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第41話

「夫の世話は弟に押しつけ、自分はアクセサリーの買いつけにかこつけてヨーロッパ……か。里沙は羽を伸ばしついでにラブ・アフェアを楽しんでいないともかぎらないのに快く送り出すなんて、寛大ですね」 「ラブ・アフェアとは、古くさい言葉を知っているんだな。言っておくが、里沙は節度はわきまえている。火遊びの真似事はしても、俺に顔向けができなくなることは絶対にしない。全財産を賭けてもいい」  わたしは笑い飛ばした。カップを足下に置くと、オールをふたたび湖面に下ろした。 「そうやって手綱をゆるめすぎると、そのうち痛い目に遭いますよ。ある朝突然、晶彦さんに離婚届を突きつけて『好きな人ができたから離婚(わか)れてくれるわね』──と言い出しかねないやつですよ、里沙は」 「陰口は聞き苦しいぞ。いくら弟のきみでも里沙を侮辱するのは許さない」  ランタンの明かりに、ほの白く浮かび上がる顔を睨み返して、がむしゃらに小舟を漕いだ。自分のことは棚に上げて、と腹の中で天音を腐す。  そうだ、哲也のあしらいっぷりなど堂に入ったものだ。勲章を蒐集するように手当たり次第に男を食い散らかしてほくそ笑んでいるのは、実は天音のほうではないのか?   場数を踏んできた証拠に、山荘に泊まった最初の晩には寝込みを襲ってくれたじゃないか。やりたい放題にわたしを翻弄しておきながら、子どもだましのキスをよこしたきり、知らんぷりを決め込んでいるじゃないか。  哲也には、その端麗な躰を惜しげもなく分け与えたくせに……。  自分の心のありようにぎくりとして、汗が噴き出した。戯言(たわごと)に耳を貸した結果、天音の術中に陥ることになる前に岸に戻ろう。小舟をもやいしだい山荘に駆け戻って、その足で東京に向けて発とう。 「そうだ、言いそびれていましたが。おれはカナヅチなんです」    そうなのか、と受け流した。力任せにオールを突き入れ、すばやく抜く。あと少しだ、あと数十メートルも漕げば、この心理戦のようなやり取りに終止符が打たれる。  だが桟橋に帰り着いて、そこで(いとま)を告げるというふうにはいかなかった。  ボート小屋の影が行く手におぼろに見え隠れしはじめたところで、天音が不意に立ち上がった。さらに船縁に片足をかけた。

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