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第3話

 連絡を受けて急遽帰宅した陸を待っていたのは、すっかり寛いだ姿で暁人と笑い合っている弟だった。  昔から人見知りの激しい陸とは違って、佳は誰とでもすぐに打ち解けるし友人も多い。兄弟を知る人間には、まるで正反対だなとよく言われた。そして共通の知人となった相手は必ずと言っていいほど、その後は陸よりも佳の方と親しくなった。 「あ、兄貴、お帰りなさい。この度は突然こんな真似してごめんなさい。でもどうか、久しぶりに再会した弟を助けると思って暫くここに置いてくだいッ」  陸の姿を見た佳は慌てて居住まいを正し、やや芝居がかった大袈裟な身振りでお願いしますを繰り返してくる。  ごめんとお願いを挟みながら説明された内容をまとめると、つまり一人暮らしを強固に反対された佳は、兄と一緒なら文句はないだろうと勝手に宣言をして家を飛び出してきたらしい。  佳を溺愛している両親がこれで学費を滞らせるようなことはしないだろうが、安アパートの敷金にすらならない預金残高の通帳をみせながら懇願されると、同情よりもさきに無計画さへの呆れの方が先に立った。 「頼むよ。親父は相変わらずだし、お袋は話を聞く気ないし、もう頼りになるのは兄貴だけなんだ。バイトして金貯めたらすぐに出て行くから、本当に一生のお願い!」 「いきなり言われても、困る。見ての通り、一人で暮らしているわけじゃないし」 「俺は別に構わないけど。ていうか、弟くん行く所ないって言ってるんだから、追い出したら可哀想でしょう。あ、もしかして、俺とのことは秘密にしてたかな」 「え、暁人と兄貴って、普通に友だちじゃねえの?」 「あー、えぇと、陸どうしよう」  初対面の兄弟相手に爆弾を投げつけると、やっちゃったと悪びれない顔で謝罪のポーズをとる暁人に、かまわないとだけ返しておく。  別段、秘密にしておきたかったわけでもない。ただ大学入学を機に出て行った家の人間に、わざわざ話はしなかっただけのことだ。  それに適当に見えて感の良い佳のことだ。恋人らしいかと言われれば否ではあるが、それでも住居を共にすればただの友人にしては妙な距離感だと気がつくだろう。  そもそもここには、寝室とベッドがひとつしかない。 「暁人と俺は付き合っている。無論、そういう意味での付き合いだ。ここに住むなら、そこは理解してくれていないと困る」  はっきりと恋人関係だと宣言すると、へらへらと笑っていた暁人がほんの少し居住まいを正して頬を掻いた。 「まあそういう事だし狭い部屋でもあるけど、遠慮しないで落ち着くまで居たらいいよ。陸の弟なら、俺にも弟だもんね」 「了解、理解いたしました。マジでありがとう。あ、俺はリビングで寝るからお構いなく。ちゃんと寝袋も買ってきたんだ」 「うわ、用意良すぎじゃない」  大きなスポーツバッグから出てきた寝袋にはしゃぎ出す二人に、そっと握り締めた拳の中に爪を立てる。暁人が認めたなら、もう佳を追い返すわけにもいかない。  陸が散らかっていた菓子や飲み物を片付ける間、初対面のはずの二人は楽しそうに荷物を広げて何事か話していた。  無口な陸とは反対に、誰とでもすぐ仲良くなれる元気で明るい弟。もうすっかり慣れた、忘れようとしてきた感覚が、ちくちくと内側から痛みを訴える。  いつまでも騒いでいる二人を置いて先に寝室に引っ込むと、日付が変わる頃ようやく暁人が入ってきた。広くはない部屋は、彼が選んだセミダブルのベッドにほぼ占拠されている。壁際に向き合う形で背を向けていると、ゆっくりと近づいてきた気配に抱きしめられる。  シャワーを浴びて湿気っている髪が首筋に触れると、ぬるぬると熱い舌が肌を舐めまわす。腰の辺りに掛けていたキルトケットをずらされて、流石に寝たふりを続けられず振り返ると、分かっていたようにキスをされて押さえつけられた。 「やっぱり寝たふりだった」 「おい、よせ」 「なんで、もう俺たちのこと知ってるなら、問題ないんじゃない?」  付けたままにしておいたサイドランプに照らされて、暁人の大きな目が細められるのが見える。笑いながら肌に指を這わされると、こちらの意思とは関係なくぴくりと身体が跳ねてしまう。 「常識の、問題だ」  したくない、と言外に滲ませると、暁人の顔から笑みが消えた。見下ろす視線の冷たさに伸ばしそうになる手を、ぐっと握り締めることで拒絶した。  いくら知られているとはいえ、弟が寝ているすぐ隣で肉体的な接触をする趣味はない。無言のまま視線を逸らすと、暁人はふうんと呟いてから飽きたおもちゃを放り出すように陸を解放した。 「暁人」 「悪かったよ、お休み」  反対側に背を向けて横になった暁人に、それ以上かける言葉も思いつかなくて沈黙する。  狭いベッドの上で、お互いに反対方向を向いて眠る夜。じんわりと伝わる体温が逆に居心地が悪くて、そっと自分の指に歯を立てた。

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