28 / 45

第28話

「それじゃあ暁人なら何に例えるんだ」 「……クロイワゼミ」 「えぇ、虫はないだろう、虫は」 「すごくキレイで希少な蝉なんだって!」 「そうなの。ちょっと暁人は陸くんに夢を見過ぎだなぁ」  ぼそりと囁かれた最後の台詞をしっかりと耳がキャッチしてしまい、恥ずかしいやら腹立たしいやらで顔に血が上る。夢を見過ぎってなんだ。結局は独り相撲に終わった初恋の人に、夢を見てなにが悪い。  誤魔化すように取り上げたタブレットを操作して、適当に発掘風景を映した動画を再生する。送ってもよいのは当たり障りのないものに限定されているらしいが、どの画像の中でも陸は楽しそうだ。  留学したての頃はぎこちなかった言葉もすっかり馴染み、ちょっとした挨拶にも愛想良く返事をする様子は無口だった彼と結びつかない。 「陸、幸せそうだね」 「そうだな」 「一般人の立場ででも行けばよかったのに。きっと凄く、綺麗だよ」  治療目的でもなんでも、まだ体力が残っている内なら数ヶ月くらいはカナダで過ごすことも出来たはずだ。積極的に薦めもしないが、聡介が行きたいというなら行かせてやるつもりだった。 「嫌だよ。陸くんの中では、元気なままの僕で居たいんだ」 「見栄っ張り」  照れたように触れるその頭には、紺色のバンダナ帽子がかぶせられている。体質のせいなのか、聡介は薬による脱毛が回復しにくく、今回の効果はまだ出ていないにも関わらず髪はまばらだ。  短く刈り上げてバンダナを巻いた頭や、すっかり痩せて細くなった身体を、聡介は陸にだけは見られたくないのかもしれない。 「暁人。次のマーカーで駄目だったときはな、父さん治療をやめようと思うんだ」 「え、でも」 「薬もあまり合っていないみたいだし、残された時間はもっと有意義に使いたい」  画面の中で化石標本の紹介をしている陸の声が、やけに遠く聞こえる。録画された彼の説明にあれこれと解説を交えたり疑問を呈したり、聡介は自分がさっき口にしたことも忘れたように楽しげだ。  積極的な治療を中止すれば、彼は今よりもっと多くの時間をこうしたことに費やせるだろう。ゆったりと、穏やかに、愛するものだけに囲まれて。 「わかった。爺ちゃんには俺から伝えておくよ。父さんの言い方じゃあ、爺ちゃんの血管切れちゃうからさ」  暁人が研修医を終えるまであと数年。申し訳ないが、頑固で厳しい祖父にはもう少し現役で頑張ってもらわなければならない。 「父さん、ごめんね」  なぜ謝罪の言葉が出たのかは、自分でもよく分からなかった。ろくに親らしいことをしてもらった記憶もなく、自分のことばかりで好き勝手に生きてきた人だ。  挙げ句の果てに、そんな父親を誰よりも心酔している人に横恋慕をして相手にされず、踏んだり蹴ったりとはこのことだとため息しか出ない。  それでも、遠い地いる人を見つめる優しい眼差しに、小さな石ころの様な化石にはしゃぐ姿に、子どもの夢を取り上げてしまったような罪悪感がよぎるのだ。父親らしいことは何ひとつ出来なくとも、彼は夢を捨てこの地に留まることを選んだのだから。 「暁人はやっぱり、母さんによく似ているなぁ」 「そんなこと、初めて言われたよ」 「本当さ。父さんさ、人間にあんまり興味持てないんだけど、母さんの目は好きだったんだ。暁人と同じ、琥珀みたいな色をしていた」  懐かしそうな聡介の顔に、自然と手が目元に触れる。梶家の先祖には英国人の血が混じっていて、祖父がクォーターになるらしい。日本人よりも色素が薄い目の色は、父ではなく母方の影響だ。 「陸くんも、好きだったろう」 「知らないよ」 「ははは、まあ頑張れよ。陸くん、父さんのこと大好きだから手強いぞ」  分かったような事ばかり言う聡介に耐え切れず、お大事にとだけ叫んで背中を向ける。親兄弟で同じ人を好きになどなるものではないと、心の底から切実に思う。 「母さんの血を甘くみんなよ、ばーか」  見えていないのを良いことに、病室のドアを閉めてから舌を出してやる。暁人を産んだことで儚く散ったような印象のある母だが、祖父の話を聞く限りそんな殊勝な性格ではなかったらしい。  留学の話が決まったとき、恐らくなんの未練も躊躇いもなかったであろう父を前に、母は一計を案じたのではないか。これは息子だから許される邪推ではあるが、本当に暁人が母に似ているのであればあり得なくはないと思う。  自分とて、馬鹿みたいに純情でも一途でもない。もっと好きになれる人が現れたら、新しい恋を始められるのなら、躊躇なくそちらになびくつもりではある。  けれどもし、結局どうしても忘れられないのなら、あの欲深のきれいな人を待とうかとも思うのだ。あの離れを守り続けていれば、陸はいつの日かきっと帰ってくるのだから。 「さて、そろそろ仕事に戻らないと」  遠くはない別れのとき、自分はどんな顔をして父の前に立つのだろう。恋しさも憎しみもすべて込めて穏やかに笑えたら、それだけでいいと願った。

ともだちにシェアしよう!