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現在 -16

 なにしろ僕は自慢じゃないがこういうときの佐東の“弱点”を知りつくしている。  そっとベッドに乗り、慎重に佐東たちのそばまで行って指を伸ばし、佐東のわきの下あたりを出来るだけ優しく、1度だけ突く。 「…っん、」  びくっ、と、大きな佐東の体が揺れる。同時に、カイトの体は緊張でますます硬くなった。この対照的な愛くるしい2人の様子に、またもや笑みがこぼれる。 「…んー…」  舌打ちをした佐東はカイトから腕を解き、ため息を吐きながら寝返りをうって向こうを向いた。  この『技』は、僕が昔佐東の“抱き枕”にされていたときに偶然編み出したものだ。  下手に起こすとまた無理矢理付き合わされたりするのだが、頑丈な鎖と化した腕から逃れるために加減や場所の特定をやっきになって“研究”した結果、この方法が最も効率良く佐東を振りほどけることを発見した。(今やあのころの自分の必死さが逆に面白おかしく思えるのだから不思議だ。)  もっともあのころは“抱き枕”などという可愛らしい概念は無く、佐東に抱きしめられているのがただただ苦痛だっただけ。今のカイトと同じ。唯一、香水の匂いが僕好みだったことだけが救いだった。 (おいで。)  もう一度言って手を伸ばしてみる。  だが、せっかく自由になれたというのに、相変わらずこわばったままのカイトは目線を僕からそらし、浅い息を繰り返しながら歯を食いしばって体を前方へと突き動かし始めた。僕からも逃げ出したくて仕方がないようだ。当然か。佐東の脅威が消えたからといって、今や僕だってカイトの敵なのだから。  必死そうに動いてはいるが、その動きは緩慢で速度ものろく、カイトは震えながら必死に手を伸ばし、足を縮め、また伸ばして、少しずつ体を前に進める。高い熱に浮かされているかのようだ。  しばらくしてようやくベッドサイドまでたどりついた。しかし、それ以上進めなくなったので、そこで手を落としてバランスを崩したりしている。  僕も静かに後を追い、カイトより先にベッドから降りる。  カイトは必死に手で空をかきながら、どうやら床を探っているらしかった。あきらめて一度手を引っ込めると、上半身をズルズルとベッドから伸ばし始めた。体ごと下に落とそうとしている。 (こらこら。危ないよ?)  よいしょっ、と。 「…う…」  ベッドサイドから、拾い上げるようにカイトの体を抱きかかえる。 「…はな…せ…」  思ったより軽くて助かった。  背中を抑えて密着させ、足を抱える。小さなカイトの体は、なんとか僕でも持てる程度の重さだった。なにより僕の腕にちょうど収まりがいい。カイトは僕のために出来ているのかも、などと、またくだらないことを思ってみる。 「…んン…」  カイトの口から、なまめかしい吐息が漏れる。佐東の香水の匂いがしている。抱えられまいとして体が動き回るので、落とさないようにしながら慎重に奥の部屋へ連れて行く。  メインの部屋のそれより小さめのベッドにゆっくりとカイトを寝かす。予備の消毒用シートを敷いてあるから、カイトはその冷たさに一瞬息を震わせた。  カイトは体の向きを横向きに変えると、苦しそうに体を折り曲げて荒い呼吸を繰り返す。  もう僕から逃げ出すことは出来ないようだ。たぶん、ひどい目眩に襲われている。時折僕を見上げようとして、焦点が瞳の上をうわ滑りし続けていた。  ひどく可愛らしいその様子は、甘く淫靡な幻影のように僕の目のなかで小さく舞い踊る。  メインの部屋につながるドアを静かに閉め、革の手袋をはずし、新しい薄手のゴム手袋を取り出して、再びつけ替える。  ペットボトル入りのミネラルウォーターにアルコールを少し混ぜて軽く振り、タオルを湿らせてから、約束どおり体を拭きにカイトに向き直った。ベッドに乗って手を伸ばすと、その手をはらわれる。 「…どうなってる…ぜんぜん、死ねないじゃないか…っ!こんなに…苦しいのに…!」  ふふっ。  思わず佐東のような笑い声が漏れてしまった。 「…大丈夫。きっと、“楽園”はもうすぐだよ。」 「…?」  カイトはようやく何かに気づいたようだ。前髪の隙間から僕のほうを見て、「…うそ、なんだ…?」とつぶやいた。 「嘘なんかついていないよ。僕は初めから『楽園行きの薬』だと言って渡したはずだ。」  カイトは背中をさらに小さく丸めると、「…らく、えんだと…?くそ…っ」とかすれた声で言った。 「…じゃキレイになろうか。」 「俺に何を飲ませた…!」  カイトがこっちを向いてかわいらしく牙をむく。  大声を出しても、かわいそうに、大人へと変化しようとしている彼の声帯からはすでにかすれた細い音しか出ないようだ。 ―― 便利だな、声変わりってのは。  佐東の声。体を自由に動かせない今、せめてカイトは僕を大声でののしりたいだろうのにそれすらかなわない。 「…何を飲んだのかは、キミ自身が、もうわかってきてるんじゃないの…?」  カイトはふうふうと荒い息を吐き出しながら、焦点の定まらない大きな黒眼で必死に僕をにらもうとする。息が荒いのは、苦しいからか、それとも…? 「…そんな顔をしてると、叔父さんにそっくりだね。」 「…やめろ…」  カイトはひときわ大きく息を吐いて、顔の前で手を握りしめて震えた。もう、僕に対する抗議どころではないらしい。本当につらそうだ。  そう。カイトが行くのは『天国』ではない。『楽園』。  カイトが先ほど死のうとして噛んだのは、彼を楽園にいざなうための媚薬。  僕は、カイトが自ら楽園に行く瞬間を見たかった。最初からそのつもりでカイトに錠剤を与えたのだ。  その錠剤を投与されると、身体のあらゆる箇所が性感帯と化して過剰反応を起こし始める。  その反応は徐々に理性を狂わせ始め、抑えられない本能はやがて狂気となり、ひたすら自分の欲望を貪るようになる。  ついには楽園を見たいともがくただの快楽の奴隷となりはてるのだ。お気に入りの少年たちがこれを飲み、ベッドの上でうごめく姿は、たまらなく愛らしい。 ―― せつなそうに声を漏らしながら、屈辱にまみれ、それでも彼らはその瞬間、確かに “楽園”を垣間見て、昇華する。 ―― そして、“楽園”に拒まれた僕もまた、彼らとともに浄化された気分になれる――  今やカイトの反応に対する僕の期待は、当初の予想をはるかに超えて膨らんでいた。 …きっとこの美しい少年は、楽園を求め、彼ら以上の狂喜を見せて、僕を喜ばせてくれるに違いない。 …今度は、佐東を通してでなく、僕だけのために動くキミを、僕が楽しむ番だ。 ------------------→つづく

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