46 / 68

第46話

 天音を置いて、足早に桟橋を後にした。ジーンズのポケットに手を突っ込み、煙草のパックを摑み出したものの、フィルターはふやけて、とても()えたものではない。  おまけに先ほどの騒ぎの間にライターを流されてしまった。初めての稿料で買って以来、長年愛用してきたジッポだというのに。  歩を進めるたびにスニーカーがぐぽぐぽと音を立てる。予備の靴など持ってきていない。被害甚大だ。  肩ごしに湖を見やれば、今更のように身の毛がよだつ。空も湖面も闇に塗りつぶされ、文目(あやめ)も分かぬ状況下で泳いで天音を捜し回るのは、まさしく自殺行為だった。  天音に追い抜かれた。わたしは少し前を歩く、ほっそりした後ろ姿を睨んだ。ふたりとも無事だったからよかったようなものの、天音は何をとち狂って、突拍子もないことをやってのけたのだ。  癪にさわる。まったくもって忌々しい。だがエキセントリックな一面がある義弟が憎めないことも、また確かだ。 「東の空が光った。山の雷は怖い、急いで帰りましょう」  天音が足を速めた。それに先んじて、彼の手首を握りしめた。無理やり抱き寄せて、脊梁がたわむ勢いで抱きすくめる。  抗う暇を与えず、顎を鷲摑みにして仰のかせ、むしゃぶりつくように唇を奪った。 「晶、彦さ……っ」  戸惑いと、なじるような響きをない交ぜにはらんだ声が唇のあわいにくぐもる。  呼吸(いき)も声もひとまとめにしてさらいとるように、唇を強引に重ねた。結び目につづいて歯列を舌でこじ開け、頬の内側の柔壁を荒らす。それから口蓋の隅に縮こまった舌に、自分のそれを巻きつけた。 「……んっ!」  天音は頭を左右に打ち振ってキスを振りほどきにかかった。ランタンを放り捨てると、わたしの胸に両手をつっぱって上体をひねった。  妖婦(ヴァンプ)のようにさんざん媚態を演じておきながら、お高くとまって。  鳩尾を肘でこづかれてタガが外れた。当たるを幸いに打ちかかってくる腕を後ろ手にねじりあげておいて、天音を手近な立ち木に押しつけた。  唇がずれるたびに、くちづける角度を変えて舌をこじ入れる。若鮎のように反り返る躰を渾身の力で抱きしめると、見た目以上にしなやかな感触に陶然となった。  脊柱の起伏をひとつひとつ撫で下ろしていくと、縦横ともにわたしよりひと回り小さな肢体が瞬時、強ばった。いっそう強く抱きしめると一転して、しなだれかかってきた。  こうなることが、あらかじめ決まっていたように。

ともだちにシェアしよう!