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第47話

 遠雷が鼓膜を震わせた。稲光が夜空をジグザグに切り裂き、山嶺を青白く染めた。  雨脚も激しくなってきた。早く山荘に戻って、ひとっ風呂浴びよう。だいたい義弟に接吻するなんて、正気の沙汰とは思えない。これは里沙に対する背信行為だ。裏切りだ。  眼鏡のフレームが頬にめり込み、痛みに我に返って一度は抱擁を解いた。しかし、ためらいがちにだが天音が舌を吸い返してくれば理性を失う。  意外につたない舌づかいに征服欲をかき立てられて、柳の枝のようにしなう躰をあらためてかき抱いた。熱を帯びたを天音の下腹部にこすりつけ、その一方で、脚の付け根に割り込ませた太腿で中心をこすりあげた。  搦めとった舌を、わたしの口中にいざなった。  ところが舌を絡ませてきたくせに、天音は脇腹を力いっぱいつねってきた。思わず唇を離すと、天音は一瞬の隙をついて、するりと身をかわす。  そして悠然とランタンを拾いあげ、それで、わたしを牽制するように額の前に翳した。ほの青い光の中で、淡い色合いの瞳は老獪なものを宿して、前肢でトカゲをいたぶる猫のごとくきらめいてみえた。  もうひと押しされれば口説き落とされてあげるにやぶさかじゃない──そんなふうに受け取れる笑みを口許にたたえて、そのくせ鹿爪らしげにこう言った。 「夫が弟に手を出したことを知って里沙が嘆き悲しんでも、責任は持ちませんよ?」 「手を出したなんて人聞きが悪い。俺は、ただ……」 「『ただ』では、わかりません。『ただ』、なんです?」  わたしは背中を向けた。殊更めいて背筋を伸ばし、ぬかるんだ道を大股で歩く。  今のキスに深い意味はない。あえて意味をもたせるとしたら、ちょっとした意趣返しだ。  そうだ、騙されっぱなしでは割に合わないから天音のお株を奪ってやったのだ……そうやって屁理屈をこね回すのは所詮、自己欺瞞にすぎない。  義弟に欲情したのはまぎれもない事実で、どう言い繕っても虚しい。 「着替えたら一杯()りませんか? ミステリ談義を肴に飲み明かすのもオツなものでしょう?」  山荘の玄関に入ると同時に、肩に触れてきた手をなぎ払った。螺旋階段を駆け上がり、客間に駆け込んで鍵をかけるのもそこそこに、着替えも資料も一緒くたにボストンバッグにつめ込みはじめた。  途中、遠慮がちなノックにぎくりとして手を止めたが、知らんぷりを決め込んで荷造りをつづける。

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