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第19話

 捨てられるという言葉に、ほんの少し驚いてしまう。  聡介が現役の大学教授であるいまの梶家では、暁人が実質的な次の当主だ。そこそこ人口のいるこの辺りの中心地でも、田舎の世界はどこか閉じている。暁人は常に大人たちの特別扱いの対象で、側で見てきた子どもたちも自然とそれに習うようになる。  関心がないと思っていたが、自分もそこら辺にいる噂好きと変わらない。相手が家長の祖父とはいえ、あの暁人がぞんざいに扱われる事実に内心ひどく驚いてしまった。 「んー、普通。でも蝉の抜け殻は、一昨年から貯めてる。後で俺のコレクション見せてあげる。知ってる、蝉の抜け殻ってラッキーアイテムなんだよ」 「それは初耳だ」  子どもの頃は自分も取って喜んでいた記憶があるが、そんな話はいま初めて聞いた。どちらかというと、蝉は成虫になってからの寿命の短さから、儚いイメージの方が強い。 「南フランスじゃあ、蝉の鳴き声がたくさん聞こえると良い年になるって言って、お菓子とか雑貨のたくさん売ってるんだ。数が少ないからそうなったんだろうけど、日本と全然違って面白いでしょう」 「そうだな。日本だとうるさいくらいの夏の風物詩だが、場所が変わると見方も変わるのは面白い」 普通と言っていたが、暁人はやはり昆虫が好きなのだろう。  少しずつ遠ざかる雷の気配を感じながら、暁人の昆虫談義に耳を傾けた時間。突然の嵐は去るときもあっという間で、雨が止んだ所で二人で離れを出た。  母屋まで送っていく道すがら、暁人は陸と繋いだ手をずっと握っていて、小さな子どもへの庇護欲のような、不思議な愛おしさが湧いたことを覚えている。  あの夏。陸は何度かネットで調べて罠を仕掛けなんとか一匹の甲虫を捕まえることができた。立派な角が生えた雄の甲虫に暁人は大喜びをして、二人で飼育用のケースや道具をそろえに行った。  子ども時代の楽しい思い出が少ない陸には、暁人とした虫取りや水鉄砲、縁側で食べた駄菓子や氷菓子の味が、忘れ難い夏の記憶だった。 「ッ……痛い」  ぱんぱんに腫れているような感覚のする喉が、唾を飲むだけで激痛を走らせる。這うようにして行った病院で処方された薬をきちん飲んだのだが、風邪という病を直接治す薬は残念ながら存在しない。  雨の中をどうほつき歩いたのか。ずぶ濡れの体でタクシーにも乗れず、夢遊病者のように徒歩でマンションまで帰り着いた陸は、そのまま本当に風邪をひいてしまったのだ。  心配する聡介を無理やり大学に送り出し、午前中のうちになんとか近所の内科を訪れた。診断はやはり風邪だったが、喉の腫れが酷いと抗生物質入りの点滴まで打たれた。  同じ状況で別れた暁人が心配だったが、彼の連絡先ごと廃棄したスマートフォンはもうないので様子が分からない。悶々としながらも、陸の意識は熱と薬のせいで夢と現を行き来するような曖昧な状態を過ごした。  夢の中では、陸はいつも懐かしい離れにいる。聡介がくれた避難所での記憶は、暁人と過ごした他愛のない時間の思い出でもあった。  誰かを好きになる感情などいっそ死んでしまえばいいと、熱にうなされながら願った。

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