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第5章 絵付け

 本格ミステリの一ジャンルに〝嵐の山荘〟というものがある。  これは、たとえば吹雪によって隣村に至る唯一の道が通行不能になり、電話線も切れて孤立した館で猟奇的な連続殺人が起きるというものだ。  登場人物は少人数に限られ、凶行におよんだ殺人鬼が誰なのかわからないまま犠牲者がひとり、またひとりと増えていくわけだから、いきおいサスペンスフルな展開になる。  登場人物が外部と連絡をとる(すべ)がない状況下にあるという設定では、警察の出る幕はない。ゆえに科学捜査は行なわれない。ひいては読者は純粋に謎解きの醍醐味を味わえる。  ミステリ作家の端くれとして、一度は取り組んでみたいジャンルだ。  湖を舞台に三文芝居が演じられた翌早朝、神崎家の山荘も文字通り〝嵐の山荘〟と化しつつあった。  今日中に必ず帰京する。固い決意を胸に、わたしは悪天候をついて出発した。迷走をつづけてきた台風は、今度はこの地方に照準を定めたようだ。  鈍色(にびいろ)の雲が垂れ込めて、午前中だというのに黄昏時のように薄暗い。出がけにニュースで確かめてきたが、最悪の状況だ。  関東以西の高速道路は、軒並み速度規制が()かれている。土砂崩れが各地で発生していて、ところによっては迂回の措置がとられている場所があるらしい。  山間(やまあい)のこの地域は、もっと深刻な状況だ。  台風の接近にともなって前線の活動が活発になり、ひと晩で一ヶ月分のそれに相当する降水量を記録したという。その影響で、崖崩れの危険性がとみに高まってきているらしい。  現に森を貫いて延びる私道はぬかるみ、ところどころ川に変じていた。ワイパーの速度をハイに切り替えても雨粒をぬぐうのが追いつかないほどの吹き降りだ。  ハンドルにしがみつくようにして行く手に目を凝らしても、雨のヴェールに遮られて視界がほとんど利かない。  折れた枝が強風に巻きあげられて次から次へとフロントガラスにぶち当たり、そのたびに蜘蛛の巣状のひびが入りはしないかと、ひやりとする。  とりわけ大きな水たまりをよけたはずみに、シラカバの幹で愛車の横腹をこすった。舌打ち交じりにハンドルを切ったせつな、これはどういうメカニズムによるものなのか、ある情景が脳裡をよぎった。

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