8 / 31

第8話

 「すまなかった」  男は俺に謝って即座に煙草を消した。  男は部屋の前にある台所に行き、建て付けの悪い窓をあけた。  そして、灰皿代わりのコップを台所のゴミ箱に放り込んだ。  「燃えないゴミは分別!!」  俺が怒鳴ると、男は大人しくゴミ箱からコップを取り出し、吸い殻の中身をゴミ箱に入れようとする。  「ちゃんと消えてるか確認!!」  俺がまた怒る。    男は頭を掻きながら流しの水道からコップに水を注ぎこみ、吸い殻をちゃんと濡らしたあと、中身をゴミ箱の【燃えるゴミ】の方にいれ、コップを【燃えないゴミ】と表示している方に入れた。  「すまない。これからは気をつける」  男はまた謝った。  意外と素直。    いや違う。  違うから。  謝って欲しいのはそこじゃない。  そういうとこじゃないし、これから気をつけて欲しいのもそこじゃない。  なんで不法侵入してるの?  なんで俺の住所知ってるの?  「家の鍵は変えた方がいい。不用心にも程がある。これくらいなら開けるのに3分もいらない」  男が余計な忠告をしてくれた。  ああ、ホントにな。  不法侵入する前に教えて欲しかったよ!!  「なんで、ここにいるんだ!!」  俺は叫ぶ。  「一緒に暮らすためだ。すまない。時間がかかった。色々始末をつけないといけないヤツやモノがあったからな」  男がすまなそうに言う言葉の意味は分かるが分からないてか、分かりたくない。  「なんで、なんで、一緒に暮らすんだよ、俺とあんたが」  俺は頭がクラクラしてきた。  俺は日本語を話しているし、日本語を聞いているんだよな。  「オレがお前のモノだからだ」  男は当然のように言って、目を細めた。  無理に笑おうとした顔とはちがって、その突然の笑み、それが嬉しくてたまらないみたいな顔には不意を付かれるような無邪気さがあったが、何言ってんだコイツ感には変わりがない。  「要らないって言っている!!」  俺はまた叫んだ。  今日に限って長屋の隣りの婆ちゃんも、そのまた隣りの爺さんも、お向かいのじいちゃんばあちゃんも、町内会の旅行に行ってしまっているのだ。  俺は猫と犬と文鳥の餌やりをしてきたところだ。  ふだんなら俺の怒鳴り声に、何かあったと警察を呼んでくれただろうに。  こういう時にしか役立たない壁の薄さすら、今日は意味がない。  「ダメだ」  男はきっぱりと首を振る。  なんでそんなの決められるんだよ!!  なんで俺には拒否権ないんだよ!!    「それが嫌ならあの時オレを見捨てるべきだった」  男は淡々と言った。  そんな。  そんな。  そんな理屈ある?  俺は言葉を失う。  と言うか、何を言えばいいんだ。  こんなヤツに。  「お前だけだ。オレを助けようとしたのは」  男の目が食い入るように俺を見る。  置いていかないでくれ、とあの時男が見せた懇願する子供のような目。  何故だか言葉がつまる。  そして、やはり実家で飼っていた犬が思い出された。  ケガしていたノラ犬は、うなり声を上げていて、助けようとすると吠えたてた。  腕に上着を巻きつけて、そこに噛みつかせて、噛まれながら家に帰った。  噛まれながら頭を撫でたなら、犬が困惑した目をしたのを覚えている。  両親は呆れながら病院に連れて行ってくれた。  犬は身体が癒されると、俺から離れなくなった。  わかりやすく甘えたりはしてこないけれど、俺の近くから離れようとはしなかった。  眠る時は俺のベッドの足元で眠った。  散歩中、俺に近付く全てに歯を剥いた。  俺を守るために。     俺の家の犬ではなく、俺の犬だった。  死ぬ日も、俺が学校から帰ってくるのを待って死んだ。  俺だけが好きで、俺以外の誰にも懐かない犬だった。  俺はもしかしたらまた同じことをしてしまったのかもしれない。  だけど。  だけど。  犬ならいいよ!!  でもね、でもね、これは違うだろ!!  「離れない。オレはお前のものだ」  男が俺に近づいてくる。  オレンジ色の目が光る。  男が何を欲しがっているのかはわかっていた。  キスまでされたんだから。  俺は。  俺は。  何故かその目に射抜かれて。   動けなくなっていたのだ。                  

ともだちにシェアしよう!