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第37話
お互い無言のまま離れまで戻ってくると、視線を合わせない暁人は陸に水のペットボトルを渡してから風呂に入ると行ってしまった。
少しはアルコールを抜いておいてと言われたので、素直にボトルの中身を流し込んでいく。思い切って誘ってしまったが、本当に大丈夫だったのだろうか。
内心とんでもない奴だと呆れられているのではないかと、一人きりで座敷に座り込んでいると思考がマイナスに引きずられてしまう。
「お先。陸、一人で入れそうかな。俺も一緒にいこうか」
「いや、だ、大丈夫……です」
「です?」
首を傾げる暁人の側をすり抜けて、台所の隣にある洗面所に逃げ込む。とにかくアルコールの臭いを落とそうと、手早く服を脱いで風呂場のドアを開けた。
当然ながら湯は張られていないので、シャワーをぬるくセットして頭からかぶる。たっぷりと泡だてたソープで全身を洗いながら、どくどくと煩い心臓を深呼吸で沈めようと努力する。
これで良かったのだろうか。思えば二人の関係は暁人がリードしてくれるのが当たり前で、陸が自分から動いたのは別れの時だけだった。好きだと告白してくれたのも、デートの誘いも、一緒に暮らそうと言ってくれたのも、全部暁人からだった。
そして自分は、彼にはっきりとした言葉を未だに言えずにいる。また曖昧にして彼を置いていくことは、今度こそしたくなかった。
覚悟を決めようと頬を軽く叩くと、陸は最後の準備をするべく持参した品を取り出した。
脱衣所兼洗面所を出ると、前でうろうろしていたらしい暁人にドアをぶつけかけた。
わっと声を上げて飛び退くと、気まずげに視線が逸らされる。記憶の中ではいつも自信満々に見えた暁人の所在なげな態度に、鎮めたはずの心臓がまた騒ぎだしてしまう。
「遅いから……心配したんだよ。だいぶ飲んでたしさ」
「大丈夫だ。水をもう一本もらうな」
「う、うん。どうぞ」
微妙に緊張した空気の中で水を飲み終えると、もう後がなくなった。そのつもりで誘いの言葉をかけて、風呂に入って準備までして今さらだが、いい年をして走って逃げ出したくなる空気だ。
「暁人、その、無理強いはしないから」
最後まではしていないにしても、十年前にも何度か肌は合わせた。あの頃の若さは、いまの自分にはもうない。暁人は自分も同じだと言うけれど、それでもこうなると三年の歳の差が重いと感じてしまう。
「あき……」
「もう黙って」
抱き寄せられてキスをされると、いつも流されてしまう。暁人とは無理だと思ったあの頃から、彼からされるキスだけは別だった。
いやもしかしたら、暁人の熱に当てられるような、何処か知らないところに連れて行かれるような感覚が怖くて、彼とセックスなどしたら鹿嶋陸という人間が変わってしまいそうで嫌だったのかもしれない。
自分の絶対者は聡介以外にはあり得ないはずだと、暁人にも惹かれている事実から目を逸らしていたのだろうか。
触れられることを拒み、とても恋人とは言えない関係を漫然と続け、いつの間にか自分以外の人間に目を向け始めた暁人を理不尽に責めた。
聡介への気持ちは変わらない。でも暁人のことも愛おしくてたまらない。色の違うこの気持ちを、どう整理したらいいのか分からず悩み続けていた。
まるで何もかも欲しがる強欲な子どもだ。それでも彼が待っていてくれたから、こうして抱きしめられたら、もう理性も建前も何もかも投げ出して溺れてしまいたくなる。
「っふ……あ、ん」
こちらの舌を食べてしまいそうな勢いのキスに、飲み込み損ねた唾液が顎を伝って胸に落ちる。暁人の琥珀色の瞳に、欲情してしまっている自分の顔が映っている。
「いこう」
ついと手を引かれて台所を出ると、布団を敷かれた座敷の灯は枕元のものだけに落とされていた。ごくりと緊張から唾を飲むと、ぐっと腰を抱き寄せられる。
「本当にいいの。始めたら、止めてはあげられないよ」
最後の選択を迫りながら覗き込む暁人の顔は、陸の記憶に色濃く残る甘さを削ぎ落とした青年のものだ。お互いを傷つけあってばかりいた頃の彼はもう居ない。
いや、あの時の痛みも苦しさも飲み込んで、自分の言った言葉通りにここを守っていてくれた暁人がここに居るのだ。
「暁人が好きだ」
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