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第8章②
滑走路は整備がきちんと行き届いている。にもかかわらず、走り出したプロペラ機の車輪 から伝わる振動で、カトウは舌を噛みそうになった。風防ガラスの向こうの景色が、車や列車ではありえない速さで飛び去って行く。そして、ろくに心の準備もできない内に、機体が斜めに傾いた。見えない手で、身体が座席に押しつけられる――。
次の瞬間、ガラスの向こうの世界が一変した。
「……うわっ」
カトウは思わず目が釘付けになった。地上から眺める限りでは、飛行機というのはもっとゆっくりと上昇していくものだと思い込んでいた。だが、これは――地面から引っぺがされると言うのがぴったりだ。飛行場の建物が見る見る小さくなっていく。滑走路全体が、それから西半分の水耕農場が眼下に広がる頃には、すでに地上から何百メートルも離れていた。
――本当に、飛んでる。
すごい。でも正直、怖い。興奮と恐怖が半々といったところか。
「これから、東に向かうけど!」
ウィンズロウ大尉のハスキーな声が、エンジン音の合間を縫って聞こえてきた。
「何かルートの要望があれば、聞くわよ!」
「いえ、お任せします!!」
何かを考える余裕など今はない。カトウの返事に、ウィンズロウは「オーケイ」と答えた。プロペラ機が少し傾く。カトウはひやりとしたが、すぐに機体は平衡を取り戻した。
足元に広大な関東平野が広がっている。右側を見ると、キラキラと輝く帯状のものが地上を横切っていた。しばらくして多摩川だと気づいた時、再びウィンズロウの声がした。
「この辺、もう荻窪あたりよ!」
言われて、カトウは下をのぞきこんだ。
緑の野。それに田んぼと畑。機体が弧を描いて旋回した時、一瞬、見覚えのある洋館が目の端をかすめた。
U機関の三階建ての建物は、空の上から眺めるとまるでおもちゃの家のようだった。カトウは頭の中で、素早く地図を広げた。太陽の位置から方角を確かめ、およその目測をつける。
当たりをつけた辺りーー緑の木々の間に目を凝らすと、すぐにそれは見つかった。
U機関の建物より、さらに小ぶりな淡緑色の洋館だ。その二階のベッドの中で、つい数時間前までカトウはまどろんでいた。
クリアウォーターの邸は夏の陽の下で、いかにも平和そうに見えた。
――少佐。ちゃんと、お昼ごはん食べたかな。
そんなことを、カトウは考えた。離陸して以来、初めて地上にいる時に近い冷静さを取り戻していた。
プロペラ機の時速は、大体百五十キロくらい。
まもなく、カトウが普段、生活を営んでいる場所から離れていった。
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