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第18話

背後から光を感じたと思うと、三秒待たずに耳をつん裂く轟音が一面を覆った。  慌ててあと数歩のところにある離れの軒先に駆け込むと、ずぶ濡れになった鞄からキーケースを取り出して屋敷の中に入り込む。  軋んだ音を立てる重い扉を閉めると、唸るような音はほんの少しだけ小さくなった。頭上から響く大粒の雨の音に、この嵐に山奥の古い家屋は耐えられるのだろうかと不安がよぎる。 「良かった。なんとか無事だな」  とっさに腹に抱えて走ったのが良かったのか、外側は濡れているが学生鞄の中身は無事だった。教科書やノートの類は縁が少し濡れてしまっているが、この程度なら大丈夫だろう。  鞄に押し込んでいたハンドタオルで水気を軽く拭うと、とりあえず濡れたものを乾かそうと奥の和室に移動する。  離れは玄関と聡介の書斎がある洋館に、伝統的な日本家屋がくっついたような造りになっている。縁側を抜けて一番近くの障子を開けると、そこが居間がわりに使われているこの家の座敷だ。見ると簡素なちゃぶ台と古い飾り棚しかない部屋の真ん中に、ぽつりと青いラインが入った黒い物体が置かれている。 「暁人、来ているのか?」  置きっぱなしのランドセルに声をかけてみるが返事はない。奥にある仏間や台所を覗いてみても、くるりとしたくせ毛の小学生は何処にもいなかった。 「まさか……山に行っていないだろうな」  頭に浮かんだ可能性に、ぞっと血の気が下がる。慌てて駆け戻った縁側から見えるのは、灰色というより黒い空から落ちる大量の雨と、低い唸りを上げる雷雲だった。 「冗談じゃないぞ、あの馬鹿ッ。暁人、暁人、居るなら返事をしろ。暁人!」  この家の中でまだ探していないのは、あとは書斎だけだ。大きな声で名前を呼びながら、重い樫のドアを体当たりをするように開ける。 「あきッ」 「陸、なの?」  窓際にある大きな両袖デスクの下から、色素の薄い茶色のくせ毛がピョコンと覗く。恐る恐るといった風情で顔を覗かせる暁人に、ほっとして膝から力が抜けた。  梶家の敷地内とはいえ、山の中でこの雨はかなり危険だ。すっかり顔馴染みになった少年の無事に、近づいてきた頭をわしゃわしゃとかき混ぜてやる。 「お前も来ていたんだな。しかし運が悪い。しばらく止みそうにない……わっ」 「ひゃあ!」  空が割れんばかりの轟音が鳴り響いたかと思うと、書斎に付いていた暗い灯が全て消えた。ごろごろと小さく唸った空は、続けて世界を真っ白に染めながら大地を揺るがせるような音を鳴り響かせる。  薄暗くなってしまった室内に、時刻を確認しようとスマートフォンを探ると、取り出すより先に小さな存在が腰のあたりにぶつかってきた。  ぶるぶると震えながら抱きつく暁人の様子にいったんスマートフォンを戻すと、陸は大きなデスクの下に入ってまだ線の細い子どもを抱えてやる。 「まさか暁人が、そこまで雷が怖いとはな」  生意気な小学生の意外な可愛さに笑ってしまうと、小さい子に絵本を読んでもらうようなポーズを取らされている暁人が不服そうに睨みつけてくる。  しかし次の瞬間また大きく雷の落ちる音がすると、暁人は小動物が飛び上がるような勢いで陸に抱きついてきた。 「ご、ごめ、俺、ほんとに苦手で……うわッ」 「建物が古いから少し怖いだろうが、今は外に出ないほうがいいからな。しばらくこうしていよう。大丈夫だ、先生の代わりとはいかないが、俺が側にいてやる」  まあ俺も出られないだけだけどなと笑うと、暁人も少しだけ笑ってくれた。緊張が解れたのか、ぴったりとくっつく子どもの体が温かい。まだ子ども体温というやつなのだろうか。  外ではまだ稲光で空がチカチカしていて、抱き抱えるような形になってしまった暁人の頭を自然と撫でてしまう。するとくすぐったいのか、腕の中の体はもじもじと動いた。 「お父さんは、こんな風に優しくしてくれないよ。爺ちゃんなんて、男が雷くらい怖がるなって怒るしさ。でも雷って一億ボルトもあるんだよ。おまけに木造家屋だと電流が侵入してきやすいし、怖くたって仕方ないじゃん。ここは洋館部分は石造りだし、水回りからも離れているから、まあ一番安全だとは思うけど」 「そうか、暁人はよく知っているんだな。それなら一緒にいる俺も安全だ」 「ちぇ、頼りにならない中学生だなぁ」  そう言って照れ臭そうにそっぽを向く暁人は、少しだけいつもの調子を取り戻したようだ。話している方が落ち着くようだと、自分の腕にすっぽり収まってしまう子どもを抱きしめながら、ぽつりぽつりと会話を続ける。 「暁人はここで毎日何をしているんだ?」  ここの静かな空気と聡介の所蔵品を目当てに通っている陸だが、暁人は化石や古生物に興味があるわけではないようだ。なんとなく気になって尋ねると、大きな目でこちらを見上げながら「虫だよ」と答えが返ってくる。 「蝉の抜け殻とか、集めてるんだ。甲虫が居たらいいんだけど、朝早くに取りに来ないと見つからないんだよね。母屋に置いてると、爺ちゃんに捨てられちゃうから」

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