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第4章 焼成

 通いの家政婦の江口さんは、(ひな)には稀な料理人だ。  鴨のローストにクレソンのサラダ、コンソメスープに自家製のパン、といった素朴だが味は抜群の料理が食卓に並ぶ。  銀器は光り輝き、テーブルクロスは繊細な刺繍がほどこされたスワトゥ。花も飾られていて、いわゆるヤングエグゼクティブという人種の間で持てはやされているリストランテに較べても引けをとらないセッティングだ。  特別の日に飲むために取っておいた。そう称して天音は貴腐ワインの栓を抜いた。  特殊なカビが繁殖したために水分が蒸発して半乾燥状態になったブドウの実を用いて醸造したワイン──それが貴腐ワインで、稀少価値が高い代物だ。 「どうです? 独特の甘みが癖になりませんか?」 「たしかに。ワイン通に珍重されるのも、うなずける話だ」  天音は、ほっとしたふうにナプキンを膝に広げた。そんな天音にぎこちなく笑い返しておいて、鴨にナイフを入れた。  ひと切れ口にする。野趣に富んだ肉の旨味と、オレンジのソースが絶妙のハーモニーを奏でる。ワインで口の中を洗い流すのが、もったいないほどだ。  パンをちぎり、かじった。こちらも香ばしい。だが、いまひとつ喉を通らない。  今朝方、森の中で目の当たりにした光景は、衝撃的などというありきたりの言葉では言い表せないほどの衝撃をわたしにもたらした。  妖美な裸身と、男を貪婪に銜え込んだ秘部……フラッシュバックに襲われたように、淫猥な情景が絶えず目の前にちらついて仕方がない。  おかげで机に向かっても、二行書き進めては一行消す……午後いっぱいその繰り返しだった。  ついに堪りかねて、ジーンズをくつろげた。いきり立った自身をしごき、妄想の中でにねじ込んだときには、正直に言って里沙を抱くときの何倍、いや、何百倍も興奮した。  あれから数時間が経過したが、未だにやましさに苛まれつづけている。  結局、半分も食べないうちにフォークを置いた。

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