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 近藤先生、もしかして。  その言葉を俺が言うよりも先に、先生がにこっと微笑んで俺から離れていき、呆気なく数学準備室から出ていった。  ────出て行く前に、座っている麻橋先生のことをちらりと見ていたのは気のせいだろうか。  いつまでもドアを見ているわけにもいかないので、振り向いて先生の元に行く。  ずっと俺のことを見ていたのか、案外すぐに目は合った。  目が、今までと全く違う。  どう違いを説明すればいいのか全くわからないけれど、違和感だらけで喉が詰まりそう。  俺、これからどうやって先生に接すればいいんだろ。  とりあえず先生の隣に座る。距離は少し空けたまま。  先生はずっと俺を見ているから見ようと思えばすぐに目は合うけど、なんとなく先生の目を真っ直ぐ見れる気がしなくて、駄目だった。  ずっと下を向いていると、先生がふっと微笑んだような気がした。 実際は、俺を鼻で笑っただけ。 「なんか言わないの」 「っわ」 「いつもみたいに憎まれ口叩けばいいのに。俺のことは気にならない?」  ……それとも、将希のほうがお気に入り?  そう、先生は付け足した。  我慢できず先生の顔を見る。  誰だろう、と思ってしまった。  俺が今まで見てきた先生はどこにもいない。そりゃあ偽物なんだからいなくて当然だけど、すぐに慣れろと言われても無茶な話だ。  憎まれ口も言えない。先生は、気になってしょうがない。 「……わからない、です。全部」 「……」 「なんか、混乱してなにも考えられない……ごめんなさい」  平常心を保てない。  たぶん俺は、ショックなんだと思う。  少し先生のことがわかったと思ったのにそれは偽物で、本当のことはなにもわからなかった。いや、わからせてくれなかった。  俺が知りたいと言わなかったせいかもしれない。だけど、知りたくないと言ったわけでもない。  だから混乱してしょうがない。俺が知っていた先生は、なんなんだろうって。  そんなことをぐるぐると考えていると、先生が笑った気配がした。思わず顔を上げると、先生は何故か申し訳なさそうな顔をしていた。 「そうなるから俺はばらさなかったのに」 「……え」 「俺が急に態度変えたら戸惑うだろ。ただでさえ学校ではあんなふざけた態度してんのに、急にこんなの見せられたって混乱しちゃうだろうし」 「……はい」  反応するか少し迷って、頷く。  先生は続ける。 「だから、ゆっくり素を出そうと思ってた。たっぷりと時間をかけて。おまえが知りたくないって言ったとしても、俺は見せるつもりだったよ」 「そうなんですか?」 「当たり前。ああやってても俺が疲れるだけだし、ずっと嘘をつき続けるようなもんだろ、そんなの。不誠実すぎて俺が嫌」 「……」  別人のようだ。別人のようだけど、ちゃんと先生だとわかる。  口調も声の抑揚も全く違う。それでも俺が知っている先生はちゃんといた。    それだけで、全身の力が緩んでいくような気がした。 「はあ……びっくりした……急に怖い顔するから」 「ごめんな。まさか将希にばらされるとは思ってなくて」 「じゃああの怠慢っぷりは、嘘ってことは本当ですか」 「まあ、そういうこと」  どうして、嘘を演じているの?  ……とは訊けなかった。口が動かなかった。  きっと、今の俺が易々と踏み込んでいいものではないと直感で悟ったから。  それに、たぶんその理由はいつか先生から話してくれる。そんな気がした。  そう思って先生の顔を見つめていると、先生の顔が急に和らいだ。見たこともないような、優しい微笑み。 「なに、可愛い顔して」 「……っ、は……!?」

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