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第33話
買い物を済ませて車を車庫に入れると、先程まで山向こうに見えていた黒雲がすごそこまで近づいてきていた。
「うわ、やっば」
慌てて助手席に置いていた荷物を抱えると、降り出す前にと離れに続く山道の方を登っていく。いつもなら少し本宅に顔を出してから行くのだが、昨今のゲリラ豪雨はどうにも洒落にならない。
たった数分の距離なのに、離れに着く頃には頭の上は真っ黒な雲に覆われていた。とりあえず生鮮品を冷蔵庫に押し込むと、急いで洗濯物を取り入れて雨戸を閉めてまわる。
裏口をしっかりと閉めたところで、どざっと大量の水が落ちてくるすごい音がした。間一髪だったとひと息ついていると、台所に置いていたスマートフォンが着信を告げる。
『ああ、暁人。じつは寛人が胃腸炎やっちゃってね、しばらくそっちに行けそうにないのよ』
「あちゃあ。明日は土曜だけど、ちゃんと病院でみてもらった?」
『それは旦那がみてくれたから大丈夫。でもごめんね、寛人に合わせて今週は土日休みとってくれたのに』
「そこは煩いのもいないし、ゆっくり休ませてもらうよ。道寛さんにもよろしくね」
『ありがとう。嵐が来そうだから気をつけてね』
「了解」
子どもたちが騒ぐ声をBGMに、寛人の母親からの電話が切れた。長男の寛人が生まれた後、今度は女の子をと頑張った結果が三男一女の子だくさん。そのおかげで此方は助かっている訳だが、一人でも手を焼くあれがあと三人と思うと冷や汗が出る。
ともあれ、週末のスケジュールはいきなり白紙になってしまった。どうしようかなと考えてから陸の予定が気になってしまい、自戒を込めて頭を横に振る。もう彼をこまらせるようなことは、二度としないと誓ったのだ。さりげなく、一回聞く程度にしておこう。
「おっと、書斎も確認しておくか」
寛人が使う以外は空気の入れ替えしかしない部屋だが、万が一窓が開いていたら大変だ。ゴロゴロと低く唸り始めた音を聞きながら、薄暗い洋館へと続くドアを開ける。
書斎の中に入ると、カーテンを閉めていない窓ガラスを叩きつける雨が滝のように流れていた。天気予報は局地的豪雨。その局地に当たったかと、治るのを待つしかない。
戸締りを確認し終えると、いつかの様に書斎机の前にある椅子で膝を抱えて座ってみる。頭上から降り注ぐ雨音と雷雲の重低音が、大音量のオーケストラの演奏のようだ。
視界の悪い窓から白く光る空を見ていると、脳が勝手に昔の記憶を掘り起こしてくる。いつものように訪れた離れで酷い夕立に襲われて、震えながら机の下に潜り込んでいた小学生の子ども。
あの頃の梶家はお手伝いが一人いるだけで、その女性も体調不良で休んでいる日だった。夜まで大人が誰もいない家で何かあったらどうしようと、一人きりで置いてけぼりにされたような心細さに震えていた。
懐かしい、そして少し切ない思い出に浸りながら、いつの間に微睡んでいたのか。いきなり物凄い音を立てて玄関のドアが開けられる音に、うとうとと浅い眠りを漂っていた暁人は飛び上がるようにして覚醒した。
「暁人、ここに居るのかッ」
どきどきと驚いていた心臓が、いきなり飛び込んできた人物によってまたリズムを乱される。
「り、陸、どうしたのその格好」
書斎の入口で立ち尽くしているのは、頭から足まで全身びしょ濡れの陸だった。ぽたぽたと黒い髪から滴る水滴が、カーペットの上に丸い点々をつけていく。
「ちょっと、まさかこの雨の中を玄関からここまで歩いて来たの。本宅で雨宿りすれば良かったのに、危ない……うわッ」
慌てて突っ立っている陸に駆け寄ると、いきなり抱き寄せられて困惑する。どれだけ雨に打たれたのか、雨の匂いを纏った陸の身体は氷のように冷たい。
「このままじゃ風邪を引くから、タオル取ってくるよ。いや、お風呂に入った方がいいかな」
とにかく移動しようと促すが、しがみついた身体はびくともしない。様子のおかしい陸に声を掛けようとすると、薄暗い室内が一瞬だけ白く照らされてからもの凄い轟音が鳴り響く。
「うわ、いまの落ちたかもな。陸、どうしたの」
「……きとは、暁人は、大丈夫なのか」
「俺?」
何のことかと思って肩に押し付けられていた頭を覗き込むと、体温が下がって白くなった顔が心配そうに見つめてくる。
既視感のあるその表情に、ああとため息を吐きたくなった。どんなに大人になっても、同じだけ陸も歳を重ねていく。かといって、永遠の庇護対象だなんて御免だ。
「あのね、俺はもう雷を怖がるような子どもじゃないんだよ」
逆の意味でトラウマになりそうだなと思っていると、小さな声で陸が違うと囁いた。再び肩に顔を埋められると、彼の吐く息が伝わってじわりと身体の芯が熱くなる。
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