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第5話

「せっかく奢るって言ってんのに、なんでカレー」 「美味いぞ、ここのカレー。お前も同じじゃないか」 「その店の味を知るには、まずはカレーだよ」  同じを注文の品を持って混雑した食堂をうろついていると、タイミングよく二人用の場所が空いた。向かい合った席に座ると、いただきますと揃って挨拶をしてからまだ湯気を立てているカレーに手をつける。  お喋りな佳は、尋ねてもいないのに午前中にあったことを逐一話して聞かせてくれる。新入生は皆そうだが、これまでの学生生活とはまるで違う大学という空間に弟がはしゃいでいるのは、半分以上聞き流していても十分に伝わってきた。 「そうだ。兄貴って研究室に泊まり込み多いんだろう。事前に分かる予定とかはLINEに送っておいてよ。俺のも送るからさ」 「必要ないだろう。俺の予定がお前になんの関係がある」 「つれないこと言うなって。同居人同士の予定はざっくりでも把握しておいた方が便利じゃん。暁人はちゃんと教えてくれたぜ」  何気ない口調で言われた内容に、ほんの僅かな動揺が走りスプーンと食器が音を立てる。  二人で暮らすようになってから、陸は暁人のプライベートを把握していなかった。日中はもちろんのこと、朝まで戻らないことも珍しくはない暁人の行動など、知ったところでどうしようもない。  もちろん最初の頃は、直接問い詰めたりもした。しかし暁人は理解できないとばかりに首を傾げるだけだ。そこに居るだけで人を惹きつける甘やかな容姿と、華やかな経歴にしっかりとした家柄。付き合っている相手がいようと、暁人のことを放っておく女性がいるはずがなかった。  同居人として知られている陸の元に、お節介に伝えられる暁人の噂は後を経たない。第三者に教えられなくとも、彼が外でどんな生活を送っているかなど、同じ空間で暮らしていれば嫌でもわかる。  結局、暁人を避けるように、研究室での泊まり込みが増えていった。陸が無断外泊をしても、暁人が気にかけることもない。離れていたときよりずっと近くにいる筈なのに、遠くなっていくばかりの二人の距離。  それでも暁人はいつも帰ってきてくれた。ごめんね、やっぱり陸が一番好き。そう言って仲直りのキスをしてくれるから、伸ばされる手を振り払うことができないでいる。 「今度さ、歓迎会のカレーパーティーしようぜ。兄貴の予定に合わせるから、帰りに買い物して一緒にカレー作ろう」 「歓迎会って、誰の?」 「そりゃもちろん、俺のに決まってるじゃん」 「図々しい」  ふざけた調子でテーブルの下の足を蹴ってやると、痛いと大袈裟に顔をしかめられる。なんの含みも感じられない佳に、なんでも悪い方に見ようとしてしまう自分が嫌になる。それでも確かに、佳の存在は静かだった水面に投げ入れられた小石だった。 「俺たちで作って暁人をびっくりさせてやろうぜ。彼奴まだ、兄貴の手料理食ったことないんだろう。昔はよく作ってくれたじゃん。兄貴のコロッケ好きだったよ。高校のダチに話したらさ、コロッケの手作りとかすげぇって感動されたんだぜ」 「人様に食べさせられる出来じゃない」 「頑張ってくれたのは事実じゃん。兄貴が大学入ってから、たまに自分でも作ってるんだ。今度食わせてやるよ。あ、コロッケカレーにする手もあるな」  暁人も喜ぶよとまた言われ、返事をするのも億劫で残っていたカレーを片付けることに集中する。  料理など好きではない。ただ頭が痛いと伏せりがちな母親の負担を減らそうと、彼女に少しでも気に入られたいと願って作っていただけだ。一人でレシピと格闘した料理に親からの称賛への期待はあっても、弟への愛情など欠片も含まれてはいなかった。 「そうだな、たまには作ってみるか。それじゃあ、俺はもう研究室に戻らないといけないから」 「ん、ああ、食器は俺が下げておくよ。付き合ってくれてサンキューな」  忙しいのを言い訳にして、居心地の悪い空間から逃げるように足を早める。食堂を出てしばらく歩くと、ようやく新鮮な空気を深く吸うことができた。佳の存在を感じることが苦痛だった。 『俺も陸が好きだよ』  あの夏の離れで聞いた蝉の声が、頭の奥に染み付いている。そうだ、暫くすればまた夏が来る。生まれて初めて好きだと誰かに言われた、求められたと思えたあのむせ返るような季節がやって来る。

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