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第3話

 さっき笑ったことを怒っているのか、子供らしさにふふっと心の中で笑いながら、珠洲のあとを追いかける。 「珠洲が俺の面倒を見てくれるのに、置いていくの?」  珠洲の機嫌が直らないかなとからかえば、振り向いた珠洲の表情は硬かった。  ――あ……失敗したかも。  大人びている珠洲が、一瞬子供らしく膨れっ面になったのが微笑ましくて、思わず笑ってしまった亮太に他意はない。子供は子供らしく、喜怒哀楽は豊かな方がいいと思っているが、珠洲の性格はまっすぐで、生真面目みたいだ。 「そうでした……亮太さんをこの世界へ連れてきたのは僕なのに……すみませんでした」  礼儀正しく頭を下げて謝る珠洲の手を握れば、びっくりしたのか顔を上げた。 「皇帝陛下のところに連れていってくれるんでしょ? さあ行こう!」  あえて明るく、手を繋いだまま歩きだせば、ギュッと手を握り返してきた。 「亮太さんは怒ってないんですか?」 「なにを?」 「亮太さんが死んだのは僕のせいなのに……」  どういう設定で亮太が死んだことになっているのか不明だが、こうして珠洲の隣にいるのだから、突っ込んで訊こうとは思わない。どうせ夢だというのもあるし、訊いたところで珠洲がさらに落ち込むのは目に見えている。  死んでいたら珠洲の隣にはいられない矛盾に、もしかしたらこの夢は、長いこと施設に顔を出せていない後ろめたさからきているのかと思う。  ――最後に行ったのって、半年くらい前かも……。  施設を出るとき、子供たちには泣かれ、寂しがられてそっぽを向かれた。亮太もおなじ経験をしているからこそ、気持ちはわかる。退所したお兄ちゃんお姉ちゃんが遊びに来てくれるのを待ち侘びていた。  だからこそ、ひとり暮らしを始めた頃は、バイトが休みの日には施設に遊びに行った。顔を出す間隔が少しずつ空き始めたのは、専門学校に通うようになってから。覚えることがありすぎて徹夜は当たり前、休みの日は寝て過ごすことが多くなった。  就職してからは学生の頃のように、バイトと勉強の両立がないぶん時間に余裕はできた。なのに施設から足が遠のいたのは、生活する上での優先順位が変わったから。  施設で暮らしていた頃の世界は狭かった。退所してからも離れるのが寂しかったのは自分の方だ。顔を出せば職員も子供たちも笑顔で迎えてくれる。本物の家族ではないけれど、あたたかさを感じられた。  それなのに、少しずつ変わってしまった。亮太を取り巻く環境が変わり、施設での生活がすべてだった世界は、視界が開けたように広がっていった。単純に、自分の気持ち、その優先順位が変わってしまったのだ。  仕事が忙しくてなかなか来られずすみませんと言い訳めいた言葉を口にしても、「それが自然な流れですよ」と、施設長はいつも笑顔だった。離れていくのは、自分の世界をちゃんと築けているからだと、社会人になった亮太の成長を今でも見守ってくれている。  次の休みは、久しぶりに施設へ行こう。知っている子供たちの大半は退所してしまったが、あの場所はどんなに足が遠のいても、実家のような場所だから。 「ほんとうにごめんなさい……亮太さんが怒って当然です……」  繋いだ手にさらにギュッと力を込められて、思考していて無言だったのを怒っていると勘違いしたらしい。 「あ、違うから。ちょっと懐かしくて、過去を思い出してたんだ。怒ってるわけじゃないよ」 「懐かしい?」 「そう。昔はこうやって子供たちとよく手を繋いでたから、懐かしくなったんだ」 「僕みたいな子供と手を繋いでたんですか?」 「そうだよ。珠洲より小さい子とも、大きい子とも、手を繋いでた。お風呂にいくときも、食堂にいくときも、手を繋いで連れていってたんだ」 「亮太さんは面倒見がいいんですね」 「そういう環境だったからかな」  あの頃の寂しさを埋めてくれたのは、紛れもなく子供たちの世話を焼いていたからだ。寂しさを感じる暇を与えないよう、上の子が下の子の面倒を見る。うまいことできてるなと気づいたのは、高学年になってから。  職員の手が足りないというのももちろんあるが、子供の面倒を見ているときは、自分はここにいてもいいのだと存在意義を与えられているように感じられた。 「亮太さんなら、学問所の先生とか向いていますね」 「先生ってガラじゃないよ」 「そうですか? 面倒見がいいから、亮太さんには合ってると思います」 「ありがとう。でも、俺はトリマーだから」 「トリマー?」  小首を傾げる珠洲はその意味がわからないのだろう。わかりやすい言葉で説明する。 「トリマーは専門用語で、犬や猫の美容師さんってとこかな」 「びようしさん?」  ――あれ? 珠洲くらいの年齢の子には、美容師では伝わらない? 「美容師っていうのは髪の毛を洗ってカットして、きれいに整えてあげる職業なんだけど、俺は犬と猫を専門にしていて、そういう職業をトリマーっていうんだ」 「それって、髪結い床でしょうか?」 「かみゆいどこ?」  聞き慣れない言葉に、今度は亮太が首を傾げた。 「髪結いは髪の毛を結ったりします」  ――ヘアメイクする美容師さんみたいなものとか?  やけに古風な単語だが、昔は美容師のことを髪結いと言っていたかもしれない。珠洲の服装といい、ここから望める景色といい、この夢の時代設定はかなり古そうだ。 「俺は犬や猫専門だけどね」 「こっちの世界の半獣も、髪結い床にいきます。宮廷にも専属の髪結いがいますよ」  宮廷も気になるが、その前の単語も気になる。 「はんじゅうって?」  尋ね返せば、「半獣というのは……」と説明してくれる。 「見た目は亮太さんのように人間に見えますが、祖先が一目でわかるのが半獣です。耳や尻尾、角に牙、体の一部になにかしら祖先の名残があるのが半獣です」 「珠洲みたいに?」 「僕は人獣です」 「じんじゅうって、人に獣の人獣?」  さっきの半獣から、そっち系の世界なのかと推測する。ファンタジー小説はほとんど読まないが、そういう設定なら人獣もありだ。 「そうです。祖先の姿にもなれますし、尻尾と耳だけを残した半獣の姿にもなれます」 「珠洲の祖先は猫かな」 「はい。耳と尻尾でわかりますよね」  少し照れたように珠洲は言う。 「珠洲に似合ってるし、可愛いよ」 「ありがとうございます」  俯いた珠洲の頬がほんのり赤い。見た目だけではなく、性格もいい子なんだろうなと会話の端々から伝わってくる。 「ちょっと気になったんだけど、あそこにいる猫たちは? 珠洲とおなじ人獣で、祖先の姿になってるとか?」  この道には自分たち以外、誰もいない。猫以外は。  長く連なった城壁の上には、猫がちらほらとお昼寝をしている。いずれも飼い主の姿は見当たらず、首輪をしていない猫が耳の裏や体を掻いているのが気になった。 「いえ。人獣ではありません。あそこにいる猫たちは、人間界から紛れ込んでしまったんです」 「紛れ込んだ?」  聞けば聞くほど、ファンタジー要素が濃くなってきている。このままいくと、思考力が試される場面展開になっていきそうな気がするのは、どうか気のせいであってほしい。 「人間界には動物を祀る神社がありますよね。そこからこちらの世界へ来てしまって、繁殖した動物もいます」  ――要するに、どこでもドアみたいな感じで、人間界からナゼリン王国へ来たってこと?  夢の中とはいえ、ここまで聞いてしまったら、これだけは確認しておきたい。  「この国には、トリミングサロン……ああいった猫を洗ったりする美容院、じゃなくて髪結い床ってないの?」 「犬や猫は半獣が飼ったりもしていますが、専用の髪結い床というのは聞いたことありません。お役に立てなくてすみません」 「そっか。でも珠洲が謝ることはないから。皇帝陛下のところに連れていってくれるんだよね。行こうか」  皇帝陛下に会いたいわけではないが、珠洲の気持ちを切り替えるために話題を変えた。  ――皮膚が爛れている猫は見かけないけど、ノミ対策とかどうしてるんだろう……。  職業柄気になってしまうが、夢の中ということで亮太も気持ちを切り替える。 「関所が見えてきました」  珠洲が指さす場所を目で追えば、太い石の柱が道の左右にある。 「柱が関所?」  関所というからには役人がいて、顔を見たり、手荷物を検めたり、不審物の持ち込みや不審人物かどうか検査をする場所というイメージだ。  けれども実際には、柱が二本しか立っていなかった。そこを抜けた向こう側も、おなじ道がずっと続いているだけ。 「あ、そうでした。亮太さんは人間なので、関所をくぐり抜けないと都は見えないんです」  ――なるほど。そういう設定か。  律儀に頭を下げて「説明不足ですみません」と謝る珠洲の手を軽く引っ張れば、顔を上げた珠洲と目が合う。  謝ってばかりいるから笑ってほしくて微笑むと、珠洲も笑顔になった。 「くぐったら、都がいきなり見える感じ?」  歩きながら、迫ってきた関所を前にして、なんだかドキドキしてきた。 「はい。関所をくぐったら都があります。遠目ですが宮廷も見えますよ」  都に宮廷というからには、やはり昔の時代らしい。景色からなんとなく中国かなと思うが、日本だと奈良や平安時代辺りだろうか。 「運河もありますし、貿易も盛んなので、いろんな商人が行き来していて賑やかです」 「なんだかすごく楽しみになってきた」  繋いだ手を前後に揺らせば、「気に入ってくださるといいのですが……」と不安そうな表情を浮かべる珠洲が気になる。年相応とは思えないほどしっかりしていて、少し心配になるくらいだ。  だからあえて繋いだ手を、さらに大きく振った。 「もし俺が気に入らなくても、珠洲が気にすることないよ」 「でも、これから亮太さんが暮らす場所です。気に入らなかったら申し訳なくて……」  ――これから俺が暮らす場所?  珠洲の中で自分はどういう設定、位置づけなのか、気になるが、訊いたらまた珠洲が落ち込みそうなのでスルーする。  他の話題を考えている間にも、関所まであと数歩というところにきて、珠洲が立ち止まった。 「どうかした?」 「亮太さんを連れている説明をしてきますので、ここで少しだけ待っていてください」  誰に説明をするのか、亮太の手を離した珠洲は関所をくぐり、いきなりフッと姿が消えた。 「……これは夢の中で、ファンタジーな設定だからなんでもあり……そう、夢の世界なんだから珠洲が消えてもファンタジーで……」  呟く声が、次第に細くなっていく。気休めでも声にすれば、恐怖が軽減するかと思ったが、震える声がさらに恐怖を煽り、ぶるりと震えた。

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