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第39話

 いや、天音に非はない。恥知らずの罪で裁かれるべきは、わたしだ。情事に耽るさまを覗き見たあげく悶々としたものを抱え込んで、ああでもない、こうでもないと屁理屈をこねるなど卑劣きわまりない。  天音は、要するに目線の上げ下げひとつでわたしの心をかき乱す。  その天音は船縁に頬杖をついて身をよじり、湖面に垂らした右手で、頼りない航跡をのんびりとなぞっている。  人の気も知らないで、暢気なものだ。わたしは八つ当たり気味にぼやいた。と、心の声が聞こえたわけでもないだろうが天音が顔を上げた。ランタンに斜め後ろから照らされて、虹彩が妖しくきらめく。  胸の裡を見透かすように。  ぎくりとして手元が狂った。オールが湖面を捉えそこねて、盛大に水しぶきがあがった。眼鏡はもとよりジーンズもTシャツも水をかぶって、ひどいありさまだ。  頭をぶるぶると振って水滴を跳ね飛ばす。すると天音は大げさにのけ反ってみせた。 「風呂に入れられたあとの犬じゃないんですから、もう少し上品にふるまってもらえませんか」  露骨に眉をひそめ、そのくせ天音は珍しく声をあげて笑う。それで幾分、雰囲気がなごんだ。 「夜の湖上にふたりきり……せっかくのロマンティックなムードが台なしですよ?」 「ロマンティックね……そういう科白はきみ、恋人のためにとっておきなさい」 「晶彦さんの場合は当然、『ジュ・テーム』みたいな科白を里沙に囁くわけですね。まあ、でも。あいつはクルージングは好んでも、こういう手漕ぎのボートに乗るのは貧乏くさいと言って嫌がりますね」  わたしは苦笑いを浮かべた。里沙は両親とふたりの兄に猫かわいがりに可愛がられて育った箱入り娘で、運転手つきの車で学校に通っていたという人種だ。多少、我がままに育っても無理からぬところがある。  それにしても勘繰りすぎだろうか。実は姉弟仲が悪いのか、天音は時々、里沙に対して辛辣な口を利く。 「きみこそ、あんな立派な山荘で独り暮らし。庶民とは金銭感覚が違う」 「天音ですよ? 『きみ』なんて呼び方は鳥肌ものなので、その旨、肝に銘じておいてください」  善処する、とやり返しておいてオールを摑み直した。岸辺を常に右手に見ながら、楕円形に近い湖を半周する。  腕がだるくなってきたのを機に小休止をとった。

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