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第7章③
音のする方に、カトウは導かれるように足を向けた。
メロディは、先ほどスザンナを見かけた階、時計を扱う売り場にあるカウンターのひとつから流れていた。
カトウがたどり着いた時、ちょうど最後の一音節が鳴り終わったところだった。カウンターに立つ日本人らしい売り子の娘が、静かになったそれをガラスケースの中に仕舞いかける。
それを見てカトウは思わず、「すみません」と声をかけた。
突然、日本語で話しかけられた売り子は、少しびっくりしたようだった。しかし、カトウがアメリカ軍の軍服を着ているのを目にすると、すぐに営業用の笑みを浮かべた。
「はい。何か、お探しですか」
「…それ。もう一度、聞かせてもらってもいいですか」
売り子は一瞬、キョトンとした。が、すぐにカトウが言わんとしていることを理解して、ガラスケースから彼女の扱う商品を取り出した。手に取って、ゼンマイを巻く。ケースの上に置かれると、それはすぐに先刻のメロディを奏ではじめた。
どこかで聞いた覚えのある曲。でも曲名は思い出せない。
それでも、その繊細な音のハーモニーは、カトウの心を強く惹きつけた。
――……って。俺が欲しいものじゃなくて。
クリアウォーターがこれを贈られて、果たして喜ぶか。問題はそこだ。そのことを考えて、カトウはためらった。もらってうれしいか。仮に最初はうれしくても、しばらくしたら聞き飽きるんじゃないか……。
――やっぱり音楽はいいな。落ち着くし、心が穏やかになる――
ふいに、カトウはその声を思い出した。
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ーー三年前の夏。
場所は日系人連隊が派遣されたイタリアにある、小さな町だった。
カトウの所属する大隊が到着した時、町はすでに味方の占領下にあった。それに先立つドイツ軍との戦闘で、建物の多くは一部が壊れるか、あるいは大部分が瓦礫の山と化していた。
太陽が真上に来る時間帯で、大隊はその場所で散開して、昼食をとることになった。ちょうど運よく、米が手に入った時だ。カトウは小隊の仲間から頼まれて、コックを手伝って米を炊いていた。
その間に、同じ小隊に属すハリー・トオル・ミナモリが、ふらりとカトウの目の届く範囲から姿を消していた。あまり心配はしなかったが、カトウは昼食ができあがると、自分とミナモリの分をいち早く確保して、行方不明になった男を探しに行った。
幸い、背の高い友人はすぐに見つかった。
ミナモリは屋根が大きく壊れた民家の庭先に立っていた。カトウが皿を両手に近づいていくと、何かの楽器のメロディが聞こえてきた。さらに近づくと、どうみても六十歳を超えるであろう痩せこけた老人が、一心不乱にバイオリンを奏でているのが見えた。
カトウがミナモリの隣に立つと、気づいた友人はかすかに笑った。
「やっぱり音楽はいいな。落ち着くし、心が穏やかになる」
「でも、腹はふくれないだろ」
カトウはわざとそっけなく言って、料理の皿を差し出す。受け取ったミナモリは、
「確かに」と苦笑した。
その後で、少し考えるような表情が整った横顔に浮かんだ。
「…でも。一日中、砲弾や機関銃の音ばかり聞いていたら、忘れてしまう気がするんだ」
「何を?」
「何か…人間として、とても大事なことを」
高鳴るバイオリンの音色に、ミナモリは少し目を閉じた。
「ーーここで、あの音を聞いていたら。不意に気づいたんだ。今の自分の心がどれくらい乾いて、殺伐としていたかって」
カトウはどう答えていいものか分からなかった。
ミナモリは目を開けると、庭先に向かって「シニョーレ 」と呼びかけた。
バイオリンは鳴りやまない。
ミナモリは別に気分を害した風もなく、庭に足を踏み入れた。そしてカトウが止める声に手を振って、転がっていた廃材の上に持っていた皿を置いた。
戻ってきたミナモリに、カトウはうなった。
「今から戻っても。もう飯は全部、他の連中の腹の中だぞ」
「うん。分かってる」
「……ったく」
カトウは仲間のところに戻ると、ミナモリをその場に引きとめた。
そして皿の料理の半分を、お人よしの友人の口に、無理やりつめこんでやった。
「…お客さま?」
売り子に呼びかけられたカトウは、気づくとこう言っていた。
「あの。これ、ください」
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