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夕刻 -2

 玄関チャイムが鳴る。  ゲームに興じていたカイトの肩が、びくっと震えた。 「なに?」 (そこは、“だれ?”だろう?)  すぐ隣にいた僕が何も言わずに立ち上がったので、カイトは僕の服を軽く引いた。 「え、なに泉水さん。」  いかにも不安げに僕を見上げる濡れた黒い瞳。その目に向かって、「ピザ、頼んどいたの。」と言ってみる。  どうかな、と思ったが、カイトの目からはみるみる緊張がほどけていったので、“期待”に心がざわついて、顔がにやけそうになる。 「なんだ!じゃ僕行くよ!」 「え、そうなんだ。じゃあ、よろしく。」  鞄から財布を取り出し、カイトに差し出す。 「いいよ!僕、おごるっす!」 …ご機嫌だな。「お昼遅かったからまだそんなお腹空いてないんだけどねー。」などと独り言のように言いながら勢いよく立ち上がると、くるりと細い背中を回転させた。小走りで玄関へ向かって行く。  テレビ画面のなかでは、教会へ向かおうとしていたゲームのキャラクターが、突っ立ったまま、ひとり、赤い空を見上げている。  画面をぼうっとながめながら、じっと、耳を澄ました。  玄関から、小さな悲鳴。 ガタン  転んでしまったようだ。  足が廊下の床を蹴って、膝と手のひらがまた床について、カイトは、それからようやく立ち上がることができたようで、廊下を走り始める音が聞こえてきた。  廊下からこの部屋に入ってくると、その顔つきは先ほどとは一変している。血の気もすっかり引いていた。  この世で最も恐ろしく、おぞましいものでも見てきたかのようだ。  僕に向かってくる。 「… …!」  なにかを小さくわめきながら、カイトは僕の胸に飛び込んできた。  革手袋の上から、カイトを優しく包みこんであげる。 「どうしよう…なんで…?…どうしたら…」  カイトは胸の中で、ごく小さな声で繰り返しつぶやき続けていた。  廊下を、一歩ずつ、あの男が進んで来る気配。  カイトはますます小さくなり、ガタガタと全身を震わせ始めた。 「たすけて…泉水さんたすけて…!」  まるで神に祈りを捧げているかのようだ。  胸の中で震えるカイトは、実に哀れで不憫で、…愛らしい。 「よう。」  佐東が部屋に入って来ると、カイトはさらに僕に密着して、僕の背中に腕を回し締め付けてくる。  それから、恐る恐る、といった感じで佐東を見た。佐東がふっと笑う。 「なんだそれ。そんな大きな目で、いっちょまえに睨みをきかせてるつもりなのか。」  カイトはますます腕をきつく締めた。あたかも濁流に流されて溺れそうになっているところに、ようやく頼りない樹木を見つけ、これ以上流されまいと必死にしがみついているかのように。(樹木、苦しいんですけど。) 「思ったより遅かったですね。」  僕が佐東に向かってそう言うと、カイトの腕は一気に緩んだ。  震えながら、僕を見上げる気配。  下を向いて確認すると、カイトは、じっと僕を見ていた。  その目に浮かんでいたのは、驚きと、絶望と、恐怖。 「…宅配ピザだからって、ドアチェーンくらいかけてから出ないとね?」  僕が教えてあげると、カイトは僕から腕を落とし、僕を見たままよろよろと退いた。 ――ああ、いい顔だ。 「もっと早く来られる予定が、部下が大口取って来たもんでちょっと様子見してて遅くなった。」  言いながら佐東はずんずん部屋の中に入って来る。  長い腕で、目の前の、僕を見たまま凍りついたカイトをやすやすと抱えあげた。 「車出せ。いいもの見せてやる。」  カイトは佐東の腕の中にすっぽりと収まり、その姿はまるで、等身大の、きれいな男の子の人形みたいになった。 ――どうあがいても、絶望。  カイトに教えてあげたその言葉は、直後、そのままカイトに跳ね返った。  カイトもきっと、このフレーズが頭から離れないようになるんだろう。  あの頃の、僕のように。 -----------→つづく

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