先生が、訳がわからないというように首を傾げた。 　俺だって自分がなにを言っているのか、自分の口なのに勝手に動いて自制が効かない。 　それでも言葉は、否応なしに次々と浮かんで声に出してしまう。 「先生じゃない他の誰かの生徒だったら……俺は、こうやって先生と一緒のベッドで寝ることなんてなかったし、生徒には見せてない素顔も、俺は知ることができなかった」 　先生の素顔を知ったときは戸惑った。 　ああ、今まで隠されていたのかと。なんとなく知ったつもりになっていたのに、あくまで俺の思い込みであって先生のことはなにも知っていなかったんだと。 　けど、先生がわざわざ究極のプライベート空間であるベッドに生徒の俺を隣に寝かせ、寝れない俺の話を聞いてくれている。 　それは、ただの生徒じゃなかったら叶わなかっただろう。 　先生の中まで余すことなく全部知りたいなんてそんな烏滸がましいことを先生に願うわけではない。 　今の俺には先生の全てを知る覚悟も度胸もない。 　だから今は────先生の教師ではない部分を知れただけで。それだけでいい。 　人間として、先生との距離が縮まったのなら……それで。 「俺の選択は間違ってなかったんだって、安心できる……」 　どこかぼんやりとした、意識だけなにもない無重力の空間に置いてきてしまったような心地のまま喋る。 　眠いと言うには頭がはっきりしすぎているし、元気と言うには思うように呂律が回らない。 　(これは────安堵、なのか。) 　わからないまま言うと、今まで俺の言葉を理解できないという表情を浮かべていた先生が、ふ、と笑った。 「……らしくないね」 「え？」 「おまえは本当に、高校生らしくない」 　俺のことは否定せず、あくまでやんわりと否定をされた。 　ふわっとした、苦いコーヒーに甘ったるいミルクを注ぐような、そんな笑みを困惑の代わりに先生は浮かべた。 「なに選択とか言ってるんだ。高校生らしく、ガキらしく周りの大人に迷惑かけて生きていいよ。怯えなくていい。教師っていうのは生徒が正しい道を歩けるように育てるために存在するんだから」 「……」 　あんなに、俺のことを子どもっぽいとでも言いたげな態度をしていたくせに、いとも簡単に俺のことを甘やかすことを言う。 　 　甘やかすなと言えば、甘やかすのが俺の仕事だなんて言うんだろう。 　じゃあ、俺は。 「……が、それは教師としての俺の言葉であって、ひとりの人間としての俺の意見ではない」 「……」 「今は校外だ。今から俺が言うことは、明日になったら忘れて。……わかった？」 　はい。 　と、声にならない声で俺が言う。 　すると先生はさらに口角を上げて…… 「この世はなにも選択だけで成り立ってはいない。選択という行動を支える基盤にタイミングがある。そんなものは作ろうと思えばいくらでも作れる……でも、予期しないところで良くも悪くも訪れる。それがタイミングってものだと俺は思ってる」 「……？」 「自分のためにと思って行ったことでもそれが他の誰かを傷つけることも当然あるし、これがいいだろうと思ってやったことが誰かにとって不利益を被(こうむ)るものになりえることだってある」 　……わからない。 　難しい言葉は使っていないはずなのに、まるで初めて耳にする言語を聞かされている気分だ。 「もっとおまえは────警戒してもいい」 「え……？」 「俺以外の悪い男に拐われる前に、選択をするよりもまず俺を頼って。一番におまえを助ける大人は、俺でありたい」 　時に、おまえがよかれと思った選択がなにかしらの災難を招くことになってしまうかもしれない。 　そうなる前に俺に頼れ。 　まだ子どものおまえが大きなものに打ちのめされてしまう前に、大人の俺が救うから。 　 　……頭の中で簡略化した言葉を飲み込み、理解しようとする。 　その、難しいようで難しくない言葉は、なにかあったら俺が絶対に守るからと言われているような気分になり、体温が急上昇していくのを感じた。 　黙り込んだ俺を見て、先生が理解できていないと思ったのか控えめにため息を吐いていた。 　 　そしてさらに追い打ちをかけてくる。 「……もっと簡単に言う。二度は言わない」 「……？」 「俺みたいな大人が現れたとしても、おまえの弱い部分を見せるのは俺を最初で最後の男にして」