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第43話

「天音っ、どこにいるんだ、天音っ!」  声をかぎりに叫び、手が届く範囲の水面を片っ端から叩いてみる。  髪の毛でもいい、シャツの袖口でもいい、とにかく天音に指が触れ次第、何がなんでも引きずりあげてやる勢いで腕を振り回す。しかし、指先はいたずらに湖面を波立たせるのみだ。  意を決して湖にもぐった。視界がゼロに近いなかで精一杯、あたりをきょろきょろと見回す。駄目だ、天音は影も形も見えない。  竜骨の真下を横切るかたちで右舷から左舷に移動したところで、水面に顔を出した。息継ぎをするのもまだるっこしく、再びもぐる。  捜索範囲を徐々に広げていき、小舟を中心に半径十メートルの円内を、しらみつぶしに泳いで回る。どこだ、天音はどこだ。  ここは湖だ。海水浴中の事故とは異なり、離岸流にさらわれて沖合につれていかれる恐れはないというのに、一体全体どこに消え失せたのだ。  ともすれば方向感覚を失う。山荘の窓明かりを視野の隅で捉えて自分の位置を確認しながら、平泳ぎで少しずつ進んでは、もぐる。それを何度も繰り返すうちに、きりきりと脇腹が痛みだした。  危険な兆候だ。万一、わたしが溺れることがあれば共倒れになる。船縁に摑まって、ひと息入れた。  喉が、ぜいぜいと鳴る。呼吸を整える間も焦燥感に胸を炙られる。天音が水中に消えて、かれこれ十数分が経過しているのだ。しかし小さな湖といってもそれなりの面積があって、闇雲に捜し回っているうちに手遅れになる公算が大きい。  このままでは埒が明かない。では、どうする? 山荘に戻って一一九番通報したほうが賢明か? だが、人里離れた一軒家だ。最寄りの消防署経由でダイバーに出動要請がなされても、彼らが到着するのを待っている間に天音の生命(いのち)は確実に削られていく。  いや、今しも天音は死の(あぎと)に捕われつつあるのかもしれない……。  氷の塊をうなじに押し当てられたように、ぞっとした。  三度(みたび)、もぐった。一気に湖底をめざせば、躰をひねったはずみに足首に藻がからみついた。  しまった、身動きがとれない。膝を腹に引き寄せてもぎ取りにかかれば、藻は逆にもつれて、さしずめ足枷と化す。  躰をふたつに折ってジーンズの裾をまくりあげた。スニーカーの紐を通す穴に食い込んだ藻を摑み、むしり取った。  急浮上して酸素を貪る。酷使されたことに抗議するように肺が悲鳴をあげて、耳鳴りがする。息も絶え絶えに小舟にすがりついた。  たっぷり水を吸った衣服が重い、腕も足も重い。八月とは思えないほど冷たい湖水に浸かりつづけているために、体温を奪われ、歯の根が合わない。

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