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第17話

 ぎりぎりで飛び乗ったバスが出発すると、雨はまた一段と激しさを増した。  流れ落ちる雨水がまるで滝のように窓を伝い落ちていくのを見ながら、スマートフォンで時刻を確認する。地元から市内に出て、初めて二人で訪れた場所。とっくに閉園時間を迎えた動物園はもちろん、この豪雨では隣接する他の施設も早々に閉めていることも考えられる。 『陸、どこにも行かないで』  停電を起こした離れで震えていた少年の声が記憶の淵から蘇ってくる。あの日も突然の豪雨が止まなくなり、ほんの少しのつもりで立ち寄った陸は足止めをくらう羽目になった。  ガタガタと車内が揺れるたび、頭の中の記憶も音を立てるようだ。早く着けと、苛立ちにつり革を持つ手に力が入る。  ようやく目的地付近に停車したバスから飛び出すと、徒歩数分の距離にある動物園を目指して道を急ぐ。一歩足を進めるたびに、どうどうと音を立てて降り注ぐ雨に圧倒された。人影の無くなった通りを、水煙に烟る街灯を頼りに進んでいく。  こんな雨の中を、暁人が待っているはずがない。そもそもあの約束そのものが、本気かどうかも分からない代物だ。遠くの空が白く染まって唸りを上げる。居るはずが無いと思いながら、明かりの乏しい景色に必死になって視線をめぐさせる。  それを見つけたとき、一瞬だけ音が消えたような気がした。微かに見える原色カラーの看板の側に立つ青年。こちらに気付いているのかいないのか、じっと足元を向いたままの視線はこちらを見ない。 「なんで来たの」  近づこうと動かしたびしょ濡れの靴が、水気を含んだ嫌な音をたてる。こんなにも雨がうるさいのに、暁人の声はやけにはっきりと陸の耳に届いた。 「中途半端に追いかけて来るなよ。ここに来て、陸は本気で俺と寝る覚悟あるの。ないだろう。それとも好きな相手と出来たから、もう大丈夫とか言うつもり?」 「俺はただ……お前のことが、心配で」 「なにそれ。陸の中ではいつまで、俺は雷を怖がる小学生のままなんだよ。本当、もう疲れた。もう陸のことなんて、忘れたい」  地面に叩きつけられて跳ねる雨水のおかげで、下半身までもう水浸しだ。顔を守る以外は用をなさない傘をぼんやりと抱えて、返す言葉もなく立ち尽くす。 「ごめん、最初から、好きにならなきゃよかったんだ」  視線を合わせることなくこちらに向かってきた暁人が、そのまますれ違って遠ざかっていく。  傷ついたのは、裏切られたのは自分だと思っていた。見ないふりをして、気づいていないふりをして、誤魔化し続けてきた。  どうしてこうなるまで、暁人と離れる選択ができなかったのだろう。こんなに冷たい雨が降っているのに、抱きしめてやることさえ出来ない。嵐の夜に震えていた少年を、あのとき確かに守ってやりたいと思ったのに。  後悔する時はいつだって手遅れだ。どうしたら良いのか、どこへ行けばいいのかも分からず、まるで水中を彷徨っているかのような夜の街を歩き続けた。

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