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第34話

 耳鳴りがする。どす黒い感情に胸を炙られる。わたしは、ぎりりと唇を嚙みしめた。茂み越しに哲也を()めすえる。  あの醜悪なイチモツを切り落として、あの不届き者の眼前でブタの餌にしてやりたい。  違う、という生やさしい次元にはとどまらない、。  一方、天音は手早く身づくろいをすませた。けだるげに髪を撫でつけ、それと裏腹に、しっかりした足どりで歩きだした。  哲也はあたふたとカーゴパンツを引きあげると、 「待てよ! なあ、いつになったら、あのおっさんを追い出すんだよ!」  天音に追いすがり、行く手に立ちはだかる。 「晶彦さんは大切な客だ。さしでがましい口を利くな、不愉快だ」    突っ慳貪に答えると、天音は凛と背筋を伸ばした。哲也に一瞥もくれずに、彼のかたわらをすり抜けた。 「天音! だったら俺も山荘に泊まる。で、俺と天音の仲をあいつに朝も晩も見せつけてやる」  強引に振り返らされて、天音は聞こえよがしなため息をついた。柳眉を逆立て、一転して微笑みを浮かべた。  ただし、それは慈愛に満ちているようでいながら、そのじつ酷薄な笑みだ。 「ものわかりの悪い子は、嫌いだよ?」  冷ややかに、そのくせ猫なで声で囁きかけた。そして胸倉を摑んで哲也をうつむかせると、おざなりなキスで彼をいなしておいて、哲也を突き飛ばす。 「さあ、もう帰ったほうがいい。でないと、奥田商店の二代目は配達の途中でどこをほっつき歩いているんだ、と店に苦情がくる」    くやしまぎれのようにシラカバを蹴りつけたものの、哲也はキャップを目深にかぶり直した。名残惜しげに朱唇をついばんだあとで、背中を向けて一目散に駆けだした。  キスの感触をぬぐい去りたい、といいたげだ。天音は露骨に顔をしかめて唇をこすった。  それから視線を下げた。シャツの袖口に張りついた草をつまみ取り、息を吹きかけてそれを飛ばした。  わたしに投げキッスをよこすように。  一拍おいて反転した。山荘とは反対の方角に歩き去った。

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