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第7章①

 曙ビルチングの前に、約束の時間通りにタクシーが止まる。乗り込んできたカトウに、後部座席にいたスザンナが笑いかけた。 「へえ。その格好なら、確かに立派な軍人に見えるわ」  何と応じていいか分からず、カトウはあいまいに相づちを打った。クリアウォーター邸で朝食を取った後、カトウは一度、曙ビルチングに戻って軍服に着がえた。結局、この格好の方が何かと余計な誤解を招かずに済む。そのことを昨日、学んだばかりだ。  カトウがスザンナと出かけることにクリアウォーターは明らかに不審と不満を抱いたようだが、結局、自分の方が折れた。カトウは申し訳なく思ったが、仕方がない。スザンナは来週中には東京を離れて、京都へ向かうつもりだったからだ。 「京都にあたしたちの父が昔、懇意にしていた人がお寺の住職をやっててね。しばらくそこに下宿させてもらう手はずを整えたから」  牧師と僧侶がどんな接点で知り合うのか、カトウは不思議に思ったが、何のことはない。二人は昔、同じ女子大でそれぞれ英語とドイツ語を教えていた同僚だということだった。 「というわけで、休みの日であたしが軍曹(サージャント)と一緒に買い物ができるのは今日くらいだから――出発してちょうだい」  最後の台詞は、タクシーの運転手に向けられたものだ。「イエス・マム」の返事をして、運転手はアクセルを踏んだ。大柄なアメリカ人女性と、軍服を着た日系人の小男の組み合わせに明らかに好奇心を持ったようだが、彼はつつましく沈黙を守って運転に専念した。  カトウは車外の風景を眺めながら、昨晩、スザンナと交わした会話を思い出した。ちょっとしたアドバイスを求めただけだったが、気づけばこうして連れだって出かけることになってしまった。 「あたしも(ダン)と会うのは久しぶりだから。正直、あいつが何もらって喜ぶかよく分からないのよね」  カトウに相談されて、スザンナはあっけらかんと言ったものだ。 「でも、色々と品物を見ていたら、思いつくかもしれない。それにそっちだって、物を見ている内に何かしらピンとくるものが見つかるんじゃないかしら」  もっともな話だ。ただ、単にうまく言いくるめられただけかもしれない。  というのも、スザンナはスザンナで、買いたいものがあると言っていたからだ。  タクシーは荻窪を離れ、都心の方へ向かっていく。日曜日ということもあり、市街は駅前を中心に大勢の日本人でにぎわっていた。田舎へ買い出しに出かける人間は、相変わらず減る気配を見せない。ヤミ市の近くを通りかかると、煙とともにおでんやラーメンのものらしい匂いが漂ってきた。  人の波を何度か越え、何両かの路面電車に抜いたり抜かれたりした末、タクシーは目的地に着いた。下りると、すぐそこに目立つ時計台が見えた。カトウがこの場所を訪れるのは、実に二ヶ月ぶりだ。この近くにあるナイトクラブで、大けがを負った夜以来である。  銀座――占領軍のPX(酒保)前だった。

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