出たくないんだもん。」 …なるほど。 「―― じゃあ、買い物の件はわかったよ。でも焼きそばはやだ。ピザあたりなら許す。ついでに出前の件だけど、うちにはそういう類いのメニューみたいなのはないから、下まで取りに行って。」 「下?」 「郵便受けの右側に管理人室があって、その横に不要なチラシを溜めとくアルミ製の箱があるから。そこをあさったらいろんなお店のメニュー表が出てくると思う。僕もよくそこに捨てるから。ピザのも探しといて。」  ところがカイトは、僕がこれだけ親切にしてやっているというのにまた顔を曇らせた。 「―― 下まで、降りないと、ないの?」 「……。」  なんだよ。おとといから昨日にかけて奇跡の大冒険をしてきたんじゃないのか、キミは。それに比べてこのマンションの中での移動くらい。 「…すぐそこだけど。」 「うん、だよね、ごめん。」  カイトは明らかに引きつった笑顔を見せて、それから何ごともなかったかのように「一緒に降りていい?なにか履物貸して?」と言って靴箱をあさった。  昨日までの大冒険はなんだったんだ、と突っ込みたくなるくらい、カイトは僕の後ろにピッタリとくっついて歩く。  エレベーターに別の階の住人が乗ってきたとき、ドアが開くと同時にカイトが革手袋の上から強く指を握ってきたので、僕は、驚きよりも先におかしさが込み上げてきて、軽く笑ってしまった。 「…笑わないでよ。」  口を尖らせたカイトの表情が、見なくてもわかった。  エレベーターを出て郵便受けまで案内する。カイトはすぐに何枚かのそれらしきチラシ類を抜き出した。  僕が立体駐車場のほうへと向かうと、カイトも、相変わらずピッタリと僕について歩いてくる。 「ちょっとなに?エレベーターはあっちだよ。職場見学でもしたいの?」 「あ、いいね、それ。」  ばーか。 「早く戻りたまえ。」 「…うー…。…あのさあ。」  カイトは急に顔を曇らせ、すねたような声を出した。  黒目が、きっ、と僕を見る。 「本当に、あの人に言ったりしてない?」 …またそれか。 「何を?」 「だーかーら!…僕が、ここにいるってこと。」 …ああ、そうか。  僕を、少しでも長く“監視”しておきたいんだな。僕が佐東の仲間だということに、多少の自覚はあるらしい。 「だから、言ってないって言ったでしょ昨日も。」 「…あそう。」 「もう、行ってよろしいのかな。」 「うん…」  カイトはうつむいた。  視線を足元付近にウロウロさせると、長いまつげもそれと一緒にふるふると動く。 …ああもう。これ以上僕の感情的な部分をかき回さないでもらいたいな。 「…じゃあね。クリーニングを取って、夕方には帰るから。」 「待って…」 …今度はなんだ。  と、カイトは、今度は僕を見て顔を赤くしはじめた。  よほど言いづらいのか、一度視線をそらし、右手で自分の耳たぶを軽く引っ張ると、それからようやく口を開いた。 「…一人で、いたくないんですけど。」 「……。」 ―― 行かないで。  ふざけているふうを装っているが、本気なんだろう。  いつ、佐東に見つかるか。  見つかると、どうなるか。  おそらくここに辿り着くまでは、そればかりが頭を占領して、ろくに眠れもしなかった。  だから、一人になるのを恐れている。  僕が何かを言う前に、カイトはまたうつむいた。 「…安心…できるんだ、僕…。泉水さん、が、そばに…いてくれると…」 ……。 「…は?」 (『安心できる』、だって?) …――カイトの、このひとことに、僕は、 ―― 心の底から、失望した。 (…何を根拠に。)  本当は誰でもいいくせに。  僕のところに来たのも、僕がキミを擁護してくれそうな事情通だったからでしょ。  『あなたといると安心する』、なんて、見え透いたご機嫌取りに喜ぶほど僕は単純な人間じゃない。  キミがそんな、心にもないお世辞を言うような子どもだったとは。 …思えば、昨日からのいやに僕の本能をくすぐっていた仕草のひとつひとつも、そう考えるとすべて彼の演出だったんじゃないか。  心の内にそんな絶望感さえがただよってくる。  ここは、“一人でいたくない”んじゃなくて、“僕が密告しないように見張っておきたい”、と素直に言うべきだった。  余計なひとことを足してしまったおかげで、キミは、僕からの信頼を一気に失った。  僕の中で思い描いていたキミは、もっと素直で、いいコだったのに。 …まったく、らしくない。 ――あやうく彼の思うつぼだ…  さすが、あの男の親類。 …そうとも。  僕のものじゃない以上、僕はキミの味方などでは、決して、ないのだ。  カイトはそろりと僕を見上げた。  そして次の瞬間、慌てたようにまたおどけた笑顔を作ってみせた。僕の表情があまりにも冷めていたので、動揺したらしい。 「なんてね!ごめん!遅刻しちゃうね。リスト、よろしく!」 「…うん。」 「あのさあ、ゲームあったの見つけたんだけど、していい?」  また、何ごとも無かったかのように振る舞う。涙がたまったようなキラキラとした目で、軽く首をかしげてみせる。  その表情や仕草は確かに魅力的だけど、残念ながら僕には、すでにわざとらしい“演出”としか見えなくなってしまっていた。 「…古いゲームしかないよ?しかも Z指定のやつばかりだし。」 「いい!暇つぶしになるから。いちばん難易度高いの、なんてやつ?」 「…オススメは『サイレン』の1だけど。攻略本がないとクリア出来ないと思うよ。まあいろいろ置いたままにしてるから、散らかさない程度に適当にやって。」 「ありがとう。……。」  カイトの台詞にはわずかな含みがあったので、少し待つ。 「…なに?」 「なんでもない。早く帰って来てね!」 「…部屋に入ったら真っ先に手、洗ってね。」 「はは!了解!ミューズでね!」  カイトは笑顔でエレベーターホールへ消えた。  メールの着信。  おや、佐東からだ。  案の定な内容。  余計な勘は鋭いくせに、今回はここを嗅ぎつけるまでにずいぶん時間がかかったな。 (……。)  それにしても、人の機嫌が悪くなったことを見越しているかのようなこのタイミング。 …とりあえず夕方までは待ってもらおう。  貴様と違い、僕は定時勤務で雇用される身だ。だいいち、“その瞬間の”カイトの顔が見られない。  立体駐車場の奥からは、重たい歯車がこすれながら回転する耳障りな音。 ――カイトくん、キミがここにいる、とは、言う気はなかったよ、確かに。 「さっきまでは…ね。」  僕のつぶやきは、歯車の音に噛み砕かれ、ほこりくさい駐車場の空気にすばやくのみこまれて消えた。 -----------→つづく

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