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第9章①
「父さんと母さんにとって、弟 は自慢の息子だった」
スザンナはぽつりと言った。
「何かにつけて、周りとぶつかってばかりのあたしと違って。弟はいつだって、両親の期待を裏切らない『いい息子』だった。だからこそ……あいつが同性愛者だと知った時は、なおさらショックが大きかったんだと思う」
スザンナの言葉に、カトウはじっと耳を傾けた。
「弟がそのことを告白した日、あたしもたまたま両親の家に行く用事があったの。帰ると、母さんはうれしそうでね。理由を聞いたら、弟が『大事な話がある』って電話をかけてきたって言ったわ。母は、弟がついに誰かいい女 と巡り会って、その報告に来るんじゃないかって、想像をふくらませてたわ。ダニエルはそんなことがあってもおかしくない年齢だったし、母はずっと…自分がおばあちゃんになるのを待ち望んでいたから」
スザンナはそこで少し笑ったが、声には苦いものが混じっていた。
「後から考えれば、ちょっと変だと思うべきだった。その時、弟 は二十五歳だったはずだけど、それまでに女の子と付き合っている様子なんて、微塵もなかったんだから」
その夜、クリアウォーターはずっと秘密にしていた自分にまつわる真実を、両親と姉に告げた。その決断に至る道が容易でなかったことは、スザンナにも想像できた。
それでも、クリアウォーターはきっと信じていたのだ。
自分の両親なら、きっと受け入れてくれるだろうと。
だが、それは弟にとって人生最悪の読み違えになった。
居合わせたスザンナは、その時の光景を一生忘れられそうになかった。
あんなに怒り狂って絶望した父の顔は、見たことがなかった。母は椅子に崩れ落ち、その後、声を上げて泣き出した。母をなぐさめようと、とっさにそばに寄りかかる弟に向かって、父親は叫んだ。「近寄るな――」
この悪魔め。
それを聞いたクリアウォーターはひと言も発することなく、真っ青な顔で家から出て行った。スザンナは硬直したまま、三人の様子をただ見ていることしかできなかった。
弟が去った後の家は、まるで葬式のようだった。それより悪かったかもしれない。父親は滅多に飲まない強いウィスキーを飲みだし、そのまま居間のソファの上で寝てしまった。スザンナは母親をなだめ、服を着替えさせると、ベッドまで付き添い寝かしつけてやった。
そのあと、ニューヨークにある自分のアパートに戻ると、クリアウォーターが昔、教えてくれた連絡先に電話をかけ続けた。
スザンナが弟をつかまえることができたのは、結局、三日も経った後のことだった。
「ごめん。姉さん 」
弟の言葉に、スザンナは深呼吸して答えた。
「謝るようなことじゃないでしょ」
ニューヨークに戻る道中で、スザンナの出した結論がそれだった。
「あんたが悪いわけじゃない。同じことは、父さんと母さんにも言えるわ。三人とも悪くない。あの場ではその…ちょっとひどいことになっちゃったけど」
「………」
「ねえ、ダン。お願いだから今回のことで、父さんと母さんと絶交するのだけは、やめてちょうだい」
「…どうだろう」
答えるクリアウォーターの声に、いつもの力はなかった。
「父さんと母さんの方こそ、それを望んでいるんじゃないか。こんな恥ずかしい息子なんて、いらないって」
スザンナは言葉につまった。両親の反応から察するに、弟の言うことには真実味があった。
自慢の息子。
それが裏切られた失望は、小さくないだろう。
「――あんたはいつだって、いい子だったわ」
スザンナは言った。
「今までずっと、そうだったでしょ。父さんと母さんに叱られたり、二人と大喧嘩するのは、いつだってあたしの方だった。学校で赤毛をバカにしてきた男子を、あたしが後ろから蹴飛ばしてケガをさせた時も、密造酒こっそり買って飲んでたのがバレた時も、コミックブックの作家になるって宣言してニューヨークに出て行った時も――怒ってた二人をなだめて、仲直りの機会をつくってくれたのは、いつだってダン、あんただった」
「そうだったかな」
「そうよ。今だから白状するけどね。あたし、あんたがたまに妬ましかったわ。いつだって、誰とだって、うまくやっていけて、愛されてたから」
でも、とスザンナは窓の外を見やった。
年齢も、性別も、肌の色も髪の色も異なる様々な人間がひしめきあっている街。
幸福より不幸が、成功より失敗と挫折が、何倍も生まれている場所。
彼女の弟は「いい子」ではなかった。
悩んでもがいて日々を生きている、人間たちの一人だったのだ。
「あんたはあんたで苦しんでいたのが、ようやく分かったわ」
「姉さん …」
「何とかしてみるわ」
スザンナは誓った。
「あんたと、父さんと母さんとが仲直りできるように。きっと大丈夫よ。あたし、あの二人と何度もひどいケンカをして絶交しかかったけど、いまだに家族の絆は切れずにつながったままなんだから」
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