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155 このタイミングは偶然か必然か:S

 康志(やすし)の名前を聞いて、思わず。玲史を見たら、目が合った。  俺に向ける瞳にあるのは、マイルドな怒りと好奇。プラス、憂いの陰。  玲史にとって、康志はただのクズだろう。会ったこともない、俺の話を聞いただけなら当然。  そして。  俺にとって康志は、クズには違いないが……バカで阿呆で愚かで……憐れなクズ野郎だ。  脅されて。つき合いを強いられて、何度も犯されて。安くて惨めな快楽を、身体に刻まれた。  屈辱と葛藤と自己嫌悪を俺に与え続けた2ヶ月余り。康志は満足してると思ってた。俺を犯し。屈服させて楽しんで、気が済んだと。散々使い倒したセックスの道具に、そろそろ飽きる頃だろうと。  なのに。  最後の時。  キスなんかしてきやがって。  好きだ……なんて、抜かしやがって。  俺を好きだから、何をしてでもほしかった……だと!?  ごめん悪かった後悔してる……どんな謝罪も懺悔も聞きたくなかった。最後まで、ただの精液便所だと思わせてくれりゃよかった。ただ、憎ませてくれりゃよかった。  最低のクズ野郎のままでいてくれりゃ、動揺する必要は微塵もなかったってのに。  今、どんな瞳で玲史を見てる?  ちゃんと、康志が憎いって瞳をしてるか?  吐き気のする記憶を掘り起こされて、不快だって瞳をしてるか?  それとも。  何かが不安そうな、どこかが痛むような……いや。嫌な思い出に痛みや苦しみはあり得るからいい。  康志へのほかの思いが表れてなけりゃいい。  酷く扱われたくせに、同情する気持ちがあるのは……玲史を好きになった今だからだ。  部の大会が無事に終わり、退部して。脅しが無効になってから、康志とは一言も喋ってない。何度話しかけられても相手にせず。何度話をしたいと言われても、電話もメールもメッセージも全て拒否した。  学園に入り。顔を合わせる機会がなくなって。ホッとした。  自分に非がなくても。理由があっても。康志を無視し続けるのは、キツかった。  何故か、は……わかってる。  面と向かって拒否してない。キッパリ終わりになってない、してない。ケリをつけてない。逃げてる気がするせいだ。  康志との形だけのつき合いは終わってる。  康志と俺は友達ですらない。  話すことはない。  俺には、康志に言いたいことはない。ないはず、だった……。 「そいつ、地元のダチ?」  微妙な空気の短い沈黙のあと、(たすく)が口を開くと。 「紫道(しのみち)の元カレ」  すかさず、玲史が答え。 「今カレの家にお泊まりだからいないよって、言った?」  尋ねる。 「あー……会いたいっつうから、いないっつって。門の前で待つっつーから、今日は帰らないっつって……なぁ、元カレって例の?」  視線を向けられて頷くと。 「イメージ違うな」  佑が続ける。 「昨日のヤツはマジメそうで、お前に会うのに必死っつーか。明日までしかいられない、どうすればいいどうしても会わないと……って。会えなきゃ死ぬくらいの勢いでよ」  正直、驚いた。  2年も経って、今さら何を……いや。そうじゃない。  康志の中ではまだ、終わってないんだろう。俺の中でまだ……完全な過去にはなってないように。 「で? 今日も来るって?」  玲史が尋ね。 「来るだろ。あの様子じゃ、絶対」  佑が答え。 「なのに、伝言とかねぇし。自分の名前言っといて口止めもねぇから、サプライズってわけじゃねぇだろうし」 「ふうん……てことは、紫道に選ばせるんだ」 「嫌ならスルー出来るってか。けどよ、どうしても会うつもりなら変じゃね?」 「知らない。クズの思考回路は、はじめから狂ってるんでしょ」 「……どういうつき合いだったか、聞いてんだな」 「うん。会ったら、オトシマエつけさせなきゃ」 「高畑……お前、そんなナリしてマジ武闘派なの、ウケるぜ」  黙ってる俺抜きで話が進み。 「あー、でも。あんだけ会いたがってるとこ、会ってやらねぇってのもいいんじゃん?」 「ソレもアリかなぁ」 「どうする? 紫道」  佑が尋ねる。 「会うなら、一緒に行くよ。会わないなら、予定通り僕のほうね」  玲史が2択を示す。 「俺は……」  口ごもる。  答えられない。  迷ってる。  選べない。  本当にそうか?  康志が俺に会いに来たと聞いてからずっと。ムクムクと湧いてきた感情と仮死状態で心の底にあった思いが、ぐるぐると巡る。出口を求めて。その出口の先は、わかってる。  康志と話さなけりゃ。  未だ囚われた俺のどこか。今となっちゃ小さな一部分が、解放されたがってる。やり残したモノを抱えていたくない。ほとんど感じない重みでも、引きずっていたくない。  昨日。玲史のコトがあったその日に、康志が俺に会いに来た。  今日。玲史が10年ぶりに母親と会う日に、康志と会う機会が訪れた。  このタイミングは偶然か必然か。  一緒に行くと、玲史に言った。  ひとりじゃ心細いだろうと思ったんじゃない。  玲史が傷つく可能性があるなら、そうならないように自分がそばにいたいと思った。  今も、変わらない。  玲史と一緒に行く。  それは、迷ってない。  康志と会う。  これも、迷ってない。  どっちか片方を選ばなくていい。どっちも選べる。  玲史の母親に会いに行って。そのあと、康志と会う。どうしても俺に会うつもりなら、康志は待ってるはずだ。今日しかない理由があっても、時間の許す限り。  迷ってるのは、そこじゃない。迷うってより……どう伝えればいいのか、わからない。  康志に会うのは俺だけだ。  そうするべきだと思う。そう感じる。  コレは俺の問題で。玲史と知り合う前の、つき合う前の問題で。玲史には関係ない。玲史を関わらせたくない。  この気持ちを上手く伝えられる気がしない。  隠したいことがあるわけじゃない。  知られたくないことがあるわけじゃない。  知りたけりゃ、あとで全部話す。  それでも。  淋しく感じさせちまうかもしれない。  だから、すぐに答えられなかった。ためらった。  けど……。 「紫道?」  俺を見上げる玲史の瞳を見つめる。  伝わると信じろ。  伝えられると信じろ。  信じ合ってるなら、伝わる。わかってもらえる。 「お前のほうに行ってから、康志に会う」 「あ、そうだね。両方行けるか」  頷く玲史に。 「康志とは、俺ひとりで会う」  言った。

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