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第6章③
翌朝、一番早く起きたクリアウォーターはキッチンで三人分の食事の用意にかかった。
スザンナは昨晩の内に帰宅したらしい。流し台にウィスキーのグラスが洗われないまま残っていた。それを片付けて、缶詰のベイクド・ビーンズを鍋で温めていると、そこにあくびをしながら姉がやって来た。スザンナは鍋の中身を見るなり、
「――そいつをあたしの皿に入れたら、半殺しだから」
朝から物騒なことを言った。
「はい、はい」
クリアウォーターは気のない返事を返した。基本的に何でも食べる姉だが、豆のトマト煮だけは大嫌いなのだ。だから、幼少期に家の朝食で見ることは滅多になかった。クリアウォーター自身はイギリス留学中に食べ親しんだその味をなつかしみ、今も時々、缶詰でそれを味わうことにしている。
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す姉を横目に、クリアウォーターはベーコンエッグに取りかかった。正枝が来ない土日に朝食を作ることにも、すっかり慣れてきていた。
「そうだ、ダン。あたし、朝ご飯食べたら出かけるから」
「ああ、そうかい」
スザンナが不在になると知って、クリアウォーターがほっとしたのも束の間、
「カトウ軍曹 と出かけるから」
姉がとんでもないことを言い出した。クリアウォーターは鍋とフライパンの火を止めて、振り返った。今、聞いたことが空耳であってほしいという期待は、あえなく打ち砕かれた。
「…誰と出かけるって?」
「カトウ軍曹よ。あんたの部屋のベッドでお休み中の」
「ちょっと待ってくれ。一体、どういうつもりで…」
「昨日…ていうか今日の夜中か。起きてきた軍曹と、ちょっと話したの」
姉の言葉を耳にしたクリアウォーターの頭に、先ほど片付けたグラスの存在がよぎった。
アルコールと就寝中の恋人 の組み合わせに、脳内の危険信号が勢いよく点滅しだした。
「姉さん、まさかカトウに酒を――」
「飲ませてないわよ、一滴も。下戸なんでしょ、彼」
それを聞いて、クリアウォーターはひとまず胸をなでおろした。姉に釘を刺しておくべきだったのに、それを怠った自分に腹が立った。
しかし、どうやらカトウはちゃんと自分で自分の身を守れたようだ。
スザンナはオレンジジュースのグラスを揺らした。
「ダン。あんた、もうじき誕生日でしょ」
「八月だから、あと一か月くらいあるが」
「とにかく、もうすぐでしょ」
スザンナはぴしゃりと言った。
「せっかくの機会だし、何かプレゼントしたいんだけど、あんたが何が欲しいかさっぱり分からないから。あんたのボーイ・フレンドに、アドバイスしてもらおうと思ってね」
「それなら、私に直接、聞けば…」
「サプライズにならないでしょ、それじゃ」
スザンナはそう決めつけたが、クリアウォーターは「何か変だな」と思った。
互いに家を離れて以来、姉と季節の節目にカードのやり取りを欠かしたことはない。
しかし、何か贈り物をもらったことなぞ、ついぞなかった。
――…一体、どういう風の吹き回しだ?
考えたものの、残念ながらスザンナの思惑は――あるいはたくらみは、すぐに見当がつかなかった。
仕方がない。ひとまず、クリアウォーターは朝食づくりに専念することにした。
ーーとにかく、カトウが起きたら事情を聞こう。
もし姉が無理やり買い物につき合わせる気でいるなら、断固それを阻止する必要があった。
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