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現在 -5
「具合が悪くなって、俺が泉水の名前を出すと、少し顔色がよくなるんだよ。赤くなるっつうか、こう、ポッと。なあ?」
カイトはバッと両手をあげ、両耳をふさいで歯をくいしばった。“これ以上聞きたくない!”という意思表示。
「いくら熱があろうが体がキツかろうが、嬉しそうにお前んちに行くためのお着替えの準備とか始めだしてさ、「うううっー!」
カイトは佐東の声をさえぎるように足をバタつかせて唸った。
そんなカイトの様子を、佐東はさらにおもしろがる。
「画家志望かなんだか知らんが、こいつのスケッチブック、お前ばっか描いてるのが何枚かあんだよ。お気に入りなんだよ、な?カイト?」
…ああ、それなら確かに見た。
(…本当なんだろうか?)
自分が自由になるための足掛かりとして、僕を利用しに来たんだろう?キミは。
カイトは寝たまま、背中を丸くしてどんどん小さくなり、ますます佐東を喜ばせる。
佐東はついにベッドに乗り、かがんでマットの上に手を置くと、カイトの耳元近くまで口を寄せ、低く甘い声でささやきはじめた。
「…いいんだよ。ああいう顔に惹かれるのは当然だ。俺の血筋なんだから、好みだって似てくるさ。」
“血筋”。
彼は、僕に、佐東に似ていると言われることを一番いやそうにしていた。
カイトは抱えたままの頭を小さく振った。前髪の隙間からようやく少し目が見えて、そのまぶたは先ほどよりも力強く結ばれているようだった。
彼の耳元のすぐそばにある佐東のくちびるには、からかうような、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。悪意に満ちたその顔を、だが、やはり僕は魅力的だと感じる。
「あいつになんかいいことしてやったか?…どうだった?触らせてもらえたか?気にすんなよ、あいつは潔癖だからな、最初はいやがんだよ。」
…“ 最初は ”って、なんだ。あんたのときは、最初から最後までいやがってたよ。
「泉水に抱かれたくてあのマンションに行ったんだろ?残念でした。このお兄さんはな、お前なんか相手にしないんだよ。変なとこだけ潔癖症なんだから。」
「…ぅう」
両手でふさいでも佐東の低い声は耳の中に入ってくるようで、カイトはうめきながら、これ以上小さくなれない体を震わせる。佐東はさらに続ける。
「だからミルキーを大事に持ってたんだろ?泉水にもらったものだもんな?裏切られたのに、まだ好きなのか?泉水が。…ククッ…お前…、本当にかわいそうなやつだな…、カイト「やめろオっ!」
急に大きな声をあげたせいか、カイトの声は少し裏返った。
「…“やめろ”?せめて、“やめてください”、だろ?」
佐東はさきほどまでの甘い声ではなく、さらに低く、重たい声を出す。
「…なんだその眼は。」
佐東をにらみつけているようだ。
「逆らうと、」 佐東は軽く起き上がって拳を振り上げた。
「ひ…」
カイトは途端に体を小さくし、固まった。
ふふっ。
佐東が、『どうよ、おれのしつけ』 とでも言うように、こちらを振り向いて笑う。
…だが僕は今、佐東の話のせいで、わずかばかりの高揚感に包まれている。
(――そうだったのか。)
僕の家でのカイトの一連の行動を、僕は、僕に油断をさせて僕を利用しようとしていた彼の、身勝手な芝居なのだとばかり思っていた。
だが、それは違っていた。
…いや、確かに芝居であり、彼なりの演出だったのだ。
佐東に犯される前に、
抱かれたかったのだ、この僕に…――
僕の首に巻き付いてきたときの、カイトの吐息。
抱き付いてきたカイトの、柔らかな舌。
―― …一人で、いたくないんですけど。
引き留めようとしていたのは、僕を監視したかったからではなく、ただ純粋に、心から、僕といたい、と、カイトは、そう願っていたということか…
(……。)
それを思うと、僕の心には言いようもない感情が広がってきた。
―― 感動的じゃないか。
その僕に裏切られ、今や、佐東に犯されようとする自分の姿を、まさしくその僕に見られようとしているなんて!
「ククっ…」
「ん?なんだよ泉水。」
「…いや、素敵だな、と思って。」
佐東が目を丸くする。
「…お前、ほんっとに悪い奴だな。」
あんたに言われたくない。
「よし、じゃあなにから始めるかな、カイト。」
佐東は手を伸ばし、いったんカイトの髪に指をうずめると、その指先をゆっくりと撫で下ろし始める。
「…!」
カイトは息を震わせた。表情はまた隠れてしまってうかがいにくい。きっと恐怖に怯え、屈辱に頬をひきつらせた、素晴らしい顔をしているに違いないのに。
佐東の指先は、まだ濡れた少しくせのあるカイトの髪を撫でながら、カイトのうなじへと向かい、方向を変えて今度は、白い首筋に向かってくすぐるように前へ進む。カイトはびくんと震えた。
佐東の手がそのまま胸へと動いていくと、カイトは腕を少し振った。佐東の手をはらったのだ。あまりに不愉快だったのだろう。
すると佐東の手はすばやく動いて、カイトのあごをつかんで上げる。
あごをつかまれてカイトは上を向かされた。カイトの横顔が見える。
その目は、いまだ佐東をじっとにらんでいた。
部屋が薄暗いのと、前髪が張り付いているのとで見えづらかったが、カイトの目は強く佐東を見据え、決してお前なんかに服従はしないという、小さくてかよわい彼なりの強い意志がうかがえた。
くちびるが細かく震えているのは、怒りでか屈辱でか、それとも、押し殺すことのできない恐怖のためか。
一度瞬きをすると、長いまつげが大きな瞳のうえで上下した。
「…ふ。」
佐東は、今度はなぜか嬉しそうに笑った。反抗心を残したカイトの様子を、実は喜んでいる。それを押さえつけ、踏みにじることが、佐東の何よりの楽しみだから。
佐東はゆっくりと身をかがめた。同時にカイトの顔を静かにこちらに倒し、顔を近づけ、頬に口をつける。
そして、長い舌で、カイトの肌を舐め始めた。
「……!」
カイトは反射的に目をつぶり、歯をくいしばってその不快な恥辱に耐える。佐東はいったん舌を離し、また首筋まで顔を下ろすと、再び上へとカイトの顔を舐めあげる。
「…は」
耐え兼ねたカイトが一瞬目を開けた。僕と目が合う。
とたんに、カイトは泣きそうな顔を強くしかめて素早く反対側を向いた。…満ち足りた僕の笑顔がいやなのだ。
佐東の手が一瞬あごから外れてしまったが、佐東は気にせず再びカイトの顔を自分に向けると、今度は唇をカイトのそれに重ね、長い舌で唇を割ってカイトの口の中へとねじ込みはじめた。
「…んん…!」
ぎゅうっ、と、カイトの体が強張るのがわかる。シーツの上を引っ掻くように爪を立たせ、その手はそのままきつく握りしめられた。
佐東はそんなカイトの様子が楽しいようだ。わざと大きく音をたてながら、カイトの舌を味わっている。
(噛みちぎればいいのに。)そんなにいやなら。
きっと、佐東に危害を加えてはいけないことを頭ではなく体が理解しているのだろう。
佐東からの長く執拗な“しつけ”は知らず知らずのうちにカイトをむしばみ、その“目的”は、確実に体に染み込んでいる。
カイトは、その自覚がないまま、反撃の牙を折られ、爪を削り取られ、手足までもをもぎとられて、自分に勝ち目などないことだけをひたすらに教え込まれているのだ。
(残酷だな、佐東。)
そこまでするならカイトの心まで潰してしまえばいいものを、そこだけは潰さない。
佐東はカイトの、自分を嫌い、口付けすらもいやがる、そのさまが好きなのだろう。
正常で穢れのない心が、いやだいやだと自分の腕の中で泣き叫ぶのがたまらないのだ。
----------→つづく
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