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第8章①

 ジープに揺られること一時間あまり。  銀座からほぼ西へ向かった末、到着したのは――飛行場であった。  旧調布陸軍飛行場。  戦時中、東京府の事業として、調布町、三鷹村、多摩村にまたがる50万坪の土地が買収されて作られた軍用地である。完成後は、東京・横浜方面の防空を統括する第17飛行団指令部が置かれ、飛行第144戦隊(後に第244戦隊と改称)がここを拠点に帝都・港都の空の防衛を担った。  日本の敗戦後、飛行場は連合軍によって接収された。その東半分は引き続き、連合軍の航空機の離着陸に利用されたが、西半分は意外なものに生まれ変わった。  水耕栽培の野菜農場である。7万坪ほどの面積にキャベツやキュウリ、トマト、ピーマン、ホウレンソウといった野菜が化学肥料を用いて育てられ、連合軍将兵やその家族の食卓へと届けられていた。  カトウとスザンナ、それにウィンズロウ大尉の乗ったジープは、当然のように東側のゲートを抜けて飛行場内へと入り、しばらくして停車した。ジープで長距離を走るのは久しぶりだ。カトウは後部座席から降りると、背中をそらして凝り固まった筋肉をほぐした。  誰かが植えたのだろう。ジープを停めた場所から少し離れたところに、白い大輪の木槿(むくげ)がいくつも花をつけていた。カトウがぼうっと、それを眺めていると、ポンと肩をたたかれた。 「やっぱり、あなたロマンチストでしょ。この場所に来て、空も見上げずに、真っ先に花に興味を持つなんて」  スザンナはそう言って、クスっと笑う。彼女の背後では、ウィンズロウ大尉が長い腕を大仰に振り回しながら、整備兵らしい男に指示を飛ばしていた。しばらくすると、大尉は満足気な顔で、カトウとスザンナを手招きした。 「準備完了よ。で、どっちから乗るの?」 ――乗る?  カトウが、ウィンズロウの背後に目をやる。  そこには、灰緑色に塗装された小型飛行機が明るい陽射しの下で待機していた。 「………」  悪い予感は、どうやら的中したようだった。  スティンソン社製L―5センティネル。大戦中、アメリカ軍で広く使用されてきた二人乗りの連絡・観測用プロペラ機である。もっとも、カトウは見かけたことはあっても、その名前や性能などちっとも知らない。飛行機に関しては、完全な門外漢である。  戦地にいた時ですら、移動手段はもっぱら地上に限られていた。徒歩か、軍用トラックか、ジープか。珍しいところで、戦車止まり(たまたま走っていたシャーマン戦車の砲塔に乗せてもらった)である。アメリカとヨーロッパを往復する時も、日本に来る時も、船で移動した。  というわけで、生まれてこの方、カトウは飛行機と名の付くものにまったく縁がなかった。一度も乗ったことはない。そして、できることなら今後も乗らずに済ませられるなら、それに越したことはないと本気で考えている。  人間は地面を歩くものであって、空を飛ぶのは不自然の極みである――と思う。  この点、前世紀の人間と大差がない。  というか――単純に、空中という未知の空間が怖いだけなのであるが。  にもかかわらず――。 「気分はどうかしら、軍曹?」  風防ゴーグルをつけたウィンズロウ大尉が、後部席の方を振り返って大声で叫んだ。すでにエンジンが始動している。そのせいで、普通にしゃべっていては到底、何を言っているか聞き取れなかった。  できることなら、「今すぐ降ろしてくれ」とカトウは言いたかった。不安しかない。だったら最初から乗るな、と自分でも思うが、ここまでわざわざ連れてきてくれたスザンナの好意を無碍にもできなかった。  そのスザンナは滑走路の向こうから、笑顔でこちらを見ている。この鉄のトリに乗り込む前、カトウは彼女に先ほど買ったプレゼントを預けてきた。  ……最悪、墜落しても、少なくとも贈り物はクリアウォーターの手元に届く。  それだけが救いだ。  冗談抜きで、そんな悲壮な思いを抱いていた。

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