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第14話
バケツをひっくり返したような激しさは止まったが、降り続ける雨はしばらく止みそうになかった。
第一ここを出て行っても、スマートフォンひとつしか身につけていない状況では、陸に行くあてなどないに等しい。
大人しく絞り終えたシャツを着直して待っていると、すぐにタオルを片手に持った暁人が戻ってきた。自分で逃げるなと言ったくせに、待っていた陸を見て暁人は少しびっくりしたようだった。
今日ここに陸がいた事は、暁人には予定外だったのだろう。いつもなら金曜の午前は、大学に赴いて研究室でしか処理できない仕事を捌いている最中だ。
「どうぞ。爺さんに言われてちょっと急ぎの探し物があるんだ。悪いけど上がらせてもらうね」
畳まれたタオルを丁寧に手渡すと、暁人は父親の留守に住居を訪れた理由を話して陸に背を向けた。拭き終えるのを待っているらしい様子に、急いで頭から全身を拭っていく。
複数枚用意をしてくれていたおかげで、すべてのタオルを使い終える頃にはなんとか滴を垂らさない程度には水分を取ることができた。小さな声で礼を述べると、じゃあ行こうと暁人がこちらを見ないまま歩き始める。
六階の角部屋にある聡介の部屋に着くと、暁人は慣れた様子で鍵を開けて中へと入っていく。聡介の息子であるなら当たり前のその姿に、何故かざわざわと胸が疼いた。
思えば聡介から暁人の、暁人から聡介の話を聞くことはほとんど無かった。ごく普通の家族に縁が薄いのは陸も同じだが、梶家の親子像もまた幸福なものではなかったのかもしれないと、今さらのように気づかされる。
「俺は適当に探して帰るから、お構いなく」
そう言って聡介の寝室に入ると、暁人は扉を閉めてしまった。着替えが終わってしまうと、彼が何かを探している音だけが響く室内にじっとしているのも気づまりでキッチンに立つ。
探し物は中々見つからないようで、ときどき暁人が苛立っている気配が伝わってきた。その音につい意識を奪われながら、雨に濡れてしまったキャベツを洗い、千切りにするための準備を進めていく。
しばらくすると、寝室からでてきた暁人がリビングに入ってきた。どうやら目的のものが見つからないらしく、今度はリビングの本棚や棚を丁寧に調べ始める。
一時間ほど経ったところで、ようやくあったと叫ぶ声が聞こえてきた。興味本位で様子を伺うと、暁人が手にしているのは梶総合病院の名が印刷された薄いグリーンのB4封筒だ。
「たく、適当に扱いすぎなんだよ」
疲れたとため息をついて立ち上がると、暁人はすっかり下拵えを終えているキッチンに入ってきた。貰うねと言って勝手に冷蔵庫から取り出したのは、聡介の常備しているラムネの瓶だ。
「陸って料理作ったりするんだ」
「……たまに、だ」
「俺には一回しかしてくれなかったくせに」
ふっと自虐的に笑ってキッチンを出て行く暁人に、ずきりと胸が痛んだ。先に裏切ったのは、勇気を出して止めてくれと言った陸を無視したのは暁人の方なのに。
「止まないなぁ」
リビングの窓辺に立った暁人が、灰色より黒に近い空を見ながら呟いた。締め切ったガラスを叩く雨の音が煩い。吸い寄せられるようにふらりと暁人の側に近づくと、今日初めて彼の視線が正面から陸を見据える。
「陸もこんな気持ちだったのかな」
「え」
「俺が陸を裏切って佳くんと寝てたとき、陸もこんな風に苦しくて悲しくて、腹が立つのに怒るのも虚しいみたいな、こんなごちゃ混ぜの気持ちだったのかなってね」
一瞬だけ笑って見せた暁人は、そう言ってラムネの中身を陸の頭にぶちまけた。取り出すことのできない瓶の中で、炭酸にもまれたガラス玉がくるくると回る。泡立つ液体の感触が頭から足へと伝い落ちていく。
「父さんとのセックスは、気持ちよかった?」
とんとんと指で肩を叩く仕草に、反射的に噛み跡の残る場所を手で押さえてしまった。さっき見られていたのか。他に痕跡らしいものはもう無いはずだが、今さらのように心臓が罪悪感にずきずきと痛みを訴える。
「付き合ってる相手が別の人間とやった空間って、こんなに嫌なものなんだね。陸が全部捨てろって言った意味、ようやく分かったかも」
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