43 / 45

夏色ゼリー 後

 本宅から見て東側にある離れは、正面玄関を出てから細い小道を登った先にある。  ようやく梅雨が明けたばかりの空は、まだ高い位置にある太陽が強く照り付けていて眩しい。週末からはいよいよ夏休み。テスト期間だとしばらく顔を見せなかった陸も、そろそろ来る頃だろう。  建物を囲む芝生らしき跡地は、持ち主の適当な手入れもあって雑草が青々と茂っている。本格的な夏が来る前には、一度は草刈りが入るはずだ。  いつものように裏口に回ると、やはり陸が来ているのか雨戸が開けられていた。途端にうきうきとした気持ちが湧き上がり、そのまま行儀も悪く縁側から座敷に上がり込む。  迷うことなく洋館に向かうと、やはり書斎のドアがほんの少し開いているのが目に入った。驚かせてやろうとこっそり中の様子を伺うと、細い隙間からは陸の姿が見つからない。  物音ひとつしないことを不思議に思ってドアを開けると、ちょうど死角になる位置にあるソファーにだらりと寝そべる人の姿があった。 「あらら」  気持ち良さそうに眠る陸の姿に、音を立てないようこっそりと近づいてみる。  テスト勉強で疲れたのだろうか。すぐ側まで来て覗き込んでも、ぐっすりと眠っている陸は目を覚さない。試しにつんと頬を突いてみても、ほんの少し口元を動かしただけで、また静かな寝息が聞こえてくる。 「無防備」  綺麗だが少しきつい印象のある陸の顔が、目を閉じているだけで別物のように優しげに見える。  柔らかい感触をもっと触りたくなって、慌てて頬を突いていた手を背中の後ろに隠した。心臓がうるさい。握った両手がじっとりと汗ばんで、酷く後ろめたい気持ちが湧いてくる。 『青木と一組の村田、付き合ってるんだってさ』 『じゃあさ、キスとかしてんのかな』  昼休みにわざわざ一組からやって来た村田が青木と連れ立って行ってしまうと、近くにいた仲間たちが声を潜めて弄り始めた。  もう来年には中学生。暁人も、クラスの友人たちも、キスより少し先のことも、ぼんやりとは知っている。  卒業前の夏休みとあって、あちらこちらで告白をしただの、付き合っているだの、手を繋いでいただの、噂話が飛び交う日々。  放っておけよと思いながら、内心興味がないわけではない話が、何故かこのタイミングで思い出される。 「陸は……もうしたのかな」  色が白いせいか、男なのに薄く色のついた唇に目がいってしまう。陸はもうすぐ高校生。化石のこと以外はろくな話をしない人だが、これだけ整った顔をしているのだから、彼女くらい居るだろう。  どきどきするのと同時に、もやりと何か嫌な気持ちが滲んでくる。彼女が居るならキスくらいしたかもしれない。そう思うと、止めておけと冷静な部分が釘を刺すのに顔を近づけてしまう。 「ん」  小さく身じろいだ腕が当たって我にかえると、、暁人は慌ててソファーから距離を取った。ほんの一瞬だけ、触れた。反射的に唇を押さえたところで、今度こそ閉じていた陸の目蓋が開く。 「ん、あき、とか。もうそんな時間か」  大きく伸びをしながら身体を起こすと、陸が不思議そうにこちらを見る。  大丈夫、寝ていたはずだ。自然に、自然にと、カチカチになっている手足を動かす前に深呼吸をする。 「テスト勉強疲れとか、情けねぇな」 「うるさい。学校のテスト程度でへばるわけないだろう。やっとテスト期間が終わったから、先生に借りたままお預けになっていた本を読んでたら徹夜になっただけだ。いや、でも凄く面白かったぞ。暁人も読んでみろ」 「でかいトカゲに興味はないよ。それより、おやつ食べよう。この間父さんが、ボンボンゼリーの箱を離れに運んでるの見たんだ」 「またそうやって無断で食べる」 「分かってて何も言わないのは、公認ってことでしょ」  気まずさを誤魔化すように、早く早くと陸の手を引くと、同級生たちとは違うひと回り大きな体が立ち上がる。かといって、大人と並ぶ陸はまだまだ小さくて、見ていると混乱してしまう。  アンバランスで中途半端な年。もうすぐ自分もそうなるのかと思うと、先程しでかしてしまった行為を思い出してしまい、心臓が重くなる。 「暁人、あったぞ。何色にする」  冷蔵庫で冷やされていたゼリーを見つけた陸が、いつもと同じ調子で話しかけてくる。  覗き込んだ先には、赤、黄、青、緑の人工的でキラキラした色の塊たち。飲み口の下が丸く膨らんだボンボンゼリーは、昔ながらの子ども用駄菓子のひとつだ。 「青色」 「青な。俺は赤にしようかな」  渡されたゼリーを手に、二人で座敷の縁側に座る。ほんの少し汗ばむ陽気の中で、冷えたゼリーが喉を降りる感触が心地いい。 「もう少ししたら蝉も鳴き始めるな」  そう言って笑いかける陸の顔が直視できなくて、うんとだけ返事をする。いつもと様子が違う暁人に首を傾げながらも、基本無口な陸は深くは聞いてしてこなかった。  聞いて欲しいような寂しさと、追求されたくない恥ずかしさが混じり合う。赤いゼリーを飲む陸の口元ばかり目がいってしまい、さっきから心臓がうるさくて止まらない。  好きより先に触れたいと思うのが恋だなんて、まだこの時は知らなかった。

ともだちにシェアしよう!