3 / 31

第3話

 記憶の最後に見たのは、運転席の窓ガラスを割りながら飛び込んでくる大きな岩だった。  岩はバスをつぶしながら、窓ガラスを壊し、運転手をグチャリと潰した。    そこまでは見えた。    視覚が消えた。  気がつくと押しつぶされていた。  前の座席の背もたれが頭の上にあった。  もがく。  身体と座席に僅かな隙間があった。  座席と座席が重なったので、【本当には】押しつぶされてはいなかったのだ。  よく見えない。  その中を無我夢中で動く。  光が見える。  そこにむかって無理やり這い出す。    バスの天井が有り得ない程近くにあった。  しかも上ではなく横に。  バスが横転して潰れているということは理解した。  煙が流れてくる。  早く出なければ。  それだけを思った。  有り得ない程身体を折り曲げ、関節を限界まで動かし、僅かしかない隙間の間をくぐり抜ける。  光。  光が射す方に。     ひしゃげて割れた窓から外にでた。  打ち身は全身にあるようだったが、痛みは感じない。  麻痺しているだけだろう。    でも、折れてないし、動く。 それだけで上等だった。  煙が出てきていた暗い潰れた車内から、風が吹く外に出た。  陽の光の中で思わず跪いて感謝した。  なんだかわからんが、助かった!!     だけど、その感謝は振り返ったなら消えた。  信じれられない位デカい岩がバスを押しつぶしていた。  落石だ。  雨続きで地盤がゆるんでいたから・・・。  落石注意の表示はあったけど、いくら何でもこんなにデカいのは・・・。  俺が座っていた後部座席以外はもう生きている人間がいるとは思えなかった。  せんべいみたいになっても人間が生きていられるのなら話は別だが。  俺はたまたま、と言うよりあの男から少しでも離れたくて一番後ろの席に座っていたから助かったのだ。    バスは煙が上がり始めていた。  流れる燃料。  離れるべきなのはすぐわかった。    でも、それが見えてしまった。  見えてしまったんだ。    バスと一緒に崩れたバス停の停留所の屋根に挟まれて蠢いている者がいるのを。  あの全身タトゥー男だ。  よりにもよって!!  怪我でもしたのか、屋根が重いのか、男は怒鳴りながらでもそこから動けないらしい。    バスから流れる燃料はそこへも流れていた。  バスの煙。  引火は時間の問題だ。  仕方なかった。   本当に仕方なかった。  助けようと思ったわけじゃない。  見捨てる勇気がなかっただけだ。  どうしても出来なかっただけだ。  駆け寄った。  男が驚いたように俺を見つめた。  その目はやはりガラスみたいに乱反射していて、怖かった。  でも、でも。  助けるしかなかった。  バスに乗っていた6人位の人達は死んだだろうし、あの中の人達はもう俺には助けられない。  でも、この男なら、まだ助けれる。  助けれるんだ。  俺は男の上に覆いかぶさっている屋根を持ち上げようとした。  ビクともしない。  燃料は流れてきてる。  煙はどんどん酷くなってくる。  「・・・お前も燃えるぞ」  みたいなことを男が言ったみたいだがどうでも良かった。  お前が誰でもいいんだよ。  俺は、ただ、目の前で何もしないで人が死ぬのは見たくないんだよ。  俺は膝を曲げ肩に屋根を載せた。  腕も足も、肩も、全身の力で動かす。  少しでも持ち上げれば・・・。  俺は叫んだ。  こんなに踏ん張ったことは今までの人生ではない。  頭の血管がぶち切れるかと思った。  腕、脚、体幹、全ての筋肉を連動させた。    わずかに。  わずかに屋根が動いた。    だけど、なんとか男は這い出した。  それを見届けると同時に、バスに火がついた。  俺は屋根から力を抜き、男を引きずってその場を離れた。  マジで火事場のクソ力だった。  男は180センチを余裕で超えていたからだ。  普通なら片手で運べるはずがない。  だがそれで良かった。  男や俺がいたところまで火がつくのはあっと言う間だったからだ。  俺と男は呆けたように潰され燃えるバスを眺めていたのだ。  しばらく。    だが、俺は立ち上がった。  ここにいても仕方ない。  誰かに知らせにいかないと。  携帯はおそらくバスの中だ。  「どこへ行くんだ」  男が言った。    低い声。  バリトンボイスだな、と思った。  意外にも理知的な声だった。  「誰か呼んでくる」  俺は言った。  男は脚を折っているのが素人目にもわかった。    「助けを呼ぶよ、待ってて」  俺は言った。  今の男はただの怪我人だ。  「置いていかないでくれ・・・」  男が座ったまま、俺を見上げながら言った。    その声は驚く程気弱だった。  こんな男がこんな声を出すとは思わなかった。  「大丈夫、絶対助けを連れてくるから」  俺は宥めるように言った。  「置いていかないでくれ・・・」  男が俺に向かって腕を伸ばす。  その弱々しさに胸をつかれた。    そしてわかった。   この男は置いていかれることを恐れているのだ。  多分、置いていかれたのだ。  こんな非常時に。    男は恐らく混乱している。  だってその目は子供の目みたいだ。  獣の子だけど。  凶暴な動物の子供が、ケガをして怯えている。  そんな感じだった。  下手に近付いたら、大怪我させられるけれど。  でも。  でも。  俺は。  見捨てる勇気のない男なんだよ。  俺はため息をついた。  そして、俺はデカい男を担ぐようにして、2時間かけて近くの民家までたどり着いたのだった。  途中で何回放り出そうかと思った。  民家の玄関に着いた時は、本当に放り投げた。  民家で助けを求めた後、俺はさすがに気絶してしまったのだった。              

ともだちにシェアしよう!