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「先生……」
『……ん?』
先生は、限りなく優しい声で続きの言葉を待っていた。
催促することはなく、ただ、待つように。
手が震えて、上手く声が出せない。
別に誰に見られているわけじゃないのに、俺は口を覆った。
みっともない顔をしていると思った。
「俺……俺……」
『うん』
「頑張ったんです、今まで、ほんとうに」
先生が俺が兄さんを失っていることなんて知ってるはずないのに、俺はただそう言うことしかできなかった。
相槌を打つから、話を聞こうとしてくれるから、錆びている枷を無理やり取ったように俺の口からは言葉が流れ出してきた。
そうなったらもう、止まらない。
「強くならなくちゃって、ひとりでも、大丈夫だって。生きられるって」
『うん』
「でも、今日……」
おばさんや、あいつに言われた言葉を思い出してしまう。
おばさんが、あのとき俺に言いかけていた言葉。
『あなたのお兄さんも、あなたみたいな性格だから罰が当たったんじゃないの?』
他のひとに認めてほしかったんじゃない。ただ、俺が兄さんに誇れるような生き方をしようって三年間必死に頑張ってきた。
また会ったとき、自慢げに話せるように。
でも、結局はなにも変わらなかった。
俺は弱いままだし、他のひとの支えがなければ今の俺はいないわけだし、この世にはもういない兄さんに未だに縋りついてる。
俺が、あのひとに言われた言葉に腹が立ったのはなにも癪に障ったからというだけじゃない。
俺に通じてしまうものが少しでもあったから、ものすごくそれが嫌だった。
「俺、だめな子だ。先生が言うみたいに、優等生じゃない。いい子じゃない……」
『……』
「どうすれば……どうすれば俺は、」
兄さんみたいになれるんだろう。
その続きを言うよりも先に、言葉が喉につっかえて出なくなった。
出そうとしても、出ない。ぎゅっときつく絞られて、なにも通ろうとしない。
言わないと。なにか言わないと、声を出さないと涙が流れてしまうから。今までずっとずっと泣くのを我慢してきたように、今も────
『律』
先生が、初めてちゃんと俺の名前を呼んだ。
その言い方が、声の低さが、大きさが、全て兄さんが俺を呼ぶ声に重なって。
頭の中に浮かんだのは、くしゃっとした爛漫な笑顔で俺を呼ぶ兄さんの顔。
そして、その隣に並ぶ先生。
先生と兄さんの声が重なるはずもないのに、どうしてか重なった。そしてそれは、先生の言葉でかき消される。
『律、泣いてるの』
「……っ!」
先生がそう言って初めて、俺は泣いていることにようやく気づいた。
俺の目から溢れ出したそれが頬を伝って流れ、音もなく落ちていく。
目頭に熱さが灯り、沸騰したかのように熱が沸く。
葬式の日以来、泣いたことはなかった。
どんなに辛いことがあっても悔しいことがあっても、泣いたらだめだと思ってたから。
だから、堪えていた。
堪えていたのに。
どうして先生は、こんなにも俺のことを掻き乱してぐちゃぐちゃにするのに、限りなく優しいんだろう。
どうして俺は、先生の言葉ひとつでここまでおかしくなってしまうのだろう。
どうして先生の言葉は────
こんなに、甘いんだろう……
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