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第2話

 標高千数百メートル級の山々が、緑色の濃淡を描いて眼下に連なり、雄大な景色にしばし見とれた。  開襟シャツが風をはらんで、ヨットの帆のようにはためく。  紫煙がたなびき、青空に溶け入るさまを眺めているうちに、口許が独りでにほころんできた。  孔雀のように着飾った女たちが闊歩する東京を後にして、車を走らせること数時間。別世界に迷い込んだ感がある。  戯れに叫ぶと山びこが返る。  一九八〇年代の後半から地価が高騰しはじめ、地上げ屋が暗躍して土地を買いあさった結果、古い民家は取り壊されてビルが建ち並び、都心の景観はずいぶん変わった。  株価も急騰した。  先日売り出されたNTT株に至っては百十七万円もの高値をつけ、空前の株ブームを巻き起こした。  飛び出し注意の標識に鹿が描かれた山中でポルシェに行き会ったのが、いい例だ。  投機家はもとより、ずぶの素人が財テクに狂奔した結果、にわか成金が続々と誕生した。  おかげで二十歳(はたち)そこそこの若僧が高級外車を乗り回す例も珍しくなくなった。  眼鏡のレンズを磨いたあとで、運転席に戻った。エアコンを切ってサイドウインドウを全開にした。  窓枠に肘を載せてサイドブレーキを下ろし、アクセルをゆっくりと踏み込む。  九十九(つづら)折りに沿って、しばらく車を走らせると四つ角に行き当たった。一角獣を象った銅板のプレートが、進行方向右手の白樺の枝にくくりつけてある。  それが私道の入り口を示す目印だと教わってきた。  白樺の林を縫って延びる小径にセダンを乗り入れた。簡易舗装がほどこされているが、道ばたにすり鉢状に陥没した箇所があった。  そこは、雨が降るたびに泥濘(でいねい)と化する危険区域に思えた。  ともあれ盛夏の今は、道の両脇から張り出した枝葉が天然のトンネルを形作り、牧歌的な雰囲気を醸し出す。  ところで、ここから先は私有地だ。  ここいら一帯は、わたしの妻──里沙(りさ)の実家である神崎(かんざき)家の地所だ。

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