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ああ、調子が狂う。心臓が荒ぶったように音を立てる。どうして先生なんかにこんなに乱されないといけないんだろう。
しかも、完全におふざけモードの先生ではないからとても男前に見えてしまう。
「からかわれるのは嫌です」
「そう。困ったな」
「絶対思ってない……」
今までの先生の怠慢を思い出す。
容易にいくつも思い出せるほど沢山あるけれど、その全てが偽物だと思うと本当に信じられなくなってくる。
煙草を吸うために教室の外に出るのも。
男子生徒には多少当たりが強く、女子生徒にはやや甘めなのも。
教師とは思えない自堕落な様子も。
……全部。
待て。全部偽物なのだとしたら、なんで先生はあの日、俺の自殺を止められたんだ?
確か先生は煙草を吸いに来たらいたと言っていた。けれど、先生は今までわざわざ屋上にまで行くことはなかったはずだ。
屋上に一番近い教室は一年H組だ。でも先生は一年生の授業は担当しておらず、どう理由をこじつけようとも屋上に行く理由なんてない。
俺は、誰ともすれ違わずに、誰にも見られずにあの日屋上まで行ったつもりだ。
……先生は、一体。
「疑問だらけって顔してる」
「……はい……」
「いいよ、訊いて。答えられる範囲でなら答える」
「……じゃあ」
屋上でのことは、訊かない。というより訊けない。
無難なものから攻めよう。
「どうして、わざわざ演じてるんですか? メリットがわかりません」
「内緒」
「……じゃあどうして先生になろうと思ったんですか」
「それも内緒」
「……」
おい、なんでも訊けって言ったのあんただろ。
と言いそうになり慌てて口を押さえる。
いくらなんでも先生に対してそれはまずい。
そう言う代わりに少しだけ睨むと、先生は眉を下げて微笑んだ。
「今は言えないってだけ。いずれ言うよ」
「……それは、先生から?」
「どうだろう」
やっぱりこのひとはずるい。いつだって手の内を明かそうとしない。
そう言ってしまえば、俺が訊いても必ずしも答えるわけではないと俺に遠回しに伝えているようなものだ。もう一度訊くことを急に躊躇ってしまう。
とはいえ、なにもかも内緒というのはおかしいと思う……
「そんなのじゃなくて。もっと普通の質問ないの? いくらでもあるだろ」
「……思いつかないです」
「まあそうだよな。いきなり俺に質問しろっていうのも変な話か。それに、おまえが気になってることは今は答えられないものばかりだろうし」
その、今は答えられないというのが引っかかる。
質問を答えるのにタイミングもなにもないだろうなんて思うけど、このひとなりに考えがあるのかもしれない。
その考えが俺には考察すらできないから、このひとがなにを考えているのかすらわからない。
なんなんだ、本当。
表情ですらなにも読み取れない。
……あんなにわかりやすかったのに。
「わからない……」
「そんな気負い過ぎなくていいよ」
「……もう別人過ぎて怖くなってきました」
「はは」
……う、わあ。
恐らく、生徒の中では誰も見たことがないような本当の先生の笑み。
作ってない、自然な表情で先生が笑う。
それがあまりにも絵になりすぎて、俺は言葉を失った。
先生ってこんな綺麗に笑うんだ、って。
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