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166 アイノチカラ……ってやつで!:R

 紫道(しのみち)だ。  マンションの入口横。ガードレールのポールに腰かけて俯いてる男は絶対、紫道。遠くからでもわかる。  あの身体つき。あの頭。ゴツくて強そうなのに、纏う雰囲気はやわらかめでやさしい。僕の好きな男。見間違えるはずないじゃん……なんて。  うちの学園の制服姿だし。今日、来るって知ってたからだけど。  知ってた……ってより。  当然、来ると思ってた。  だってさ。  紫道は、康志(やすし)と会ったあとでうちに来るって言わなかったけど。  僕も、来てって言わなかったけど。  昨日の今日で、連チャンだけど。  会いたいに決まってる、会わないでいられない日だもん。  紫道に康志の話、聞かなきゃだし。  僕のほうも、母親の話しなきゃだし。  ソレはあとでもいいとしても。  今日はトクベツなの。  愛っていうの、わかっちゃったから。  昨夜。紫道が僕をアイシテルって言ったの、嬉しかったし。信じたし。今朝も、愛されてる感あったし。  でも。  僕がアイシテルかどうか、知らなかった。わからなかった。  けど。  わかったから。  伝えなきゃ。伝えたい。この気持ちが消えないうちに。  紫道、言ってたじゃん?  僕が僕だってことに価値がある……って。  ソレ、イマイチ納得いかなかったんだけど。納得出来る話、聞いたの。(つむぎ)さんに。  だから、言える。  僕の見えないところにも価値があるなら、見えない愛を語ってもウソくさくならない。幻を見ても、虚しくならない。  だから。 「紫道!」  呼んで。駆け寄った。 「ただいま」  あんまり使ったことのない帰宅の挨拶を口にすると。 「お帰り」  顔を上げた紫道が応える。  悪くない。  僕の帰るとこに紫道がいて、待ってて。当たり前のように。家族みたいに。 「母親と……ちゃんと話せたか?」  心配そうな顔に、唇の端を上げて見せる。 「バッチリ。きみは?」 「終わりに出来た。アイツのことはもう、思い出さない」  僕に向ける瞳に迷いがなくて、ひと安心。 「うん。あとで聞かせて。とりあえず、中入ろう」  ここじゃ、何も出来ないし。 「玲史……」  立ち上がり、紫道があらたまった声を出す。 「会いたかった」 「うん。僕も」 「今日、泊めてくれ」 「うん、もちろん……」 「やりに来たんじゃない」  うん? 「話をして、一緒に眠りたい。それだけでいい……っつうか……それだけにしてほしい」  う……ん? 「やりたくないってこと?」  まぁ、昨日もやったし。僕は全然やれるけど、オアズケされてツラいってほど溜まってないし。気分いいし。  紫道が疲れててしんどいなら、エロナシでもオッケー……あーでも、そこを犯すのもよき……。 「やりたい。お前となら、いつでも」  え? 「じゃあ、何で?」 「……お前の価値はセックスじゃない」 「知ってるよ。きみが教えてくれたし、今日……」 「ソレを、俺が証明する」 「しょう、めい……って……」 「見せたいんだ。ちゃんと、お前が目に見えるカタチで」  強い眼差しが僕を見つめる。 「俺はもう二度と、お前に……自分を低く見てほしくない。お前は最高なのに……」 「知ってるってば」  そんなことしなくてももう、わかってる。  紫道の好きな僕、紫道を好きな僕は最高。セックスしなくても。僕の見えないところ、僕が僕である内側の何かを、紫道が好きになってくれてるって。  だけど。 「ん。いいよ。今日はやらない」  紫道にとっては大事なことっぽいから。その気持ちを尊重するの。その禁欲?……に、つき合うの。  僕だって、紫道が紫道だから好き。  好みの顔。好みの身体。M寄りの性癖。ドMになれる素質アリ。開発しがいのある身体……とか。紫道の見える部分もすごく好きだけどね。 「行こう」  笑顔で言って、ホッとしたように表情を緩めた紫道の手を引いた。  リビングのソファに落ち着いて、ホットコーヒーを飲む。  僕が紬さんと食事してくると見込んで、紫道もコンビニ弁当で夕飯を済ませてたし。エアコンは入れたけど、部屋はまだ肌寒くて……手っ取り早く身体を熱くする方法はあるけど、今日はソレナシだから。  でも。 「セックスはしないとして。どこまでならオッケーなの?」  一応、聞いとかないと。  会いたくて会ってる恋人同士。少しの接触行為もダメなのは変……っていうか。ソレだとそっち系のプレイでしょ、もう。 「そりゃ……」  口を開くも口ごもる紫道。 「キスは? ぎゅってするのは? アナルに指入れるのは?」  具体的に聞くと。 「最後のはダメだ。抱きしめるのはいい。キスは……エロくないのはいい」  マジメに答えてくれて。 「エロがなくても、俺はお前といれるだけで幸せだ。お前は……俺を抱けないと不満か?」  聞き返されて。 「ずっとなら、不満」  本音で答える。 「ほかの男はただやりたいだけだったけど、きみはそれだけじゃなくて。好きだから抱きたいの。でも、抱けないからって嫌いにならないよ」  同じだもん。  僕にとっても、紫道のガワだけに価値があるわけじゃない。 「そう、か」  息を吐いて、紫道がコーヒーをガブ飲んだ。  安心したっぽい?  紫道はそこのとこ、気にしてるもんね。だから、今日はやらないわけだし……てことは。  もしかして。  僕も試されてる?  証明するべき?  紫道の価値はセックスじゃない……って。  その必要。僕にはないけど、紫道にはあるなら。  わかってもらわなきゃ。  うん。  今日はエロナシ。清く楽しく。のんびり? まったり?  まずは、話。 「康志、何の用だった?」  先に聞いた。  そして。  紫道が話した。  だいたいは、やっぱりって感じで。  ひとつ。紫道がヤツを罵らずに許したのは、ちょっと残念。黒い紫道、見応えあったと思うし。過去のウサを晴らしてほしかったし。クズはもっと思い知るべきだし……だけど。  紫道がすごくスッキリした顔してるから、それでよし。  クズの呪縛から解かれて、よかった。  僕も満足。僕も嬉しい。 「お前のほうは……?」 「聞きたいこと聞けて、言いたいこと言えたよ」  紬さんとの話を、紫道に話した。  十数年ぶりのまとも会話は、当然最初はぎこちなかった。  母親にとっては、小さな子どもだった僕が自分より大きくなってて。僕にとってはほんと、知らないオバサンくらい遠い人で。言葉を選んで探るように話すしかなくて。場所はレストランの個室で、邪魔が入らない代わりに静けさが重くて。早い時間からの夕食だったけど、食べるって行為があってなんとか間がもつ感じで。  紬さんはずいぶん僕に気を使ってたと思う。息子の僕がよそよそしいのは自分のせいだって、わかってるからか。僕に負い目があるからか。  最初は、当たり障りないことをポツポツ喋ってて。  なかなか、僕の中での本題を持ち出せずにいた。  けど。  何度目か、ずっと会いたかったって言われて。  要らなくて手離したのに、何で?……って、聞いた。  聞きたかったのはコレ。知りたかったのはコレ。  お前を置いて出ていったのは要らないからだ。  あの女はお前を捨てた。  お前に母親はいない。  物心ついて父親にそう教えられ、そうなんだと思ってた。  自分はそういう存在なんだ……って、ただ思って。疑わなかった。悲しいとか淋しいとか、別になかった。父親ともたまにしか顔合わせないし、必要な時しか誰かと一緒にいることもなかったし。  でも。たぶん。どこかが気にしてた。  自分は要らない存在。  だから。何もない、何もしない僕は無価値なんじゃないか……って。  ついこの間まで思ってた。  今は違う。  だから。何を聞いても動じない。  僕には紫道がいるし。  翔太(しょうた)が言ってたの、本当だった。 『チカラがあるって信じると、無敵になります』  愛のチカラって、マジであった。  無敵な感覚っていうのを、実感した。  で、紬さんの答えを冷静に聞けたんだけど。  予想外の内容だった。別の世界線ってくらい。  紬さんは僕の父親を尊敬してて、好きで結婚して。でも、僕が3歳になる前、今の再婚相手と出会って……愛して。父親と別れる際、僕を連れてこうとして……阻止された。  僕を連れてくなら、僕の将来を潰す……そう、脅されて。  脅しじゃなく本気でやる……父親はそういう人間で。  僕を置いていかなきゃならないなら父親と別れない……その選択も許されず、ひとりで家を出た。  父親の怒りを自分だけに向けて。僕を守るには、離れるしかなかった。  この話をすんなり信じたのは、紬さんが父親のせいにしてなかったから。むしろ、庇ってたから。 『自分の気持ちを表すのが苦手な人だけど、彼はあなたを愛してる。それだけは信じて』  紬さんのこの言葉も、信じられた。  大切にされた覚えはないし、かわいがられた記憶もないのに。  でも。  それは僕が気づけなかったのかもしれない。見ようとしてなかったのかもしれない……って。思えたのは、無敵だからかな。  そして。 『私も、あなたを愛してる。あなたが、私のことを嫌いでも憎んでいても……』  続けた紬さんに。  嫌いじゃないし憎んでもいない。今日話を聞いてよかった。会ってよかった……って伝えた。  言いたかったこと…母親がいなくても僕は不幸じゃなかった、特に今は幸せだから大丈夫だ……って伝えた。  その後。まだ少しカタいながらも、リラックスしていろいろ話して。  最後に。ありがとう……って、言った。またね……って、言った。 「要らない存在じゃなかったみたい。今さらだけどさ」  一通り話終えて、一息吐いて。 「会う気になったの、紫道とつき合ってからだし。前は、愛とか信じなかったし。今日でよかった」  紫道に笑いかける。 「きみがいて、よかった」 「……そうだな」  よかったことがいっぱいある。  自分のことでも、紫道のことでも。  同じに嬉しい。 「お前が笑えてるなら、よかった」  紫道も笑顔で。 「玲史……」  僕に伸ばした手を、途中で下ろす。  あー……エロ禁止だから?  自信がないの?  しょうがないなぁ……じゃ、僕がする。  今もきっと、無敵だもん。  アイノチカラ……ってやつで!  慣れてなくて。意識してないと舌出しそうになるから気をつけて、紫道にキスをした。

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